第4話
とはいえ、何もない日常を愛せるほど自分に満足できてはいないようで、カレンダーで夏祭りの日にちを確認することだけが生きる意味と化してしまった部屋には、いつも通り退屈が充満していた。今を全力で生きるんだ、とあんなに強く誓ったはずなのに、やっていることは今までと変わらない。そしてそんなことに、特に危機感を覚えているわけではない。それが一番まずいような気がする。
寝転がってスマホをいじっているだけで終わる一日は、どうしてこんなに無駄な気がしてしまうんだろう。誰かと遊ぶことだって、同じくらい非生産的なはずなのに。何かに価値を感じることのありがたみは、価値を感じない日々を過ごさないとわからないらしい。そして一度価値を感じないと、今までの人生のほとんどが価値を感じない日々の連続だったということもわからないらしい。
なんとなく窓の外を眺めて、またベッドに戻ってきて、今日も暑そうだなぁと思うことを繰り返している。もしかしたら本当は外に出たいのかもしれないし、この猛暑の中エアコンの効いた室内で過ごせることに感謝しているだけなのかもしれない。自分のことって、一番考えてしまうからこそ一番わからない。
朝早く起きたにも関わらず、何もしないまま正午を過ぎてしまった。厳密に言えばやらずにいた課題を一つ終わらせたから、何もしなかったわけじゃないんだけど。そこに充実感がなければ何もしなかったのと同じだ。今朝描ききったばかりの絵を見ながら、やっぱり俺には絵の才能がないんだなぁと思う。今回の題材は夏空らしいが、好きなものすらこんなにも描けないなんて。堆く積み上がる入道雲と、どこまでも深い青。暑さに滅入って太陽を睨んでしまっても、それでも空は綺麗だった。そんな思い出を描きたかったのに。俺の想像力なんてこんなもんだと突き付けられているみたいで、絵を描くことが好きだと言えるような日はずっと来ないような気がする。
またなんとなく空を眺める。こんなにも綺麗なものを題材に絵を描けるのに心が踊ったりしない辺り、美術は絶望的に向いていないんだろう。将来の可能性ってやつが、花瓶を床に落とすみたいに音を立てて壊れても何とも思わないんだから、俺のやりたいことはこれじゃないってことなんだ。一応納得はしつつも、こんな簡単に諦めてしまうことが気に食わなくて、俺は外に出てみることにした。見晴らしのいい場所で眺めてみれば、もっといいものが描けるかもしれない。今日は、そんな一縷の可能性に期待をしてみる日にしよう。服を着替えて寝癖を直して、履き慣れたスニーカーに足を突っ込む。玄関の姿見には、つまらなそうな自分の顔。世界への期待値の低さが、俺の表現する世界の解像度の低さなのかもしれないな。
外に出てみると予想通り、というより期待通り、自分の体温と同じくらいに感じる熱に抱かれるような暑さで、すぐに家に帰りたくなってしまう。そんな気持ちを打ち消すように歩いてみる度に、額に脇に手のひらに足の裏に、嫌な汗が滲んでくる。
俺の思い出の中のあの空は、どこで見た空だったんだろう。そんなことも覚えていないのに、あのとき思ったことだけは鮮明に覚えているんだから、大事な思い出には変わりないはずなんだけど。
生まれ育ったこの街で見上げた空が、そんなに愛おしく思える瞬間があるようには思えなくて、足は簡単に止まってしまう。俺はどこに行けばいいんだろう。どこに行ったらまた空を見上げて、その壮大さに圧倒されるように歩くことをやめられるんだろう。どこかに行かなきゃ、何かにならなきゃ、という焦燥を一瞬でも誤魔化せるような景色に、本当に俺は出会っていたんだろうか。
何もしなくたって、世界は美しい。今更疑問にも思わないくらい、当たり前にそう思う。今見えている空だってちゃんと綺麗だからこそ、俺は外に出てきたわけだし。
だけど、この空が記憶に残るほど美しいものなのかと聞かれると、そうじゃない気がする。明日には忘れていると思うし、そんなことに感慨があったのも思い出さなくなるだろう。それでもあの景色は、確かに俺の経験だったはずなんだ。
どこに行けばいいかわからなくて、何をすればいいかわからないとき、俺はたった一人なんじゃないかという気持ちになってしまう。子供の頃迷子になってしまったときみたいな、帰るべき場所がなくなってしまって、一人で生きていかなきゃいけないんだと思い込んでしまう感覚。今思えば全然そんなことはないのに、どうしてあの頃の俺はここで一人で死ぬんだ、なんて思ってしまったんだろう。どうして迷子になったのかも覚えていないし、この感情がいつ湧き上がったものなのかも皆目見当もつかないから、考えても答えは出ない。
