第14話
放課後、マスメディア研究会についたころには、えみりが中で野球漫画を読んでいた。授業受けてないんだろうなこのひと。留年されたら来年は同級生になるのかな。嫌だな。
「お、拓真、おそかったね」
「授業受けてたら、これ以上早く来るのは物理的に無理ですよ」
「人がサボっていたみたいに言うね。授業が早く終わったんだよ」
にわかに信じがたいが、そういうことにしてあげるのが後輩の優しさだろう。忘れないうちにカメラを返すと、えみりは少し意地悪そうな笑顔を浮かべていた。
「さて、そろそろどうするか決めたかな? いつまでも時間をかけても仕方がないと思うけど。お悩み相談はうちの部活の本業ではないから、そろそろ次の新聞も書かないといけないしね」
「例の怪文書みたいな新聞ですか?」
「失礼な。多様な背景の新入生を歓迎しようという優しさに溢れた新聞だっただろう。作るのに二十分はかかった」
どこまで本気なのかわかりかねるが、いつまでもストーカーじみた真似をし続けるわけにも行かないのも確かだった。中村に殺されかねない。
「問題点を整理すると、ですね」
「ほう。続けて」
僕は考えながら、言葉を選ぶ。
「大きく二つ。観察する限りはっきりしない、渡辺の『気になる人』が誰なのかということ、それと、普段はわりとはっきりと物を言う渡辺が言葉を濁していること、なんじゃないかと」
「うん。それで?」
「『気になる人』の最有力は中村で、やはり同性が渡辺にとって恋愛対象になりうるか悩んでいること、アウティングする訳にはいかないから、進藤にも伝えられなかった、というのは、まあ成立するんだと思います」
「そういいつつ、あんまり信じてなさそうだね」
「中村には悪いんですけど、渡辺は一応進藤と付き合っていたわけなんで、そりゃバイセクシャルとかもありうるんでしょうけど、進藤を振るレベルなのかはちょっと疑問なんですよね」
自身のセクシャリティを改めて問い直すきっかけになったとして、現状を否定するほどなのだろうか。進藤がすべてを開示している訳では無いにしても、健全な中学生から高校生にかけてのお付き合いとして、そう問題のある付き合い方であったとも思えない。セックスはなかったのだと思うが。
「で、渡辺がはっきりとしたことをいえない理由があるとすると、やっぱり『気になる人』が一般的な恋愛対象じゃない人なんじゃないかと」
「さっき中村さんを否定しておいて、他の人がいるってのはおかしくないか?」
「たとえば、中村さんより親しく、かつ恋愛対象にならない人となると、親族」
えみりはニヤニヤしている。
「いいね。思い切りはいい。シスコンの拓真らしい発想だ」
「渡辺にきょうだいはいるんですか?」
「確か四つ年上の姉はいるな。大学生で、他県で一人暮らしをしているはずだね」
女性か。中村に告白されて自身の性的指向を再度考えた上で、実の姉への恋愛感情を自覚するというのも、まったくありえない話ではない。もちろん実父、実母なども可能性だけで言えばありえるわけだが。
「もうひとつ、これもかなり突飛だとは思いますが」
僕は最後の思いつきを話す。えみりはおもったよりも真面目な顔をして、僕の話を聞く。これが正解なのか? 話している自分のほうが混乱してくる。
すべて話し終えて、えみりは真顔のまま、静かに話す。
「突飛だね。さて、じゃあどうする? 進藤くんに話す?」
「渡辺と、なんとか話がしたいです」
「今日は流石に難しいな」
時計は五時前になっている。吹奏楽部の練習はもう少し続くだろうが、中村の手前、渡辺と一対一で話すのは難しいだろう。
「明日の放課後、なんとか渡辺さんを呼び出してあげるよ。部活もあるだろうし中村さんを引き剥がすことを考えるとそう長くは難しいかもしれないけれど、単純な用件を話すだけなら三十分もあればいいだろう?」
「……なんとかします」
「私はおそらく同席できないから、本当はビデオでも撮っておいてほしいところだが」
「それは無理でしょう」
