第8話
引っ越してから開けてさえいなかったダンボールを、クローゼットから引っ張り出す。開けると見覚えのあるようなないような服が出てきて、しまうことを考えて今からげっそりしてしまう。当日になってからやることではなかったようだ。
普段は制服、寝巻きぐらいで、休日の服もドラム式洗濯乾燥機という文明のお陰で、天候を問わず前日と同じ服を再度着ることができるようになった今、春の穏やかな気候の中で、二枚の服だけで休日すべてを賄うことができていた。さすがに人と出かける以上、今日はそういう訳にはいかないだろう。ただ、黒っぽい服の多さに自分でも気が滅入ってくる。
「なに? やっと荷ほどき?」
妹の真紀が、いつの間にか部屋に入ってきていた。ノックもないが、注意したところでどうせ改まるわけがない。
「いや、今日ちょっと出かけるから、何着ていいかと思って」
「別にいつものシャツとか着てればいいじゃん。どこでかけるの? だれと?」
珍しく絡んでくるあたり、こいつも暇なのだろう。中学に入ってからは休日は出かけることのほうが多かったように思うが、ゴールデンウィークもほとんど家にいなかったので、小遣いでも尽きたのだろう。僕の椅子に腰掛けて足を組み、こちらを睨みつけてくる。
「誰でもいいだろ。高校でできた知り合いだよ」
「へー。拓真、友達いたんだ」
意外、というのを隠そうともしない。しかし、えみりは友達とはいえないだろう。訂正するのも面倒で、僕は黙って真紀を見る。
小学校の頃の姿はすでに薄い記憶になりつつあるが、アニメキャラか何かが印刷されたピンクのTシャツを着ていたような気がする妹だが、いつの間にやら特に何も描かれていないデニム素材のワンピースを着ていた。平日着ている制服はセーラー服だったような気もするし、人間、成長するものだ。アニメキャラのTシャツの少し前まではおむつを履いていたレベルのはずだが、ダーウィンが唱えたものというよりはボールに入ったモンスターじみた進化で、どこかにミッシングリングがあるようだ。
「で、服何来ていいか迷ってんの? どうせダサいからどれでも一緒だよ。安心しなって」
「そうかもしれないけど、そういうわけにもいかないだろ」
「え、なに、女子なの?」
女子。えみりはたしかに女子高生ではあると思うが、女子? 僕より年上で、背も高い人間を女子呼ばわりして良いものだろうか。
「女性ではあると思うよ。パーカーでいいか、もう」
「え、まじで女子なの? ウケる」
真紀はさほど面白くなさそうな顔をしてそういうと、おもむろに立ち上がり、僕の前にあった段ボール箱をつかむと、中身を床にぶちまけた。賽の河原にいる悪鬼のような振る舞いに、呆然としてしまう。
「選んであげるよ。任せなって」
一切こちらの意見を聞く様子はないが、服を手に取っては見比べ、僕を見ては舌打ちして投げ捨てていく。もしかしてひょっとすると善意から生まれた行動なのかもしれないが、そのうちどこからかもっと理想的な兄を取り出して僕と比べ、両方とも投げ捨てそうな勢いだ。森の泉に落ちた二人の兄を泉の精が拾い上げて更に良い兄を取り出したとしても、この愛すべき妹は、泉の精をシカトして立ち去り、家に帰って僕の部屋をウォークインクローゼットにするほうを選ぶことだろう。
いくらかしたのちに、真紀は大きくため息をつく。
「だめだね。どれも話にならないし、そもそも中身はもっと終わってる。全裸で行ったほうがまだ印象を残せるかも」
「印象は残せるが前科もつくだろ……」
妹様のありがたい助言にため息を付き、落ちていた黒いパーカーを拾い上げる。
「別に、印象がどうとか、そういうのじゃないからさ」
「なんだ、つまんないの。そうだよね、拓真の良いところとか、かしこい妹がいることぐらいだものね」
「自己肯定感の高い子に育って兄としては嬉しいよ」
どうしてこんな子になってしまったのか。涙をこらえながらパーカーを羽織る。別にいつも通りの格好で、全裸でいるよりは通報されもしないだろう。
「どういうのなのか知らないけど、女の子と出かけるならせいぜい楽しみなよ。人生初でしょ、デートなんて」
「デートではないけどな」
部活動? 出歯亀? あまり人に言うような内容に思えず、言い換える言葉が思いつかない。
「いや、やっぱりデートなのかもな」
恋愛に詳しいえみりがどう捉えるのかは分からないし、僕の捉え方と一致している必要もないのかもしれない。真紀はなにか言いたげであったが、やがてため息をつくと、「結果は報告しなさいね」とありがたい言葉を残して部屋を出ていった。僕は床にぶちまけた衣類をみて、その後時計を見て、片付けもせず慌てて家を出る。
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