第7話
音楽室の前を通り過ぎ、二つ先の教室に向かう。フルートのパート練習はそちらの部屋でやっているらしい。えみりによると、三年が二人、二年が一人、一年が二人いるようだ。オーケストラの必要最低人数も知らないが、フルートは一般的には希望者や経験者が多く、パートに入るのに試験があったようだ。レギュラー争いみたいなのは運動部だけに限らないようで、部活というものは横暴な先輩に振り回される以外にもなかなか大変のようだ。一年は渡辺と中村だけらしい。二人は中学は別だが、互いに切磋琢磨してやっているようだ。えみりは道すがらそんな話をスラスラとして、本当にどこから情報を集めているのか、学校でまともに授業を受けているのか、怪しいことこの上なかった。
「ほら、しゃがんでしゃがんで」
教室のドアの小窓を覗きながらこっちを手招く。渡辺と中村が吹いているのを先輩たちが聞いているようだ。椅子に腰掛けた女子二人が三年生だろうか。もうひとり、二人を直接指導しているのが二年? 色の白い痩せた男子だ。背は僕とさほど変わらなそうだが、遠くから見ても顔の造形の丁寧さが違う。
「あの男は?」
「彼は吹奏楽部二年のリンくんだね。林と書いてリン。うちの学年でもっともイケメンで、最近はもうあだ名みたいにイケメンと呼ばれているよ」
あれじゃん。見ているうちにも渡辺のそばに寄り、なにか指導しているようだった。渡辺の顔までは伺えないが、距離が近いことは間違いない。いや、あのイケメンがつきっきりで指導しているなら、あれだろ。
「え、絶対あれじゃないですか。知ってたんですか?」
「そりゃ同じ学年だからね。でも彼ではないと思うよ」
えみりは自分で言ってうなずいている。
「覗いている人たち、入っていいよー」
突然、三年生らしい二人組になかから声をかけられる。うろたえる僕を後目に、えみりは笑顔を浮かべてドアを開け放つ。
「すいません覗いちゃって。マスメディア研究会でーす。取材に来ましたー」
「し、失礼します」
部屋の中の全員がこちらを見る。渡辺と林先輩は気がついていなかったようで驚きを浮かべ、中村は明らかに眉間にシワを寄せていた。
「なに、えみりちゃん、ネタ探し?」
三年生の一人が軽い調子でえみりに尋ねる。上の学年にはそれなりに知名度があるのだろうか。
「今年の大会の抱負など聞いてまわろうかと思ってまして」
「あら。部長じゃなくてうち?」
「ほら、キャッチーな人がいるじゃないですか」
「リンリンー。呼ばれてるよー」
三年の先輩方は笑いながら林先輩に声をかける。大げさにため息を付き、肩をすくめたあと、ダンスでもおどっているかのような歩き方でこちらに近づいてきた。
「えみり、用事があるなら部活中じゃなくても昼休みにでも来ればいいじゃないか」
呼び捨てに一瞬どきりとしたが、えみりのほうが要求したに決まっていた。
「まあまあ。イケメンの自然体を見ておきたくてね。演奏しているところでも写真に取れればと思っていたけど」
「後輩の指導も先輩の努めだからね。君もそうだろう?」
林先輩はこちらを指さしてくる。人を指差すなよ、育ちの悪いイケメンだな。
「一年の斎藤です」
「さとうくんね」
「斎藤です」
「さとうくんね」
「斎藤ですって」
訂正したのになぜ同じ間違いを繰り返すのか。顔はいいが、なんだか言動に怪しいところがあるのが伝わってくる。
「ごめん、人の名前苦手で。人間に名前とか……なければ……こんなことに……」
「さすがにそうはならないでしょ」
悲劇的な調子で繰り出される林先輩の暴論に、えみりが笑いながらとは言えツッコミに回っている。この学校の二年はどうなっているんだろうか。
「僕より、今年は二人うちのパートに来てくれたからね。期待の新人を取材してあげてよ」
そういって林先輩は渡辺と中村をこちらに招いた。
「マスメディア研究会の田中・モーガン・えみりです。よろしくね」
「……中村です」
「渡辺です」
中村はこちらを睨みつけている。それはそうだ。
