第15話
「変なもの買うね」
飲み終えた千葉県民のソウルドリンクの空き缶を手に持ったまま帰宅すると、真紀は「おかえり」よりも先にそんな事を言った。目線に軽蔑を感じるが、軽蔑される理由が流石にわからない。
「飲んだことない?」
「ない」
「いる?」
「そんなの捨ててから帰りなよ」
確かに、帰り道の途中に自販機はいくつかあり、その横にゴミ箱はあったように思うが、あれは厳密には買った自販機のゴミしか捨ててはいけないのではないだろうか。そんなルールは無いのかな。
「最近遅いのは、例の先輩といるわけ?」
「まあ、部活だからな」
缶をいったん床に置き、靴を脱いで玄関に上がる。再度缶を拾い上げると、真紀が汚物を見るような普段の目つきで睨む。
「まさか先輩に奢ってもらったとかじゃないよね、それ」
「惜しいな」
厳密には、細かいのがないとかなんとか言われて端数は僕が払っていたため奢られてはいない。そもそも全額をえみりが出したとして、果たして弁当を奪われて奢りというのだろうか。税金を取りすぎたので一部還付したことに感謝しろ、みたいな話ではないだろうか。
「最近、帰るの早いな」
「そっちが遅いんでしょ」
多分そのどちらも正しく、真紀が遊び歩くことは減っていて、もともと帰宅部だった僕は部活ということで帰るのが遅くなっている。
「学校生活、大丈夫か? 親に言いにくかったら僕から言うし、学校なんて無理していかなくても」
「お前の頭が大丈夫かよ」
兄として、調子に乗った妹が学校で立場を失った可能性を憂慮し、言葉を選んだはずだったのだが、逆に心配されてしまったようだ。慣れない兄ムーブをかますものではない。
「僕は多分大丈夫。たぶんね」
そういって自室に向かうと、なぜか後ろについて来られる。刺されるのだろうか。コーヒーを机に置き、荷物を下ろして振り返る。
「さっきからまじでなんなの? 用事があるならはっきり言ってくれない?」
「例の先輩とはどうなの? 進展あった?」
どうも兄の浮いた話が気になるようだ。そんなブラコン妹みたいな感情があるのかは疑問だが、奇異な現象に対する興味か、自身の恋愛がうまく行っていないことで兄を蔑んで溜飲でも下げようとしているのだろう。役に立てるなら立ちたいところだが、あいにく話すほどの内容もない。
「進展というのが恋愛的な意味なら、絶対にないよ」
「でも、好きじゃん。あ、彼氏持ちなの?」
「……そんなところ」
人のセクシャリティを勝手にアウティングするわけにはいかず、言葉を濁す。とはいえ、このごまかし方も、実際のえみりにはひどく失礼なことだ。正解は今の僕にはわからず、かといってえみり本人にも聞き難い。
「なんなの? うまくいきたいとかないわけ? あっちの彼氏はどんなひとなの?」
「もう、そのへんにしてくれ」
僕はあいまいな笑みを浮かべる。
「着替えるから出てって。さっさと」
真紀はなにかいいたそうではあったが、渋々と部屋を出ていった。自分の言葉がひどく冷たかった気がして、そこは後悔する。良い兄らしい振る舞いを求められているわけではないだろうが、良き人としてさえ振る舞えないのは、年長者としては恥ずかしいことだ。
えみりを好きなのか? 僕は。真紀があんなことをサラッと言うってことはあからさまに? それともカマをかけていっただけ?
机においた黄色いコーヒーの缶を眺める。購入直後にえみりに「毒味」と称して半分ほど飲まれたもので、口をつけることもできず中身の残ったまま持ち帰ってしまった。意識しすぎなことは自分でも分かっているが、思春期の男子なんだからしょうがないだろう?
僕は制服を脱ぎもせず延々と視線を缶コーヒーと床とで往復させて、目が回りそうになった頃に決心を固める。大したことではない。そもそも奪われた弁当の代わりで、えみりはアセクシャルなのだ。ただの先輩後輩関係として、ふざけた横暴な先輩が、謝罪代わりのコーヒーを自分で半分のみ、残りをよこしただけなのだから。
缶を手に取り、口をつけて一気に中身を流し込む。初間接キスは歯が溶けるかと思うほど甘く、かえって喉が渇いた僕は、なんだか自分の間抜けさがバカバカしくなってきて、制服から部屋着に着替えて、缶を台所に持っていき、何度かゆすいでゴミ袋に突っ込んだ。冷蔵庫には母が作り置きしている水出しのジャスミンティーが入っていた。コップに注ぎ、一気に飲み干し、口元を拭う。えみりが昼に似たような動きをしていたことを思い出し、なんだかおかしかった。
「……キモっ」
薄ら笑いを浮かべていた僕を見て、通りがかった真紀はそう吐き捨てていく。いつもどおりの光景だが、よく考えるといくらなんでも酷いな、と思う。
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