それは金になるのか?それは食えるのか?

汚い公衆便所の前で、特上の握り寿司を食べるか、絶景を目前に塩むすびを一つ頬張るか、どちらかを選べと言われたら私は断然後者である。


しかし、妻は断然前者らしく、何言ってるの!寿司に決まってるじゃないの!(あなた何を言ってるの馬鹿じゃないの?というような呆れ顔で)と即答してきた。


私はそんな彼女に(何言ってるんだ!汚ない公衆便所の前だぞ!アホじゃないか?という顔をしながら)あぁ、そうなんだと力なく答えた。


妻の考え方の基準は、それは金になるのか?それは食えるのか?である。


私の考え方の基準は、それは善なのか?それは美しいのか?である。


なんとも正反対なふたりが結婚したものだ。つくづくそう思う。いや、正反対だからこそ、惹かれたとも言える。


双方、どちらが、正しく、どちらが間違ってるということではないと思う。私は道徳に反することでなければ、基本的に白黒、正誤、勝負にはこだわらない。


だから、妻の考え方は理解できないけれども、それはそれでありだと思う。


ただ、妻はなんでも白黒、正誤、勝負をはっきりとつけたいタイプだ。きっと彼女の世界の中では私は黒で、負けてて、誤ってる人間になっていることだろう。


若かりし頃、結婚したら夫婦で小鳥のさえずりを聞きながら森を散歩したり、夜空を見上げながら語らったりと夢想していたものだ。


しかし、そんなことを妻に言えば、何寝ぼけたこと言ってるの?早く目を覚ましなさい!と、一笑に付されることだろう。


こんなことを書いていると夫婦中が悪いのかな?と思われるかもしれないが、これが意外に仲良くやっている。


それもこれもお互いに良い意味で諦めてるから、期待してないからかもしれない。


諦めというと否定的に感じられるかもしれないが、決してそんなことはないと思う。諦めることが平和と自由をもたらすことだってある。


私の場合は諦めが早すぎる嫌いがあるので、そこらへんは気をつけねばとは思うのであるが。

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