渡辺を間近で見たのは初めてだった。小柄な印象だったが近づくとそこまででもない。とはいえ、進藤と並んだらやはりだいぶ小さく見えることだろう。長い髪を後ろで束ねている姿は進藤の遺書にも何度か触れられており、性癖が感じられていささか気持ち悪かったが、なるほど、えみりと違い、ぴょこぴょこと揺れるポニーテールはなかなか見ていて面白い。僕が猫なら遊んでいたかもしれない。
「こういう人達相手にするより、ちゃんと練習したいんですけど」
中村は三年の先輩を見て言うが、えみりがその視線に割って入る。
「二人は経験者?何年ぐらいやっている感じ?」
「……どうでもいいですよね」
「みきちゃん、ちょっと。あ、私は小学五年からやってます」
あきらかに嫌そうな態度の中村をフォローするように、渡辺がえみりに答えた。えみりも渡辺の方を向き、質問を続ける。
「どう?高校の吹奏楽は中学と違う?」
「えっと、そうですね、うちの中学も結構熱心な方だったんですけど、高校はやっぱりもっとしっかりしているというか」
最初は勢い良かったが、徐々にトーンダウンしてくる。緊張があとからやってきているのかと思ったが、えみりの背と鼻の高さに気圧されているような印象もある。
怯えたような顔をした渡辺は中村をチラチラと見る。中村はため息をついて、渡辺をフォローする。
「ほとんど皆さん経験者だし、大会出場経験のある子は一年にも多いので、今年もいいところまで行きたいと思っています」
お手本のような返答だ。えみりはウンウンうなずいていたが、突然妙なことを言う。
「寒い?」
「は?」
「いや、ほら」
えみりは中村の足を指す。昼休み同様、スカートの下にジャージを履いていた。うちの高校は何年か前から女子にもスラックスが許可されているので、クラスに何人かはそちらで登校している女子はいるし、ファッションとしてスカートと使い分けている人もいる。たしかに、中学ではよくいたような気がしたが、高校に来てからジャージを履いている女子はあまり見かけないようだ。それで、えみりがスカートであることにも気がつく。焦げ茶色の脚はどことなく漆器のようにも見えた。スカートの丈は案外短いようで、昼休みに自分が気にならなかったのが不思議なほどだった。それほどまでに奇行がいたたまれなかったのだろう。
「……別に、なんでもいいですよね。練習戻りたいんですけど」
「ごめんごめん。うん、今年も活きのいい子が入っていますね」
えみりは三年の方を向く。
「今年こそ、だよ。そこのイケメン使えないから」
「なんですかその言い方は!」
「斎藤くんだっけ? 林は顔はいいし態度は偉そうだけど、発表とか、顔以外が評価される場所に行くと緊張して全然ダメなんだよね。あまり成績もよくはないし」
「はは……」
本人を前にしてどう応じていいかわからず、僕は薄ら笑いを浮かべる。渡辺もニヤニヤしているので、後輩にもそのような認識であることは確かなようだ。中村を見ると、こちらは変わらず僕とえみりを「早く出て行け」と言わんばかりの目で睨んでいる。
「じゃあ邪魔したね。他の取材もあるのでこれで。練習、頑張ってください。大会には応援と取材行きますから、そのときはよろしくお願いします」
えみりはそう言って全体に向けて深く頭を下げる。僕も慌てて頭を下げる。三秒ほど頭を下げたあと、えみりは顔を上げて「ほら、行くよ」と僕の背中をたたき、部屋をあとにした。礼儀正しいようなそうでもないような不思議なひとだ。
「どうだった? 林が怪しいと思う?」
廊下をしばらくいったところで、前にいたえみりは歩みを緩めて僕の横にならんだ。
「あんまり思わなかったですね。ゼロでもないとは思いますが」
「おお、慎重派だね」
とはいえ、それは容疑者が少なくなるからという打算的な側面もある。もちろん同じパートと限る必要はないのだが、部活で一緒にいる相手が怪しい、という点では、まだ入学したてで他のパートとそこまで絡んでいるわけでもなく、十ヶ月付き合った進藤を捨てるほどの関係を築けるようにも思えなかった。
「じゃあ次の手立てを考えないといけないね。部活のパートも今ひとつだったと。そうなるとあとは?」
「あとは、といわれても……」