「まあいいだろう。よし、じゃあ決戦は明日ということだな。お腹空いていないか? 牛丼なら奢るよ」
「お昼ごはんを何者かに奪われたんで助かります」
「かわいそうに。優しい先輩がいてよかったな拓真は」
えみりは他人事のようにそう言って、帰り支度を始めた。そういえば、次の新聞を作るための何かをする気配も、僕以外の相談者が来る気配も、相変わらずないままだった。
部室を出てすぐのところに、進藤が待っていた。えみりも気がついていなかったらしく、意外そうな顔をしていたのが意外だった。えみりはそのまま先を行き、僕は進藤を部室に入れた。ドアを閉じて、えみりに逃げられたことに気がつく。
「悪いな、邪魔して」
進藤はそう言って、バッグを机におき、椅子に腰掛ける。僕も釣られてパイプ椅子にかけた。
「いや、別に大丈夫。部活はいいのか?」
「昨日試合だったから、基礎トレだけで今日は終わり」
そういうものなのか。まるで興味がないのでピンとこないが、闇雲に練習するだけでは今どき非効率なのだろう。
「で、なんの用だ?」
進藤はうつむいたり天井を仰いだりと、もじもじしながら言葉を探している。肝心なところで、案外度胸はない。そういうところがあるからこそ、はっきり物を言う渡辺に惹かれたということなのだろうか。
「渡辺のことだろ? ちょうどいいわ、俺も聞きたいし」
顔を上げて、進藤がこちらを向く。僕も言ってから中身を考えており、すぐに言葉は出ない。
「渡辺の言う『気になる人』、進藤は思い当たる人いるのか?」
「痛いところつくな」
軽いジャブのつもりだったが、傷だらけの進藤の地雷の一つであったようだ。これで遺体となると、風が吹くだけで痛みを感じるのだろう。
「全然思い当たらない。他の男の話とか聞いたことないし。一緒にいるときにスマホ見たりとか、誰か別の人と連絡取っているとか、気になったことはないよ。話題に出るのは、中村とか、部活関連のひとぐらいで」
ここで中村の名前が躊躇なく出せるのは、中村の告白までは知らないのだろう。僕に隠そうとしている可能性もあるのが、それなら名前を出さないだけでいい。
「家族の話とかは?」
「いや? お姉さんがいるってのは聞いた気がするけど、それぐらいだな。なんで家族?」
「……親に反対されたとか、そういうのもありうるのかなと」
「ああ。それはないよ。親御さんとあったことあるし」
部活の応援にも顔を出していたわけだし、一緒に受験勉強の一つぐらいしていたのだろう。そうなればどこかで会う場面もありえるか。
「親公認だったの?」
「公認とかそう言うんじゃないけど、まあ、ご挨拶ぐらいは結果的に。勉強とかであっちの家に行ったこともあるしな。親のいる時間だったから」
おもったよりも進んでいたのだろうか。あれだけの思い出を書き連ねていてまだ書き漏らしていた中身があったとは驚きだ。
「え、ヤッたの?」
「ヤッてないよ」
返答は早かった。その分、その後の沈黙が長く感じられる。
「受験生だったし、真面目に勉強してたよ。親が下にいてできるわけがない」
「渡辺の部屋ってどんなだったの?」
やりたかった感があまりにも透けていて、友人の性欲を感じたくなかった僕は少し話をずらす。
「あー……やっぱ音楽関係の本とか多かったよ。でもぱっと見は目立たないようにしてたんだと思うけど、ちょこちょこアニメとかっぽいものはあったな。多分隠しているつもりもあったんだろうけど、調べたらわかったり。俺と付き合って、野球について何も知らないから野球漫画読んだらハマったとか言ってたし、スマホの待受もちょいちょい変わってたけど、アニメっぽいのが多かったしな。で、コスプレのこともなんとなくね。え、ていうか、斎藤は見たのか?」
もはやうろ覚えになっていたが、水族館のときの渡辺と中村の姿を思い出す。クラゲの水槽や、それを背に立つえみりのほうがいくらか鮮明な記憶になっていた。
「まあ、見たっちゃ見たよ。あんまりおぼえてないけど」
「いいなぁ。俺も見たかった」
進藤は乾いた笑いを浮かべながら、ぼんやりと壁に目をやる。