行き交う人々は当然、俺に対して無関心だ。それはあの頃と変わらないし、これからだってそう。そんなことを、どうしても冷たいと感じてしまう。街中の困っている人に声を掛けられるほどの余裕がある人間の方が少ないんだということも理解しているし、声を掛けられても結局は遠慮してしまうんだろうなということを考えても、それでもやっぱり冷たいと思ってしまう。
俺は、困っている人に声を掛けてあげられる人間になれるだろうか。俺にできることなんてたかが知れているとしても、そんなことを考えずに親切心だけで行動ができる人間に。今のままじゃ、絶対無理なんだろうなと思う。せめて手の届く範囲の誰かを孤独にしたくないと思っても、俺なんかで役に立てるんだろうかという気持ちが先に来てしまうだろうから。
そんな物思いに耽っていると、世界はまるで自分の生きる場所ではないみたいに思えてくる。俺の視界は防犯カメラのようなもので、ここに意味を見出して、ここで一日を過ごしていくことに、違和感すらある。こうなりだしたら俺にはどうしようもなくて、ただ逃げるように人の少ない道を選び取ることしかできなくなる。
そうやって知らないどこかの道にぶつかったとき、そこが自分の暮らす街じゃなくて、だから俺はここにいることに違和感を抱いていてもいいんだと思えるから、俺は知らない街が好きなのかもしれない。たまたま迷い込んでしまっただけの場所で、ここで過ごすことを勘定に入れなくてもいいから。
俺が今日見つけた街は、ほとんどの店がシャッターを下ろしたままの商店街を場違いなほど派手な照明が彩る、寂しい街だった。ここだけ時間の経過を諦めてしまったみたいな、あの頃に取り残されることを受け入れてしまったような場所だ。あの頃、というのが具体的にいつなのかはわからないけれど。
真昼間だというのにこの無駄に装飾された歩道にはほとんど誰もいなくて、だからこそ俺は何も気にせずに歩けるような気がした。
人がいるのが嫌なのは、そこに期待をしてしまうからなのか。誰かが俺を退屈や劣等感から救い出してくれることを、心のどこかで期待してしまっている。
そんなわけないのにな。自嘲気味に笑うといつも通りの自分がいて、嫌になりつつも安心する。不満に思う俺自身を誰よりも変えられないのは、平常を期待する俺に他ならない。俺の基本的な思考パターンの暗さは、きっとすぐには変えられないほど染み付いてしまったものなんだろう。たまに受け入れて、何事も明るく捉えられるような日こそが異常なんだ。
それにしても、意外に長い道だ。もしかしたら昔は、周囲で一番活気のある街だったりしたのかもしれない。いつどこで道を踏み外してこうなってしまったんだろう。何が起こるかわからないのは、人生も街並みも同じということなのかもしれない。そう考えてから、何を悟った気になっているんだと自分にツッコミを入れる。俺の頭の中がうるさいのは、自分に酔っている自分と、自分に冷めている自分が両方存在するからなんだろうと思うことがある。それは感覚がズレていることを自覚していて、ちゃんと世間と釣り合いを取ろうとする気持ちがある証拠なんだけど、それでも自分でボケて自分でツッコんでいる間抜けさには嫌気がさす。
商店街の終わりまで来ると、昔からいる人だけがここに住んでいるんだろうなという発展のない住宅街に行き当たった。プロパンガスのボンベと年季の入った室外機と、塀の上では野良猫が体を休めている。車を持っている家も割とありそうだが、この狭い道を運転するのは至難の業じゃないだろうか。車の動かし方なんて知らないけれど。
だけどなんとなく、こんな場所が好きだ。俺は俺のままでいていいんだというような気がするから。技術の進歩に乗り遅れてしまっても、それを望んでさえいなければ、当たり前に人は生きていけるんだという気がして。
まぁ、この街に住んでいる人は好きでここにいるんだろうから、俺とは全く違うと思うけど。
より細い道を選んで歩いているとき、自分自身の消えてしまいたい欲求は、人の目を気にすることによって生まれているんだなぁと思う。不便でも構わないくらいに人が通らないからこの道は細いわけで、だからこそ俺は安心してここを歩くことができる。そんな自意識を嫌がりつつも、変わらず人気のない道を選んでしまうことを肯定している。
多分俺は、人にどう見られているかだけを一生気にしてしまうんだろうと思う。何をしていようと俺の印象はマイナスから始まっているから、どうにかプラスマイナスのないところまでは持っていかないと、という義務感が、俺の人付き合いのハードルを上げている気がする。
