読んでも忘れる、書いても役に立たない。それでも読む理由、それでも書く理由。

私にとって、読むことは摂取、そして、書くことは排泄である。


今までそれなりに本は読んできた。自分なりにインプット(入力)して来た。


しかし、正直なところ、その内容はほとんど忘れている。


読書をしてもそのほとんどを忘れてしまう自分に失望し、読書に何の意味が?と虚しくなることもあった。


忘れないための読書術なる本も読んでみたが、その内容を忘れてしまった。絶望した。


しかし、読書は毎日の食事と同じようなものであると考えるようになって、それでもいいかなと思えるようになった。


今まで食べて来た物を事細かに覚えている人はあまりいないだろう。


しかし、食べることは無駄ではない。食べればこそ人は成長し、また生命を維持することができる。


読むことが食べることであれば、アウトプット(出力)は必然的におしりから出すことになる。


それまでは、出力することで、自分を向上する一助になれば、誰かの役に立てたら、などと思ってはいたが、人のためにも、自分のためにも役立つような文章は書けなかった。


しかし、書くことを排泄と捉えることで、それはそれでいいかな?と思えるようになった。人間にとって食事を摂取することはもちろん大切だが、排泄することも同じくらい大切だ。排泄があってこそ健康が保たれる。


「快食快便、命の源、考えすぎは短命の元」


そんなことわざがある(嘘)[※出典:らんぽう]


とにかく、難しく考えず、楽しく読書(摂取)、楽しく作文(排泄)すれば、自覚はなくとも、なんらかのかたちで心の成長と健康につながるのではないだろうか。


そんな、淡い期待を抱いている。


ということで、今あなたが見ているものは、私の排泄物である。こんなものをお見せするのは心苦しいが、もしかすると、一握りの人にとっては、人生の肥やしにはなるかもしれない。


ということで、今日も私は垂れ流すのである。

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