「……ヤッときゃなんか違ったかな」
言いたいことは分からないでもない。わからないでもないのだが。
「俺にはわかんないけど、たぶん、ヤッてたらいまより良くないヤツになってるよ、お前。僻みとかじゃなくてね」
「そうかな」
「たぶん、ね。まあヤッたことないからわからんけど」
「わかんないよなー、ほんと。わかってたつもりになってたのが、よくなかったんかなー」
進藤は驚異的な肺活量で、語尾を伸ばしてため息までつく。僕は何も言えない。
「吹っ切れるといいな」
「吹っ切る……吹っ切るのもそうなんだろうけど、ヨリ戻すとかじゃなくて、たまには話したりできるといいんだけどな」
本心かどうかは分からないが、それを言葉に出せるだけ、こいつはいいやつだなと思う。僕だったら言えるだろうか。突然、「他に気になる人ができた」とだけ告げられ自分を振った女と、また友人になることはできるのだろうか。彼女いたことないからわからんけど。
「斎藤は、なんか色々調べてくれてたみたいだけど、心当たりあるのか?」
「あるっちゃあるよ。外れているかもしれないけど」
「教えてくれるのか?」
「まだ確定じゃないから。あと、本人に許可は取らないと」
「あー……まあそうだよな。ごめん、無理言った」
こいつはどうしてこうも人がいいのだろうか。運動部だから? いや、体育会系なんてむしろ他人の気持ちを踏みにじるクソみたいなやつのほうが多いはずだ。偏見か。偏見だな。
「あの先輩、どんな人なんだ?」
会話が少し途切れたからか、廊下側の窓に見え隠れするえみりが気になったのか、進藤が尋ねてくる。
「変わった人だよ。悪い人ではないけど、良い人でも多分ないな」
本人が聞いていることを前提にそう答える。
「野球部の先輩に聞いたんだけど、両親がゲイなんだったってな」
「は? どういうこと?」
「いや、親がゲイで、本人はインド? あたりからの養子らしい。普通に文化祭とかに父親二人で来てたとか。ふたりとも、その、見た目としては白人らしい。二年の間じゃ知らない人はいないみたいだけど」
進藤は声を潜めたが、秘密にしているわけでもない話だろうから、僕が知らないことにむしろ驚いたようだった。
「学校に来たんなら、そりゃ有名になるだろうな」
世の中色々ありうるわけだ。同性愛も養子も知識としてはあるが、身近にはたまたまいなかった。いや、僕みたいな興味本位で人の秘密を調べようとするやつからは隠されているだけということかもしれない。
「今日は悪かったな、突然来て。また明日」
進藤は戸惑う僕に気まずさを覚えたのか、席を立つ。部室のドアを開け、えみりのいる方に頭を下げて、廊下を去っていく。進藤を見送ったえみりはにこやかに部室に入ってきた。
「やあ、どうだったかな? 拓真の推理に変更はありそう?」
話の内容はすべて聞こえているものと思ったほうがいいだろう。それでも、えみりはいつもどおりだ。
「いえ、特に変わらないです。……最後、個人情報を勝手に聞いてすいません」
「公開情報だから別にいいよ。びっくりした?」
変わらない様子は無理をさせているのか、それとも本当に気にしていないのか。そのあたりの判断を含めて、僕を測っているのか。
「そうですね、六つ葉模様のクラゲを見たときぐらいには」
「なかなか良い返しだね。先輩の指導が良いんだろうな」
自画自賛だが、実際そういうことになる。手の上で転がされている感じはどうしても拭えないが、まだ転がされる程度のものであることも確かだった。
「じゃあ帰ろうか。ジュースぐらい奢るよ」
牛丼からいつの間にかスケールダウンしていた。文句をいうのもバカバカしく、僕とえみりは部室を出て、並んで廊下を歩く。自販機で売っている一番カロリーの高い飲み物はなんだろうか。乳酸菌飲料か甘いカフェラテか。コーンスープは量が少なく、やはりペットボトルの甘い飲料が必要だろう。
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