いつから俺はこんなにも、どこにも行けない人間になってしまったんだろう。小さい頃のことなんて覚えていないから、ずっとこんな人間だったのかもしれないな。なんというか、不器用な生き方だ。
分かれ道のどちらかを選ぶとき、その道の先が行き止まりかどうかを気にしないで歩けるときは、結構幸せなときなんだと思う。先を気にしないで済むのは、今に満足している証拠だから。今日の俺は、迷いなくもっと細い道を選んだ。マイナスなことを考えてしまうからといって、不幸だというわけではないのだ。自信を持って幸せだと言えないだけで。
そう考えてみると、俺の物思いはささくれみたいなものなんだろうなと思う。気付いてしまったらずっと気にしてしまって、無理に剥がしたりして、血が滲んだりするような。そんな、心の栄養失調が原因で起こる不都合なんだろう。きっと。
俺は心に栄養をあげる方法を知らなくて、今はただぱさぱさに乾いた心と苦楽を共にしていくことしかできない。いつか人生が上手になって、心にもゆとりができて、そうしたらこの気持ちはなくなっていくはずなんだ。つまり、千早が言うところの、今しかない感情ってやつなんだろう。
俺か気付かなかっただけで、そんな感情だらけなのかもしれない。例えば、子供の頃にしかなかった感情とか。お菓子やおもちゃをどうしても欲しいと思ったり、ぬいぐるみを生き物のように扱ってみたり。あれは一過性だと言い切れるほどすぐにはなくならないけれど、いつかはなくなってしまうものだ。ふるいにかけられるように、坂を転がる石のように、だんだん小さく、だんだん弱くなっていく。大人になるって、そういうことの繰り返しなのかもしれない。そうしてすべての角が取れたとき、俺は何を考えているんだろう。どう生きるか、なんてことに、興味を持てているんだろうか。日々の些細な変化に一喜一憂しなくなっても、ちゃんと人生を楽しいと思えるだろうか。
まぁ、なるようにしかならないか。そう結論づけて、思考を捨ててしまう。考えても仕方のないことでネガティブに陥るくらいなら、まだ何も考えない方がマシだ。細い道の終わりにある低い階段を登ると、その先には河川敷があって、小学生達が元気にサッカーをしていた。
そういえば、母の職場はこの近くだ。小学生のとき何度か行ったことがある。人目を避けて家から直接川に出るルートしか通ったことがないから、母の職場の近くの街並みはよく知らなかった。
なるほど、じゃああの街は、俺の暮らしの延長線上にあるどこかだったのか。突然親近感が湧いて、なんとなく愛おしく思えてくる。
しばらく歩いて気付いたことだが、真昼に河川敷沿いを歩いていいのは春の間だけなんじゃないだろうか。この世の全てを焼き尽くすみたいな太陽に身を焦がしてまですることなのか、という疑問を必死に打ち消しながら、もう汗が染み込まなくなってしまったハンカチを必死に顔に押し当てる。
「祐介?何してんの」
いつの間にか俯いていたらしく、声のした方に顔を上げると、自転車に跨った母が不思議そうに俺を眺めていた。あぁそうか、もう仕事は終わりの時間か。
「別に、散歩してて」
「散歩ってあんた、汗だくじゃない。ほら、ハンカチ」
「持ってるよ、いらない」
「ならいいけど…」
早く行けよ、と言って少し言い合いになったり、またはそうならなくて後で罪悪感を覚えてしまうような気力もないので、自転車を押し始めた母について歩く。
「なんで夏なのに長袖なんか着てるの、暑いでしょ」
「好きなんだよ、袖が」
変な子、と言って笑う母は、なんだか機嫌がよさそうに見える。
「なんかいいことでもあったの?」
「別に。昔のこと思い出しただけだよ」
「昔のこと?」
母はもう覚えてないか、と少し寂しそうな顔をした。そう言われても、俺側には全く記憶がない。
「ママに会いたい!って、今日みたいな夏の日に保育園を抜け出して、この辺りまで歩いてきたんだよ、あんた」
「そんなことしたんだっけ」
「したわよ。先生から『祐介くんがいなくなっちゃったんです!』って焦った声で電話が来て、大変だったんだから」
そういえば、そんなこともあった気がする。確かあれは、明日から旅行に行くんだ、とか、おじいちゃんの家に帰るんだ、みたいな子がたくさんいる中、俺だけが何の予定もなく夏もここで過ごさなきゃいけないことに納得ができなくて、どうしても母に会いたくなった日のこと。
