ある日の、そそのかし

 夏休みに入ったばかりのこと。


「かなたちゃん、このきゅうりどこに置いたらいい?」


 いくつかのキュウリが入ったカゴを抱え、ハジメは訊ねる。


「えーと、玄関にお願い」

「ほーい」


 せっせと運ぶ。

 玄関に入ると、かなたの祖母が待っていた。

 黒く染めた髪を後ろに結び、真っ直ぐに背筋を伸ばしている。


「はじめ君ありがとう、畑を手伝ってくれるなんて将来はいい旦那になるね」

「えーそうかなぁ」


 垂れ目をさらに垂らして髪を掻く。


「貴方が良ければいつでも笹井においで。あーでも、海原さんの方もあり得る?」

「やだなぁ、2人とも幼馴染だから想像できないよ、どっちかっていうと妹かなぁ」

「だろうね。最近の子はどこで出会うんだか、でもいい旦那になるのは間違いないよ。それじゃ、あとでささみと和えて分けてあげる」

「ありがとうございます!」


 畑に戻ると、既に作業を終えたかなたが道具を片付けていた。


「あれ、もう手伝うことないの?」

「ハジメくんがおばあちゃんと話してる間に終わっちゃいました」


 少し意地悪を込めて微笑むかなた。


「う、ごめん。手伝うって言っときながら、野菜運んだだけだった……」

「ううん、野菜運んでくれただけでも大助かり。本当にありがとう。なんかお礼できたらいいんだけどなー」

「お礼とかいいよ、暇だったしな」

「あ、ハジメくん。花火大会一緒に行かない? 屋台とかも出るし、その時にご馳走する」


 ハジメは屋台に釣られた。


「マジ? じゃあひゅうちゃんも」

「夏休み前に誘ったけど……今年も行けないって。なんか、日に日にひゅうちゃんが、口数減ってる。何も教えてくれない」


 2人は心配で眉を下げた。


「それなら屋台の美味しい物買って、ひゅうちゃんに届けよう。美味いもん探し、楽しそうじゃん」

「うん、って花火も見なよー」

「ちゃんとみるみる」


 他愛のないやり取りに唇を緩めるかなたは、タオルで汗を拭き、頬を隠す。


「そんじゃ、またな」

「うん、またね」


 ハジメは足取り軽く家を通り過ぎて、ドリンク自動販売機に寄っていく。

 小銭を入れてソーダを押すと、売り切れマークが赤く表示された。 

 最後のソーダに得を感じながら屈む。


「お、はじめ君、今日も暑いなぁ」


 猫背気味に歩くひゅうちゃんの祖父、正蔵が声をかける。

 冷えた缶を取り出しながら、笑顔で応えた。


「かなたちゃんの畑手伝いしてたんか? あちこち手伝って偉いな。はじめ君も良い子だよ」

「そうかなぁ、あ、ひゅうちゃんは家ですか?」

「いやいや、それがな、同じ学校の男の子に呼び出されとんだ」


 どこか浮ついた言い方。


「へーひゅうちゃんが男子と喋ってるとこ学校でも見ないっすよ、めずらし」

「なーに言っとる。ああいうのは告白と相場が決まりなんだよ」

「えーそう、かな?」


 皺の笑み。

 傾げているハジメに、


「ひゅうちゃんは母親に似て色気あるで、憂いな表情に高嶺のような存在、男はみんな喉を鳴らすほど釘付けになるもんだ。実際町のおっさん共がな、色気あるって噂しとる」


 圧をかけて話す。


「は、はぁ……」

「寝顔、見たことあるかい?」

「え、小さいときぐらいしか」

「綺麗な顔しとるよー、神秘的な美しい寝顔でなぁ、ありゃ心奪われるぞ」

「へ、へー」

「実はここだけの話…………ひゅうちゃんは君に惚れてんだぞ」

「え」


 目が点になる。


「あんまり大きな声で言えないけど、考え過ぎて夜も眠れんらしい、眠れなさ過ぎて、なっ。前に相談されたことがあったんだよ。あ、オレから聞いたとか言っちゃいかんぞ」

「あ……わ、分かりました……」


 ニコニコと帰っていく猫背を見送る。

 呆気に取られて立ち尽くす。

 ぞわぞわと指が落ち着かず、ソーダ缶を開けて一口。


「……」


 静かに通りかかったひゅうちゃんの横顔が視界の隅に入り、缶が乱れた。

 想像以上の炭酸が喉の奥に入り、むせ込む。


「げほっげほっ!」

「大丈夫?」

「だ、だい、だいじょぶ、ごほ、ふ……ちょっとびっくりしただけだからさ」


 立ち止まったひゅうちゃんの静かな憂いに満ちた表情。


「ど、どこ行ってたの?」

「えと…………クラスの子に、呼ばれて」

「へ、へー」


 先程の会話は本当なんだ、とハジメは目線を忙しなく動かした。


「何の用、だったの?」

「花火大会、誘われただけ……」 

「まさか、行くの?」


 静かに首を横に振ったひゅうちゃん。

 思わず、ふぅ、と安堵の息をつく。


「私もソーダ、飲もう、あ……」

「あー! 俺ので売り切れちゃって、一口飲んじゃったけど、あげる!」


 冷えている缶を差し出す。

 勢い余り、缶が首筋に触れてしまう。


「ひゃっ……」


 か細い、短い悲鳴と一緒に首筋を押さえたひゅうちゃん。

 どこか恨めしく、戸惑った表情で見上げられ、ハジメは喉を鳴らす。


「ご、ご、ごめん! 勢いが良すぎちゃってぇ!」

「……平気。せっかくだし、ちょっと貰う」


 缶を受け取り、躊躇なくソーダを飲む。

 ゆっくりと一口、二口飲んだ横顔をジッと眺めた。

 水玉のような唇の奥へ含む炭酸、冷たさに目を細くさせている。

 薄っすら皮膚をつたう雫に、瞳孔が震えた。 


「はい……返すね。ありがとう」


 ひゅうちゃんは静かに立ち去っていく。

 缶の飲み口と背中を何度も見てしまう。

 痛いほど心臓が鳴り始める、ハジメは髪を掻き、動揺していた――。

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