第16話
デジャブかな。昼休みに弁当をカバンから取り出した僕は、まだ見慣れない、昨日も見た顔をみてそんなことを思う。中村は殺意をこもった目でこちらをにらみ、舌打ちして立ち去っていく。何も言われなかったので僕の自意識過剰として処理することも可能だろうが、殺意の発信源がやや腫れぼったく見えた気がして、僕は弁当を持ってその後を追おうとし、思い直して弁当はおいておくことにした。
外は今にも振りそうな天気で、夕方からは雨の予報だ。気象情報は早めの梅雨入りで野菜の不出来を心配していた。昨日と同じ体育館脇のベンチは、珍しく誰もいない。湿度も高く、あまり外で弁当を食べるような気候ではないのだろう。
中村はベンチの横に立つ。少し迷ったが二人揃ってベンチの前に立ち尽くすのも変なので、僕は腰掛ける。するとすぐに、中村が震える声を絞り出す。
「お前が、ゆいになんか余計なことをしたんでしょ」
「僕は昨日から今日にかけて渡辺さんと話してもいないよ。連絡先も知らないし」
不憫には思うが、人のせいにされても困る。
「じゃあ、どうして昨日……」
電話で振られでもしたのだろうか。渡辺さんはあまり人を振るのが上手ではないのかもしれない。そんなものが上手な人間がいるかどうかもわからないが。それとも単に魔性の女なのかな。ギャップがあるとモテるというなら、目の前で怒りと悲しみに震える中村のほうがよほど普段とのギャップがあるが、世の中はままならない。
ただ、思い当たることがないではない。昨日何があったかの詳細は知らないが、今日の放課後に僕が渡辺と話すことはたしかで、その流れに持っていくために、えみりが渡辺に対して何をしたのだろうか。えみりのことだからおそらく、渡辺を揺さぶるような言動はしているわけで、そのしわ寄せが中村に回ってきても不思議ではない。
「あの先輩も、あんたも、なにがしたいわけ? 人が振られるの見るのが楽しい?」
「いや、楽しくはないな」
進藤も中村も、渡辺に振られる人間が増える度に僕の平穏な日常が乱されているようにしか思えず、学校という場所での恋愛をある程度制限するのはやむを得ないような気さえしてきている。もっとも人間関係を学ぶのが学校である以上、恋愛を制限しては片手落ちも良いところかもしれない。
「えみりさんが何を考えているのかは、僕もまじで一ミリもわかっていないんだけど、僕個人としては、最初は渡辺さんと進藤とよりを戻せないものなのかなと思ってたのは確かだ。それは無理みたいだけど」
中村に怒鳴られるとおもっていたが、無反応なのでとりあえず続ける。
「いまは、自分でもクソだと思うけど、どうしてこうなったのか、というのが単に知りたいだけかもしれない。中村さんは……中村さんがどういう人間なのかは知らないけど、渡辺さんと親しいことはたしかで、その中村さんも渡辺さんに振られて、進藤も僕から見たら良いやつだけど振られて。人間の感情なんだから理屈じゃないのかもしれないけど、どうしてそうなるのかの説明を立てたいんだよね」
「……意味わかんないし、最低だな、お前」
はっきり言ってもらえるとかえって楽だった。開き直りだが、変に擁護されてしまうと自分の行動を勘違いしてしまいかねない。こういう正直なところが、渡辺と中村の共通項なのだろうか。担当楽器が同じというだけで、親しくなるには十分なのかな。
「別に新聞に書いたりはしないよ。えみりさんもそれはわかってるし、そんな内容の新聞なんて校内に出せるわけがない」
しかし、それならなんで僕とえみりはこんなことにかまけているのか。えみりは何を考えているのだろうか。自分で話していても謎で、人を説得するにはずいぶんと力不足だ。
中村は睨んだり怪訝な顔を浮かべたり、僕に対する感情を整理できていないようだった。渡辺に振られたことだって整理できていないだろうに、より混乱させてしまっているように思う。解決策を提示できそうになく、むしろ自分でも首を傾げそうになっていたところ、僕の横に腰掛ける存在があった。すらりと伸びた手は、どうも僕の視線を吸い寄せる。
「中村さんも、なにかあれば個別に相談しに来てくれ。案外、力になれるかもしれないよ」
えみりはそう言い、中村さんは蜂が耳元に突然飛んできたかのように驚き、反射的に後ずさっていた。気持ち、わかるなぁ。
「……いつからいました?」
「中村さんが拓真に、キモいから死ねって言ったところぐらいかな」
「それは言ってないです」
中村は、たぶんいくらかは思っていたであろうことを感じさせるフォローをしてくれる。僕が最初に思っていたよりは優しい人のようだ。
「それは失礼した。こういうシスヘテロ男性の相手に疲れたら、休息がてらうちの部に遊びに来てくれていいからね」
「……失礼します」
中村はそう言って立ち去った。遊びに来るかは微妙だが、本当に来られるときはシスヘテロ男性である僕はどうすれば良いのだろうか。席を外すべき? 首をつるべきかもしれない。
中村の背中を見送り、横にいるえみりに話しかける。
「で、渡辺になにかしたんですか?」
「するのは君だろう? 放課後、部室に来てくれると思うよ」
「どうやったら、元カレの友達が話したがっているという誘いに乗ってくれるんですか?」
「そこは取材で培ったノウハウだよ。なに、拓真も半年もすればできるようになる」
具体的なところを明かさないので、法や倫理に触れる手段だろう。教えてくれそうにはないし、知らないほうが罪はわずかに軽くなりそうなので、僕は立ち上がる。
「つれないなー。もう少し先輩と語らおうよ」
「昼ごはん食べてないんで」
「大丈夫、持ってきたから」
なるほど、えみりの膝の上にはたしかに僕の弁当がある。
「いや、なんであるんですか」
「教室を覗きに行ったら、拓真がお弁当を忘れて出ていったと進藤くんが教えてくれてね。たしかになかなかいい子だね、彼は」
知らない人に他人の個人情報を話してはいけないと習っていないのか、あいつは。
スカートの上においてある弁当を、えみりが開ける前に奪い返す。すこし手がスカートに触れ、その下にある太ももの弾力をほんの一瞬だが感じる。
「乱暴だな」
「人の弁当を勝手に食べようとするのが横暴でしょうが」
「お、うまい返しだな」
「えみりさんは弁当ないんですか」
「朝遅刻しかけて朝食が取れなかったもので、早弁してしまった。成長期だから睡眠も栄養も必要なんだ」
「まだでかくなるんですか」
「いま178cmだから。185cmはいきたいね」
僕より15cmは高いわけだ。もっと高いような気がしていたが、たぶんオーラか、僕の背筋が曲がっているのだろう。
えみりは僕をジロジロと見て、ふっと微笑んだあと、
「いいよ。たんとお食べ」
と慈愛に満ちた声を出す。背の低さを憐れまれたようだが、そもそも僕の弁当だ。改めて、えみりの横に腰掛ける。
「分けてあげますよ。昨日ほどはあげられませんけど」
えみりはにやにやしている。この対応もどうやらえみりの想定内だったようだ。僕が読みやすいのか、えみりが恐ろしいのか。たぶん、どちらかといえば前者なのだろう。
箸が一膳しかないことに気がついたのはその後で、えみりのあとに、僕はほとんど食べることができなかった。厚めの唇が開き、その肌と映える白いご飯が赤い口の中に運ばれ、唾液とともに咀嚼されている姿を見て、僕はなんだか妙な気持ちになり、空腹を我慢するふりをしてうつむき、顔と股間が見られないようにするぐらいしかできなかった。
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