俺はこの世界の広さを全く知らなくて、保育園が休みの日に連れられて歩いた道を辿れば母に会える、と自信を持って外に飛び出したんだと思う。だけど知っている場所から一歩でも外に出たら、それがどこなのかわからなくなってしまった。今ならきっと不安にも思わないし、それが当たり前だと割り切って人に聞いたり調べたりできるだろうが、当時の俺には知らない世界に足を踏み入れるような経験がなかったから、どうにもならないと思い込んでしまったんだろう。
迷子になった日の感覚は、この道で覚えたものだったのか。というか、よくここまで歩いてきたな。行動力があるんだかないんだかよくわからない子だ。
「当時のあんたは泣きながらママと一緒にいたいって言ってきて、あぁこの子のことをもっと考えてあげたらよかった、もっと生活に余裕があったらこの子をこんな気持ちにしないで済んだのに、ってお父さんと話したりもして」
今の俺からすると、本当に申し訳ないと思う。あまりにもわがままで、突発的な感情のままに動いている。
「だけど、会えたらどうでもよくなったんだろうね、しばらくしたら空が綺麗だよってにこにこしてて」
母と同じ方向を見る。確かに大した障害物もない、広くて綺麗な空だ。昔の俺からしたら、もっと広い空だったに違いない。
「アイス買って帰ろうか、って言ったら、もうここまでの道のりは忘れちゃったみたいにはしゃいで、あぁよかったって思ったの」
母はそう言って話を締めくくって、また歩き始めた。どうやら何を見るかより、誰と見るか、だったみたいだ。当時の俺にとって最重要だった人物は母だったのだろうし、そんなふうに空を見る余裕もないくらいに世界の広さに打ちひしがれてしまった後だったから、余計に綺麗に感じたんだろうと思う。
あのときの気持ちを思い出せなくなったのは、きっと成長なんだろうと思う。見えている世界が広がった証拠で、何かに依存していない証拠。だけど、同じ空を見て綺麗だと思えないのは、間違いなく心がすり減ってしまったということだ。それは悲しいことのようだけど、きっと当たり前のことで、諦めるしかないことだ。どちらかと言えば、そんな心でも美しいと思えたり、やりたいと思えることが一番大事なことなんだろうと思う。子供の頃のやりたいよりも、今のやりたいの方がよほど重い。今やりたいことを見つけたら、きっと一生やっていられることになるに違いない。
「アイス買って帰る?」
母の言葉に、黙って頷く。なんとなく、素直に返事をすることができなくて。それでも、頷いただけで母は嬉しそうだ。
アイス売り場を眺めてみても、子供の頃みたいに、好きなアイスがあるわけじゃない。何かを選んで何かにこだわることがどんどん苦手になっていって、勧められたものをいいものだと信じ込もうとして、何割かの満足感を得られたことに安堵する。そんなことを繰り返す度に、こだわりのない人生を歩んでいるのは何故なんだろうと考える。こだわれるほど興味がないだけなのか、こだわりを持つことを認められた人間だけが何かにこだわっていいと思い込んでいるのか、またはもっとどうしようもない理由で、別にどうでもいいと割り切ろうとしているのか。こだわりのない人生は、考えようによっては楽なものだから。他人から見てどんなに惨めな生活を送っても、そこに何のこだわりもなければ何とも思わない。そんな人生を過ごしていく準備ができているようで嫌だから、本当はもっとこだわっていきたいんだけど。
「あんた、いつもそれ買うよね」
バニラアイスを買い物カゴに入れると、いつも通りのセリフが返ってくる。好きなんだよ、といつも通り返して、これ以上言及されたくなくて先の方に歩いていく。
いつもと同じものを買う、というのは、こだわりでもなんでもない。それ以外に選択肢がないだけだ。知らない味に挑戦してみる気も、そういえばこれを食べていた時期もあったなぁと懐かしんでみる気もない。何の感情も湧かないいつも通りの味を、何も考えずにいつも通り食べていたいだけ。傍から見たら本当に、何が面白いのかわからないだろうな。
今日の散歩は本当に有意義な時間だった。自己理解が深まる時間というのは、いつだって素晴らしいものだ。そんな風に自分に言い聞かせないと、俺が青空を描けない理由が、ただ興味がなくなっただけだという事実を突き付けられたことに落ち込まずにいられない。部屋に戻って今朝の絵を見てみると、まぁそれなりに上手く描けたんじゃないかと思ってしまう。こんなに興味がないものを、よくここまで綺麗に描けた。そこに納得して満足できたら、それでいいんじゃないだろうか。こだわりたくないことにこだわる必要なんてないんだし。
