第5話・散る
やがて季節は巡り、自転車を漕いでバイト先に向かっていると耳や、頬や、手先が痛いくらいに凍える季節となる。
「しぃ、ちょっと寄り道していい?」
既に勤務時間を終えた後、バックルームで
「大丈夫ですよ」
「良かった。じゃあさ、しーちゃんも一緒に、星見に行かない?」
助手席に座っていたアザちゃんは体をよじり私を見据えて言う。
「星、ですか?」
私の家には私の帰りを心配するような家族はいなかったので、時間的な問題はない。けれど、果たして星を見に行くカップルに同行していいのかと逡巡した。買い物やカラオケについて行くのとはわけが違う。
流石に断った方がいいと思ったが結局、「今日流星群なんだって、めっちゃキレイらしいよ!」と、興奮気味に続けたアザちゃんの誘い文句にあっさり負けてしまった。
美しい夜空は当然見たい。そしてそれ以上に、夜空を眺める二人の顔が見たくなってしまった。
×
車は私の知らない道を走り続け、街灯のない真っ暗な山道を登り続け、首都圏にもこんな辺鄙な場所があるんだなぁと無知ゆえに失礼な感想を抱いていれば、名前も知らない山の頂に辿り着いた。
駐車場にはまばらに車が停まっていて、巨大なカメラを設置している人の姿がちらほらあった。
車から降りると瞬時に凍てつく寒さで全身が震え上がる。真冬の山頂には相応しくない服装だから当然だ。
傾斜になっている場所まで歩いて移動すると、ウメ先輩がおもむろにコートを脱いで草むらに敷く。
三人でその上に寝転がると今度はアザちゃんがコートを脱ぎ、それを三人で一緒に被った。
右隣にウメ先輩がいて、左隣にアザちゃんがいて、私は二人と手を繋ぐ。三人分の体温を詰め込んだ即席の寝袋は、じんわりと汗が滲むほど温かい。
「あのね、しーちゃん」
「なんですか?」
眼前に広がる漆黒には満天の星々が煌めいているが、流れはしない。ただじっと、私達の
「私達ね、引っ越すの」
「……そうですか」
辺りは静寂に満ち満ちていて、アザちゃんの声音が妙に寂しく聞こえる。
「そんなに遠くはないんだけどね、でも、私もウメちゃんもあのコンビニは辞めちゃうから。しーちゃんには、最初に伝えたくって」
「…………そう、ですか」
薄々わかっていた。アザちゃんの卒業と就職のタイミングに合わせて、二人が新しいスタートを切ろうとしていることは。
それでも馬鹿みたいに、この幸せが永遠に続くと信じていた。信じたかった。
「……」
「……」
「……」
何も、何も言えなかった。
教えてくれてありがとうございます。おめでとうございます。これから頑張ってくださいね。どんな言葉もしっくりこない。全部、どこか他人事に聞こえてしまう。
でもそうじゃない。この気持ちは、感情は、他人事なんかじゃない。
「…………アザちゃん、ウメ先輩……私は――」
ようやく。脳内の複雑な感情を言語化して出力しようとしたその時――
――ツ、と。水銀を零したように、煌めきが夜空をか細くなぞる。
何が合図だったのか、それらは溢れ出すように突然、次々と流れては消える。
「私は――」
私が好きな二人は、好き合っている。ウメ先輩のことが好きなアザちゃんが、アザちゃんのことが好きなウメ先輩が、そんな二人が大好きだった。
この時間が、この空間が、この温度が、好きで好きで仕方なかった。
だけど、今日で終わる。嫌だ。ずっとこのままがいい。明日なんて、朝なんて来なければいい。ずっとこの夜空を見つめていたい。
――それでも、私は言葉を紡がなければならない。2+1は3になれないのだから。
「――私は……寂しいです。心の底から寂しいです。だけど……二人が幸せになってくれるなら、それ以上に嬉しいです」
遂に視界がぼやけた。まばたきをする度に涙が溢れて、でも、二人と手を繋いでいるから拭うこともできなくて。流れゆく星々に何かを願う余裕なんて、どこにもなくて。
「二人のことが大好きです。今までも、きっとこれからも、ずっと」
私の言葉を受けて、二人は全く同じタイミングで繋いだ手に力を込める。
それがなんだかおかしくって、どこか嬉しくって――ゆっくり、ゆっくりと瞳を閉じて、ゆっくり、ゆっくりと、二人の手を握り返した。
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