「ん?じゃあこれでおしまいにしとく? 吹奏楽部を扱った記事なら適当に作っておいてあげてもいいよ。そしたら、これ以上中村さんに睨まれずに済むかもね」
そう言って、えみりは足を止めた。僕も立ち止まり、少し考える。
結局、何も得られていないが、たしかに引き際でもあるのかもしれない。学校外の相手かもしれないし、そもそも、部室でえみりと話したように「気になる人」止まりの話だ。本人だって常日頃気になるわけではなく、休日に進藤と会うときに、ふと思い起こされるぐらいのものであれば、傍から見て気がつけるのかどうかも定かではない。
その時の僕は、えみりのいうとおりだなと思い、慣れないことをするものじゃなかったとさえ思っていた。進藤には多少の慰めの言葉をかけて、これまで通り教室で休み時間の間、失恋を知る者として気をそらす適当な雑談を交わし、部活に打ち込むか別の女に目が向くまでの間の気晴らしにさえれれば、友人としては十分なのかもしれない
ただ、僕にもわずかながら意地みたいなものがあったらしい。人様のプライベートに顔を突っ込んでいて意地もなにもないのだが、えみりの次の言葉で、僕は直前まで頭にあった撤退の選択肢を完全に投げ捨ててしまっていた。
「斎藤くんはどうしたい?」
「続けますよ、当然」
言葉に出してから、その続きを考える。
「進藤と、渡辺の休日も見てから決めます」
「最低だな、君。進藤くんも見る必要あるか?」
「なにか勘違いに至ることがあるのかもしれないです」
「勘違い?」
「たとえば、進藤に他に気になる人ができていると勘違いして、振られる前に動いたとか」
「ないとまでは言えないけど、面白い観点だね」
えみりは小さくうなずいた。
「あとは渡辺のプライベートをどこまで把握できるかなんですけど、あの名簿、SNSのアカウントとかも網羅しているんですか?」
であればそこからの繋がりというのもありえない話ではない。えみりは立ち止まってわざとらしくキョロキョロと周りを見る。誰もいないことは明らかだったが、それでもえみりは人差し指を厚めの唇の前に立て、声を潜めた。
「拓真、そこから先は部室で話そうか」
真面目な顔を作っているようだったが、口角が少し上がっているのはすぐにわかった。僕も、似たような顔をしているのかもしれなかった。
四階の部室まで戻り、えみりは施錠した棚からファイルを取り出し、机に置く。
「お察しの通り、わがマスコミ研究会ではSNSもある程度把握しているよ」
物騒な話だ。というか、となると僕のSNSやゲームのアカウントまで把握されているんじゃないだろうかというところが気になってくる。いや、今はよそう。すでに情報がそのファイルに入っているのなら、僕がここを訪ねた昨日の時点でえみりは確認しているに決まっている。もう知られているものとして、あとで鍵をかけてユーザーID変更など行うほうがいいだろう。
「そして、渡辺さんのSNSについてももちろん載っている。特に非公開でもないしね。ただ、話はややこしくなるよ」
えみりはそう言いながら、スマホを操作する。アカウントを表示しているようだ。公開しているアカウントを見るのは、それ以上拡散するわけでもなければ、個人情報への不正なアクセスとまでは言えないだろう。
えみりの横から、スマホの画面を覗き込む。覗き見防止フィルムのせいでほとんど見えない。僕はもう少し画面に顔を寄せる。
「お、近いね。積極的だな」
「……今はそう言うのいいんで」
反射的に離れそうになったが、なんとかこらえて、視線を画面に向ける。あくまでもスマホの角度を変えようとしないのは僕への嫌がらせか単に気が利かないからか。視界の隅で長いまつげの動きが、耳にはその呼吸音まで聞こえてくる気がしてくる。いや、僕の鼓動のほうがまだうるさいようだから、きっと気の所為に決まっている。
えみりがわずかに画面を傾けた。それで目に飛び込んできた画像は、なるほど、ややこしい話になりそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます