幸先
田舎町が騒ぐ。
セミの鳴き声も、降り注ぐ陽射しも無視して走り回る。
タケルは川辺の岩に腰掛け、素足を浸す。
羨望も猜疑心もない、抜けた無気力な眼差しで遠くを見つめている。
隣であぐらをかき、川をジッと覗くハジメ。
さらに隣で体育座りで俯くかなた。
「……」
「……」
「…………なんだよお前ら」
沈黙にぼやいた―――――。
海原家。
居間で向かい合って座る父晴吉と娘のひゅうちゃん。
「すまん、お前と一緒に、住めない」
低い暗めの声は拒否を示した。
ひゅうちゃんは何も言わない。
静かな瞳が俯く。
「親父がいない今、2人では……分かるだろ、お前なら」
「…………」
目を合わせることなく、頷いた。
「お前が就職できるまでちゃんと養育費を払う。大学に行くなら、学費も。だから、こんな父親を許してくれ」
僅かな荷物だけを抱える。
砂利とレールの擦れる音を耳に残す――――。
「なんか、感情がぐちゃぐちゃ……」
かなたは膝を抱える。
「俺も……ひゅうちゃん……」
「関わんなって言ったのによ」
「先輩は、平気なんすか?」
川の先にある3車線の道路を映すタケル。
「平気も何も、変わらねぇよ」
べしょ濡れのままサンダルを履いて、自転車に跨る。
「帰るんですか?」
「もうこんな町に用はねぇ。引っ越しの準備もあるからな」
「え、引っ越す?」
「あぁ、じゃあな」
軽く手を振り田舎町から立ち去って行った。
気を取り直すように、よし、と呟いたハジメ。
「俺らはひゅうちゃんの様子、見に行こう」
「うん」
川沿いの道を歩き、田舎町に戻るなか、かなたは大きな背中に声をかけた。
「ハジメくん。ひゅうちゃん、もう苦しんでない、よね?」
「すぐは難しいけど、だんだん落ち着いてくると思う。かなたちゃんの方こそ大丈夫?」
「正直、まだ大丈夫じゃない」
「そっか。辛いけど、こういう時こそ3人でいなきゃ、ね」
微笑みを浮かべる垂れ目。
かなたは頷く。
「うん。ねぇハジメくん」
「うん?」
後ろに手を組み、田んぼを眺めながら続ける。
「私さ、小さいときからずっとずっと、もやもやしてたことがあったんだ。おじいちゃんが亡くなって、もっと強くなった。いつも励ましてくれて、一緒にいてくれたハジメくんのこと……好きなんだって」
「へっ」
足を止めてしまう。
かなたが数歩先進んで通り越した。
「こんな時に言うの、変なんだけど、今私の気持ち伝えとかないとどんどん言えなくなる気がしてさ。ハジメくんのこと恋愛的な意味として好きなの」
「…………」
ハジメは口をぱくぱく開閉させる。
短い髪を掻き、言葉を失くす。
「それだけ! ひゅうちゃんのとこ行こう」
駆け出していくかなたに、
「ま、待って待って! 中途半端にするの無し!!」
ハジメは慌てて呼び止めた。
「うっ」
「かなたちゃんは、本気で俺のこと好きなの?」
「本気じゃなきゃ、言わないよ」
頬を赤くさせて逸らす。
「…………はぁー」
がっくりと肩を落とし、両膝に手をつけて屈んだハジメ。
「な、なにその反応」
「ごめん俺に対して溜め息吐いた。もぉぉぉーめっちゃくちゃ嬉しいよ、俺の事好きって言ってくれるの……なんで俺、今まで気づかなかったのか、マジで俺ってはぁー……」
「なんなの?」
ハジメは顔を上げ、真剣な表情で見つめる。
「だから、正蔵さんあんなこと言ってたんだなぁって改めて思った。ありがとうかなたちゃん、嬉しい。でも、ごめん」
「……なんとなくわかってた。変わり者のハジメくんがヘアピンをプレゼントするなんて、今までだったら有り得ないもん」
酷い言われようだがハジメは言い返せない。
「私、戻って家族で今回の事話し合わなきゃいけないから、私の分も行ってきて。私達ずっと幼馴染なんだから、変わらず仲良くしてよ」
「そんなの当たり前だよ、うん」
再び駆け出していく――。
ハジメは自分の家を通り越してひゅうちゃんの家へ。
引き戸を開けると、砂利とレールの擦れる音がよく響く。
すっきりした玄関。
ひゅうちゃんのスニーカーとサンダルだけ。
「ひゅうちゃん」
居間を覗けば無人。
「……」
微かな焦りに表情が曇る。
キッチンや洗面台を覗くも空っぽ。
早足で寝室に向かう。
「ひゅうちゃん!」
勢いよく引き戸を開けると、ビクッと跳ねて目を丸くさせたひゅうちゃんがいた。
シャツを脱いでいる途中で、汗ばんだキャミソールごとシャツで上体を隠す。
「ご、ごめん! ノックしなかった!」
謝りながらも目線はひゅうちゃんの肌から離さない。
「平気、着替えるだけだから」
前髪を紺青のガラス細工が装飾されたヘアピンで留め、感情が薄れた瞳は淡々としている。
「どっか行ってたの?」
「ううん……倉庫の片付けをしてた」
「それなら俺も手伝うよ、なんも予定ないし」
「ありがとう、ちょっとずつするから、大丈夫……あの、ハジメ君」
「なに?」
「……着替えたい」
「あっ」
一旦寝室から出て居間へ。
丸テーブルとテレビだけ。
不安になるような空間に、ハジメは戸惑う。
テーブルの上には4つ折りのパンフレットと『契約書』と記された封筒。
「……」
「ハジメ君」
着替え終えたひゅうちゃんは静かに座り込んだ。
畳をすり寄って隣に並んだハジメ。
「落ち着いた? ひゅうちゃん」
「……平気。かなたちゃんは……」
「家のことで色々話し合いがあるんだってさ、大丈夫、かなたちゃんも味方だよ」
「そう、みんなに迷惑かけてる。さっきも近所の人達来てた、何があったのか凄く……訊かれて……」
首に手を添え、呼吸を整える。
か細い指先を大きな手で包み込んだ。
少し屈んで目線を合わせ、軽く口づけをする。
「ごめん、肝心な時にいなかった。責任取るって言ったのに」
ひゅうちゃんは静かに首を振る。
「というか、ひゅうちゃんが責められる必要なんてない」
「…………」
「えーとひゅうちゃんさ、この先のこととか考えてる?」
「まだ、ぼんやり」
「じゃあ、卒業したら町出よう」
突然の提案に戸惑い、返事ができない。
「俺が先に卒業になっちゃうから、しばらくはここから大学に通う。そんで、ひゅうちゃんが卒業したら一緒に町出よう!」
突っ走っていくハジメに置いていかれてしまう―――。
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