時刻は夕方を過ぎて、日が落ちると暑さも落ち着いてきた。大した目的や用事もなく外に出るなら、間違いなくこの時間だと思う。今日の俺がしていたことって、そもそも間違いだったんじゃないだろうか。自分を責めてしまう前に、アイスを食べよう。甘味はすべてを解決してくれる。
少し溶け始めたバニラアイスをスプーンですくって口に運ぶ。じんわりと口の中が冷たくなって、どろっとした甘みが広がっていく。何も考えなくていいような気持ちになれるから、この感情はプラスなんだろうと思う。もし幸せになるようなことがあれば、俺は甘いものを口にしないタイプの人間なんだろうな。
一日を終えるに足る体験がないとき、人は夜更かしをしてしまうものだ。つまり今日の俺は、きっと寝ようとしないに違いない。体力が限界を迎えて倒れ込むように寝てしまうまで、俺は起き続けようとしてしまうんだろう。
そうはなりたくないな、と心から思う。すべての日に満足したいわけじゃないが、これだけ何でもしていいような日にすら満足できないなら、もう何にも満足できないんじゃないかという気がしてしまうから。
絵を描き直してみよう。もしかしたら、もっといいものに仕上がるかもしれない。いや、もっといいものに仕上げないといけない。新しい画用紙を出して、にらめっこを始める。
思い出の中の景色を描けないなら、まだ見たことのない景色に挑戦すればいい。本当は、ずっとわかっていた。見たことのある景色がそんなにも美しいのなら、俺はこんなふうに育っていないはずなんだ。思い出に浸りたいという気持ちよりも、人生をもっといいものにしたいという気持ちの方が、今の俺にとっては強いのだから。
抜けるような田園風景を切り裂くような山の木々が、夏らしく青くこんもりとした葉をつけて、その雄大さを最大限に演出している。だけど、それすらも小さく見えてしまうくらい空は広くて、深い。本当は限りがあるものなのに、どこまでも続くと錯覚させるくらいに。
どこまでも続く空、か。俺にとってどこまでも続く空というのは、月のない夜空だと思う。街灯がなければ一歩先すら見えないような、そんな深い闇のこと。誰にとっても先がわからなくて、この夜は明けるんだろうかと不安になってしまうほどの、そんな深い黒こそが、俺にとってのどこまでも続く空だ。
それなのに夏の空は、そんな俺の勝手な思考を吹き飛ばしてしまうほどに、これはどこまでも続くものなんだと錯覚させる。どこに行っても青空に包み込まれているような、そんな安心感をくれる空だ。そういえば、冬よりも夏の空の方が青く見える理由って何なんだろう。何となく知りたくなって、久しぶりに調べ物をしてみる。
夏の空が青く見える理由は、夏の方が太陽光がまっすぐ地上に届くから、らしい。太陽光も虹と同じく人間の認識できる7つの色で構成されている。それを視認できないのは、7つ集まると無色に見えるかららしい。その7つ集まった白色光という光のうち、青が強く見えたり赤が強く見えたりすることによって昼の空と夕方の空は色が違う。波長の小さい青く見える光は空気中の分子と衝突して散乱するため、波長が大きく比較的真っ直ぐ地上に届く赤く見える光に比べて、見えている範囲が広い。冬に比べて夏の方が太陽光が差し込む角度が浅く、光がまっすぐ地上に差せば差すほど赤い光の散乱が抑えられるので、夏の空はより青く見えるという仕組みらしい。つまり夏の空を描くときは、冬の空を描くよりも濃い青で描くべきだということだ。
こう考えてみると、画家に限らず専門性の高い業種に就いている人にとって、知識は武器でありマストアイテムなんだろうなと思う。世の中の仕組みを理解すればするだけ、それに対するアプローチを考えることができる。誰かに何かを説明するとき、その仕組みを言い表す語彙が多ければ多いほど理解を得やすいのと同じように、知識量は多ければ多いほど、描いたり作ったりできるものも増えるんだろう。それは消費する側にとっても同じことが言えるから、絵やものを集める趣味がある人は文化レベルが高いんだと思う。世の中に興味があることは直接、世の中を楽しむことに繋がる。本当に俺に足りないのは、きっと知識や教養なんだろうな。
必要に迫られなければ知識や教養を蓄えないことは、なんだか不幸への近道であるような気がする。もっと気軽に色んなものに興味を持って、何かを知ったり理解することに達成感や意味を感じられたら、俺は幸せになれるのかもしれない。
下描きに色を塗り始めると、理想と知識が融合していくような気がして、人生で初めてと言っていいほどわくわくしながら筆を進めていけた。絵を描くことってこんなにも楽しかったのか、と感動しながら描き進めていく。
