嘘はき

 午後10時過ぎ、橘家。


「ハジメ、こんな時間までどこ行ってたんだ?」

「ただいま、ちょっと近所散歩してただけ。シャワー浴びたらすぐ寝る」


 父親は呆れてブツブツと文句を言いながら寝室に戻って行った。

 シャワーをさっさと済ませ、電気を消灯。

 必要な物をポケットに入れ、家族を起こさないよう窓からこっそり、抜け出す。


 隣の家、海原家の扉を開けると、正蔵が玄関で腰掛けていた。

 驚き怯み、喉がキュッと締まる。


「おう、ちゃんと来てくれてありがとうね。ホント、はじめ君も良い子だよ。ほら、これ応援代わり」


 封筒を差し出す。

 ハジメは唇を軽く噛んだ。


「すみません、受け取れない、です」

「そうかい? でも避妊とか色々お金かかるだろ? 普段の小遣いじゃ足りないんだからさ、とっときな。別にそれでどうこう言わないよ」


 首を振る。


「そうか……そうか。明日はデイだったかなぁ、最近曜日が分からんくてなー」


 猫背気味、いつものニコニコとした表情で部屋に戻って行った。

 ハジメは眉を顰め、ひゅうちゃんがいる寝室に向かう。


「あっ」


 首に手を添え、布団に座り込むひゅうちゃん。


「……」


 目元を腫らして俯いている。


「ひゅうちゃん大丈夫?!」


 膝をついて、両手を床に這わせて近づく。


「……うん」

「良かったぁ、全然目を覚まさないからホント、よかったぁ……」


 潤んだ瞳と脱力気味に微笑むハジメ。

 大きな手を伸ばし、ひゅうちゃんのか細い指先を包んだ。


「おかしいって思った」

「え?」

「ハジメ君が、なんで私に……迫ってきたのか、ずっと分からなかった」


 指先が震えている。


「おじいちゃんが、嘘……ついてたんだね」

「嘘って? どこまでが、分かんない。じゃあ、ひゅうちゃんが俺のこと」

「……最初から、だよ」


 腫れた目元につたう涙。

 空っぽの瞳孔が、ハジメを見つめる。

 大きな手からすり抜けていく細い指を呆然と眺めた。


「ごめんなさい…………」


 生暖かい雫が、手の甲に触れる。

 言葉が出てこない。





「私、はやくいなくなっちゃえばよかった」




 弱々しく吐き出た、ひゅうちゃんの呟きが大きな手を動かす。

 か細い指先をもう一度掴んだ。

 胸に引き寄せ、抱きしめる。

 息を震わせた。


「……嘘なんて、今更どうでもいいよ。でも、お願いだから、消えたいとか言わないで」


 ぽんぽん、と背中を軽く叩く。

 乞いを抱く言葉が苦しめる。

 吐き出せないほど喉奥に詰まったモノを飲み込んだ。


「……ありがとう」


 代わりを選び吐いた――。






「ひゅうちゃん、ごめん、無理させて」


 ただ横になって、向かい合う。

 目だけが合わない。


「……大丈夫」


 首に手を添え、内出血の痕をなぞる。


「あのね、ひゅうちゃん。俺とかなたちゃんは何があっても味方だよ」


 静かに応えるよう頷いた。


「…………」

「あ、そうだ」


 上体を起こしてポケットからゴソゴソと取り出したのは、紺青のガラス細工が装飾されたヘアピン。


「これ、夏祭りのお土産。ひゅうちゃんに似合うかなって」


 前髪をサイドに寄せて、ヘアピンで留めてみせた。


「ほら、ねっ」


 嬉しそうに細める垂れ目。

 前髪に触れ、ひゅうちゃんは小さく笑みを作る。


「…………くじ引きの景品?」

「え、ちが、えーあのー、そうなんだけど、10連してゲットした奴っていうか」

「おじいちゃんの、お小遣いで?」

「う、じゃあ来年、俺、いっぱい貯めたお金でプレゼントするから……絶対、一緒に花火大会行こう」


 不確定な約束に堂々と小指を出す。

 恐る恐る震えた小指で絡める。


「3人で行こう」

「……うん」


 空っぽの瞳で精一杯頷いた――。 

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