第18話

 金曜の朝、下駄箱の近くの掲示板に、新しい新聞の一面を模造紙大にしたものが張り出された。半分はえみりによる吹奏楽部と野球部の新入部員や今年度の目標などに関する記事で、四分の一は僕の書いた水族館の記事だ。残りの四分の一は、部員募集広告だ。さらにいうと、広告のスペースの八割はマスメディア研究会の部員募集で、残りの二割の部活は存在していない部活だ。その下にある机に、A3を二つ折りにした冊子が大量に置いてあるが、特に誰も持っていく気配のないことを確認し、少しホッとして教室に向かう。極めて残念なことに、野球部の朝練ももう終わっていたようだった。進藤は僕を見て嬉しそうに新聞を掲げる。

「お、水族館の記事、良かったぞ」

 野球部の記事が載っているから当然ではあるが、進藤は手に取っていたようだ。水族館の記事の末尾には分析として僕の名前が載っている。返事に困り、曖昧な笑顔を浮かべて席に着く。進藤は一瞬周囲に目配せし、少し小さな声で、

「あと、なんかいろいろとありがとうな」

 と言った。その表情は、GWが明けてからの沈んだそれとは、若干印象が変わっていた。渡辺となにか話しあったのかもしれないが、それはもう完全に僕には関係のない話だろう。

「野球部と吹奏楽部の記事を書いたのはえみりさんだよ」

「クラゲの写真は?」

「一応、俺だな」

「へー。スマホで撮ったの?」

「いや、えみりさんが持ってきた、ごつい、ちゃんとしたカメラで」

「へえ。あの吹奏楽部のイケメンの写真は?」

 吹奏楽部に関する紙面の大部分は、林先輩の顔で埋まっているのだった。しかも自撮りやご自身のプロデュースした写真が殆どで、えみりさんも言われるがままに動き、僕にいたってはレフ板代わりに白い模造紙を持ってあちこち指示通り動いていただけであった。人の名前を覚える気配のなかった林先輩があそこまで的確に指示が出せるとは驚きで、人はそれぞれ得意なものがあるものだ。取材中一度も林先輩の演奏を聞かなかったのも驚きだった。練習時間に押しかけたため渡辺と中村もその場にいたのだっが、冷ややかな視線は僕らよりも林先輩に向けられていた。とはいえあまりにもいたたまれず、僕は何も言わずに感情を殺したアシスタントに徹していたのだった。

「あれはご自身の提供だ。変な人みたいで」

「記事本文に名前が出てないもんな、この人」

 進藤はゆっくりと新聞を広げて読み、その視線は僕の書いた稚拙な文章へと映る。デートスポット紹介コーナーと言う扱いになっており、内容が適切かどうかはまったくわからない。えみりは僕が書いたものを、いくつかの誤字と表現を修正しただけでそのまま載せていた。中身についてのコメントは全くもらえなかったが、完璧なものであるはずがない。

「部活してんじゃん」

 読み終えた進藤は少し間をおいて、そんな事を言った。

「まあ、ね」

 なんだか気まずくなって、そっけなく答える。進藤はニヤニヤしながら続ける。

「最近、『鱧串』ログインしてなかったろ」

 そう言われて、はじめて連続ログインボーナスが途切れていたことに気がついた。一瞬慌てたが、もういいのかもな、とふと思う。

「俺も夏に向けて部活忙しくなるし、ゲームはもうあんまりしないかもだ。一緒に引退かな」

「一緒っていうのは、なんかキモいな」

「そう? 案外、悪くないよ」

 進藤はニヤニヤしたままだ。おちょくられているような気もしたが、たしかに、言われてみるとそう悪いわけでもない。

 その日の授業中は、進藤は一度も机に伏した様子はなかった。むしろ数学の小テストで先日の例題をアレンジした問題が出て、教室獣に鉛筆の音が響く中、名前から先をどう埋めてよいのかわからず手が止まった僕のほうが突っ伏したいところであった。

 昼休みに来訪者もなく、進藤とだべりながら昼食の昼食を終え、五時間目の世界史で意識を飛ばし、六時間目の英語で多少覚醒して授業を終えた。

 放課後、進藤はさっさと部活に行ってしまった。僕は階段まで来て、上るか下るかを迷う。

 下駄箱の手前まで来て、新聞が目に入る。机の上に置かれた新聞は、半分以下にはなっているようだった。まともに読む人間が多いとも思えないし、林先輩の顔を見たいがために持っていった女子生徒も多いだろう。

 僕も一枚、手にとって見る。林先輩の顔の圧はさておき、えみりの書いた文章と、自分の書いた文章とを読み比べる。どうにも稚拙な文章で、クラゲの写真がいくらかマシな分、浮いて見えて仕方がない。

 下駄箱と新聞を見比べ、僕は踵を返し、階段を上る。「マスメディア研究会」と掲げられたドアの前に立ち、その下に書かれた「よろず相談~恋愛、進路、人生、宇宙、神~」を眺めてため息をつく。

 ドアを開くと、えみりがスマホの画面をタッチし、こちらに突き出してくる。近づいてみてみると、ストップウォッチのアプリで、12秒07と表示されている。

「決断が遅いな」

「すいません」

 言い返すこともできないので、僕は頭を下げる。荷物を机に置き、えみりの横の椅子にかける。

「ほら、水族館代だ」

 えみりは封筒を差し出してくる。記事を書いたことで、水族館代が経費となったらしい。

「これで特別な貸し借りはなくなったな。どうする?」

「どうするもなにも」

 受け取った封筒の中身を改めて、ポケットに突っ込む。

「水族館の年パスでも買いに行きますかね」

 えみりは一瞬あっけにとられたようだったが、声に出して笑った。

「いいね、何なら今から行くか。私も行くよ」

「次の新聞用の取材とかはいいんですか?」

「そのあたりも、まあ行きながら話そう。入部歓迎会もまだだったしな、今度こそ奢るよ。年パスあると水族館内のカフェも割引だぞ?」

 そろそろ、すでにえみりが横領しているとかでなければ、水族館に広告掲載をお願いした方がいいだろう。えみりは笑顔で荷物をもち、立ち上がるとさっさと行ってしまう。なるほど、決断が早い。

 僕は後を追い、部室を出て鍵をかける。えみりの背中のポニーテールは大きく揺れながら遠ざかっていく。廊下を少し早足に歩きながら、先程の笑顔と、厚めの唇と白い歯とを思い出し、その後姿で案外スカートの短いことに気がつく。長い脚のせいでそう見えるだけで、下着が見えることはないのだろうが、太ももはそれなりに見えている。目をそらし、また視界に入れてしまう。

「拓真遅いぞ」

「廊下を走れないんで」

 階段手前で足を止めたえみりに追いつき、僕は一息つく。脚が長すぎるな、この人は。背も僕より段差一つ分は高いこの人の、横に並ぶことはいつかできるのだろうか。

 そのとき、僕は自分の感情に気が付き、同時に、理性はその終わりにも気がついた。

「楽しそうだな、拓真」

「ええ、そうですね。案外楽しいです」

 つい笑ってしまっていたのを、えみりに気づかれる。失恋にも色々あるものだ。この相談は、えみり本人には流石にできないだろう。


〈了〉

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