この世界のすべてのことには理由があって、理由があるということは誰かにとっては意味がある。だからこそ汚くて、だからこそ美しいんだろうと思う。綺麗な人ばかりじゃないけれど、汚い人ばかりでもないから。俺はこの絵の中にどれだけの意味を込めて、どれだけの思いを込められるだろう。それが強ければ強いだけ、いい絵を描くことができるんだと思う。
思いの強さが必ずしも結果に繋がるとは思わないが、思いが強くないと成せないこと、続けられないことというのは確実にあると思う。それが足りないから、俺は人生をつまらないと思っているわけだし。
自分に甘いようで、実際ストイックなんだろうな、俺という人間は。軽い気持ちでやってみたことを評価されても複雑な気持ちになるだろうし、できることよりもやり続けたことにこそ価値があると思っているから。
今日の俺がしてきたことは、意味がないことじゃない。実際見たこともないものを表せる人間というのはいない。どれだけフィクションや空想とは言っても、それはこの世界に存在するものと地続きだ。たまたま空を飛ぶ蛇がいないから龍は空想上の生き物で、たまたま逆行できないからタイムトラベルは夢のまた夢なんだ。つまり、現実に存在するものと存在しないものの狭間こそが人間の想像力だということ。だから俺は、空を見る必要があったんだ。あの青く広く、どこまでも続くような空を。
「おぉ…」
描き終わったあとの余韻が、絵の具が乾いたあとも続いている。両手に流れ込む血流は明らかに増していて、何をしているわけでもないのに手が震えている。これが達成感というやつなら、これに取り憑かれる人間がいるのも納得できる。この絵に題名を付けるとしたら、何になるだろう。食べかけていたアイスはどろどろに溶けてしまっていて、多分もう冷たくもないだろう。絵を描き始めてからは、もう6時間が経っていた。一日の4分の1が過ぎたというのに、あまりにも一瞬のできごとのようだった。
夜に浸りたいわけでもないのに深夜になってしまったのは、人生で初めての経験だ。窓の外に広がるのは、誰かが一日を終えた景色。俺の一日もようやく終わったと報告するようにじっくり眺めて、カーテンを閉める。
スマホを確認してみると、3件通知が来ていた。音量はだいぶ大きめにしているのだが、それに気付かないくらいに集中して描いていたのか。誇らしいような、もし集中しているときに地震が起きたりしたらどうしようというような、微妙な気持ちになる。最初の2件はやらなくなったのにアンインストールせずにいるゲームの通知、残りの1件は千早からのメッセージだった。
『今起きてたりしないよね』
時刻を確認してみると1時間前だったので、もう寝てしまっている可能性は高い。だけど起きていたら、今日のことを聞いてもらいたい。そんな期待を込めて、起きてるよ、と返信する。
『電話かけてもいい?』と返事があったので了承すると、俺の返信を見たのか見ていないのかもわからないほどすぐに電話が鳴った。
「もしもーし」
自分の声色があまりにも上機嫌で、その単純さに苦笑する。満足いく一日を送った日の俺は振り切ったようにポジティブで、それを気に入らない人間もいるだろうなと思う。いつもと違うことをするとき、その違和感の受け止め方は人それぞれだ。別に気を遣うわけじゃないけれど。
『なんかいいことあった?』
それに対して、千早は嬉しそうに聞いてくれた。俺がポジティブなとき、千早は基本的にそれを受け止めてくれる。
「見て欲しいくらい素晴らしい絵ができたよ」
『おぉー!課題のやつ?』
「そうそう。一回描いたやつが気に入らなくて、最初から描き直したんだよね」
今思うと、本当に俺らしくないことをしている。納得できていなくても完成したらそれでいい、みたいな絵を平気な顔で提出するタイプの人間なのに。
『満足いく出来になったんだね、見てみたいな〜』
きっと千早にとっても意外だったと思うが、そんな野暮なことを言うタイプではない。立ち回りが上手だなぁと思う部分のひとつだ。
「夏休みが終わったら嫌でも見ることになるよ」
『嫌なんてことないけど、楽しみにしておくね』
でも、だからこそ、俺は必要以上に嬉しそうにはしたくなかった。きっと俺が人生で一番くらいの満足をしていると知ったら、千早は今日眠れなかった話をしなくなるだろうから。
千早のようなまともな人間にとって、夜眠れない理由なんてネガティブなものしかないような気がする。きっとそんな話がしたくて、俺と電話をしたいと思ってくれたんだろう。
『今日SNSのアンケートみたいなのをやってて思ったんだけどさ、夏祭りと花火大会を別扱いするのって、ちょっと違和感があるよね』
「あぁ、花火大会って夏祭りの延長みたいな認識があるってこと?」
『そうそう。今行きたい場所は?っていう質問だったんだけど、どっちを選んだらいいのかわからなくなっちゃって』
「どっちかをとりあえず選んだらいいのに。律儀だなぁ」
言いながら、実際聞かれたら俺も迷うだろうなと思う。花火大会に行きたい気持ちと夏祭りに行きたい気持ちは、言われてみたら全然別物だ。食べ歩きや雰囲気を楽しむことをメインに行動するのか、花火を鑑賞することをメインに行動するのかでは、モチベーションや服装なんかにも差が出るだろう。花火大会に行くことが決まっている今となっては、花火のない夏祭りを楽しみに思えないし。
『で、そういえば来週花火大会に行くんだ!って思ったら、眠れなくなっちゃって』
本題はそんなところじゃないんだろうな。雑談パートが長ければ長いほど重めの相談が来たりするんじゃないかと思って、少し気が重くなってくる。
「そんな小学生みたいなことある?」
笑いながら言うものの、もう今日の達成感も忘れてしまうくらいに頭は回っている。俺は恋愛のことも、自分以外の悩みのことも、その解決策なんてひとつも持ち合わせていない。共感だけで救えるような悩みだらけではないだろうし、何かコメントを求められたときに返事できないのが、一番駄目な気がする。
もともとそんな風に思うタイプじゃないだろうが、千早には、孤独なんて感じて欲しくはない。他人は自分に無関心で、誰かに助けてもらうよりも自分が自分を救う方が早い、なんてどだい無理なことを、効率的だなんて思って欲しくない。
今日に満足できたのだって、千早と過ごした日々が意味のある一日を教えてくれたからだ。その方法にまでは辿り着かなくても、それがどんな日なのかは、もう充分過ぎるほどに理解している。そして今日の俺は少しだけ、それに近い日を過ごすことができた。だから、返せるものがあるなら返したい。
『私だってそう思うけどさ、仕方ないじゃん、本当にそうなんだから』
「え、本当にそれだけで寝られなくなったの?」
俺の決めた覚悟を吹き飛ばすような明るい口調が鼓膜を揺らして、俺は気の抜けたような声しか出なくなる。
『そうだって言ってるじゃん!何回も言わせないでよ』
なんだ。
心の底から、本当に心の奥深くの方から、そんな3文字が浮かんだ。きっとこれよりも深い安堵はなくて、それより嬉しいことはない。
なんだ、何かが悲しかったり、何かがつらかったりすることが理由で寝られなかったんじゃなくて、そんなにポジティブな理由だったのか。安心したらひとりでに笑いが起きて、なんだか千早をすごく馬鹿にしているみたいになってしまった。
『そんなに笑うことないじゃん!宮城は楽しみじゃないの?』
「楽しみだから、今日は絵を描き直そうなんて気になったんだよ」
『ほら!宮城だって結局寝られてない!』
言ってから恥ずかしくなったのだろう、千早は深夜とは思えないほどの口調で捲し立てる。
「でもそんな、遠足前の子供みたいな理由じゃないよ。絵を描いてたらたまたまこの時間だっただけ」
自分の表情ってあまり想像がつかないが、少し嫌われるくらいにやにやしているに違いない。
それにしても、俺との予定が楽しみで寝られないって、俺もちょっと恥ずかしくなってきたな。いじり倒しているから何ともないだけで、ああやって覚悟を決める時間がなかったら、お互い照れて黙り込んでしまったに違いない。
「でもまぁ、本当に楽しみだね。来週」
『雨だけがちょっと心配なんだよね』
「もう予報まで見てるんだ。てるてる坊主とか作る?」
よくもまぁこんなに一瞬で人を小馬鹿にできるものだな、と自分に感心する。嫌われることも多いだろうけど、これを面白いと思ってくれる人がいたら、そういう人とはずっと一緒にいられるような気がする。
『作らないけど、お祈りだけは毎日しておこう。宮城もするんだよ』
「忘れなかったらしておくよ」
きっと忘れないだろうけど。程度で言えば、俺だって同じくらい楽しみにしているはずだし。
『宮城が馬鹿にするせいで、もっと目が覚めちゃった』
「俺も笑いすぎて寝られないだろうし、もう少しお話しようか」
けらけらと笑いながら言うと、また馬鹿にする!と怒られる。幸せな時間だ。こんな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまう。
それから俺達はいつも通り、どうでもいい話をした。会ったばかりなのに話題は尽きなくて、本当に不思議な気持ちになる。波長とか、テンポとか、そういう後からではどうにもならないものが、すごく合っているのかもしれない。
今日調べた夏の空が青く見える仕組みは千早も知らなかったらしく、興味深そうに話を聞いてくれた。
『絵を描くために調べものをするって、向いてるんだろうね』
「そうかな、別に今後必要に追われなくても描くほど好きなわけじゃないけど」
『絵が、じゃなくて、何かを表現することが。ほら、宮城って話も上手だし、面白いことに対しての興味も深いじゃん』
「あ〜、そう言ってもらえるなら、そうなのかも」
言われてみたら、何かを表現するにあたって、それに関して調べものをして情報を集めるって、大事なことなんだろうな。それをやるかやらないかで、自分にあるものだけで勝負をしなければいけないのか、既にあるものを膨らませて、なおかつ自分の意見も交えて表現することができるのかが変わってくる。なるほど、その点において俺は、自発的に何かを作るということに向いているのかもしれない。
『もし有名人になったら、私の話もしてね』
「そのときまで仲が良かったら考えるよ」
できたら千早とは、ずっと仲良くしていたいな。そんなに長い間付き合いがあるわけではないだろうけど、せめてこの時間が続く限りは。
『仲がいいままでいよう。約束だよ』
きっと千早も、そう思っているんだろう。あの公園の東屋で、二人で座り込んで話をするような時間は、環境が変わっても続くような永続性のあるものじゃない。進む道が違えばあそこに行く理由もなくなるし、それは多分、どちらからともなく終わっていくものなんだろうと思う。
「うん、約束しよう」
だけど、続かせる努力はできると思う。少なくとも、こうやって何度も有限だと言い聞かせて、終わらせるわけにはいかないと思い続けている限りは。
どこまでも続くものって、本当はどこにもない。この宇宙だって終わりがあって、どこかには果てがあるらしいし。
それでも俺達人間の感性では、地球を一周することすらも難しい。できないわけじゃないだけで、ほとんどの人間がそれをしたことはない。窓の外の景色すら限りがあるようには見えないし、その上をすっぽり覆う空は、もっと限りがないように見える。
「…せめてこの空くらいは続く関係性だといいね」
『どこまでも続くってこと?』
「少なくとも俺達は、そう思っていられたらいいねってこと」
有限だから、限りがないことを望んでしまう。つまり、限りのないものを挙げてしまえば、それは限りがあることになってしまう。だから俺は、無限にも感じるような有限であったらいいと思う。いつか終わる覚悟をすることじゃなくて、いつか終わってしまったときに、それに納得できたらいい。
『そうだね、うん。そう思っていよう』
それから少しだけ会話をして通話は終わったものの、なんだかしめやかになってしまった。終わりを考えるとき、こうなってしまいがちだ。当たり前だが、まだ終わって欲しくはないらしい。
カーテンを開けて空を眺めると、日が昇りかけているような時間だった。何時間電話をしたんだろうと思って時刻を確認すると、もう朝の4時半だ。今日の昼はきっと、寝ていたら終わってしまうだろう。この時間に何もしないことが決定する日も、そんなに悪くはない。満足の余韻がまだ続いている。
ひとつ怖いことがあるとすれば、このままだらだらと生活習慣が崩れていって、夏休みが終わってしまうことだ。あと2週間って思ったよりも長くはないし、課題が終わったとはいえ、勉強をしなくてもいいわけでもない。
今日はもしかしたら、眠気を我慢するという苦痛に耐える日になるかもしれない。まぁ、それも別に悪くはない。やることがないよりも、何かをやろうとしている方がいい。やろうとしていることは、決してまともなことではないけれど。
部屋が明るくなってきたので、描き終わった絵をもう一度見てみることにした。誰に評価されなくても、俺だけはこの絵をいい絵だと思う。きっと一番大事なのは、自分自身がそう思えているということなんだろう。この朝焼けには遠く及ばないが、それでもこの絵は美しい。初めて自信を持って提出できる課題になった。それよりも重要なことなんてきっとない。
早く学校に行きたい。そう思ったのは、人生で初めてのできごとだ。何か記念日を制定できるとしたら、2次選考くらいは通過する可能性のあるできごと。
満足感に浸っていたら、結局眠くなってきてしまった。昼間に起きて、今日は何もしないぞ、と意気込むことにしよう。
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