第4話

 およそ、隠密行動に向いていない人だ。一年B組のドアから中を覗き込むえみりの後ろ姿を見て、僕はちょっと引いていた。手足が長すぎてまるで隠れておらず、揺れるポニーテールも、なるほど、言葉通り馬の尾のように揺れている。時々教室を覗くその彫りの深さと青い眼は、明らかに中の生徒たちの関心を引いていた。一緒にいると仲間だと思われそうでいやだな……隣りの教室の、僕と同じA組の人間も廊下を通るんだけど……

「ほら、拓真くんもちゃんと隠れて」

「えみりさんにだけは言われたくないんですけど」

 声を潜めて、僕にしゃがむよう促す。真っすぐ立っていてもえみりの後ろにほぼ隠れる僕が、いまさらしゃがんで何になるというのだろうか。昨日の鋭さはなにかの間違いだったのだろうか。彼女の不得意とする神にいたずらでもされていたのかもしれない。

 教室の渡辺は、女子のグループでお弁当を食べていた。昨日よりはいくらか詳細に眺めることができるが、ずいぶんと小柄だ。やや茶色がかった髪を水色のシュシュでくくりポニーテールを作り、顔を動かすたびに揺れている。同じ髪型ではあるはずだが、サラブレッドのようなえみりと違いリスを思わせる小動物的な印象で、進藤と並んでいる姿を想像するといささか犯罪的な香りがしてくる。机は彼女の席なのだろう、横にかけているバッグには、昨日と同じキャラクターのぬいぐるみがいくつかついている。時々こちらをみて一緒に食べている女子とヒソヒソと何かを言い合っており、視線がその集団に向いていることはバレているようだ。自分を見に来ているとまでは気づいていないと思いたい。

「あの」

 後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、えみりほどではないが僕よりも背の高い、スカートの下にジャージを履いた、ショートカットの女子が立っていた。眉間にシワを寄せ、えみりに臆する様子もなく睨んでいる。

「うちのクラスに何か用事ですか? さっきから、ドアのところにいられると気になるんですけど」

「通るのにじゃまだったかな、ごめんごめん」

 えみりはさっとドアから離れるが、警戒した様子に変わりはなかった。そしてまずいことに、その女子は見覚えがある。渡辺と仲のいい、B組吹奏楽部の中村だった。

「いや、うちのクラスの誰かに用でもあるんですかって聞いているんですけど」

 中村はえみりから目を話すと僕を睨む。

「たしかA組の人だよね? なに? 誰かに用?」

「用ってわけじゃないんだけど……ネタ探し?」

 とっさにそんな言葉が出る。

「ネタ?」

「そう、我がマスメディア研究会としては次の新聞は一年生を扱いたくてね。なにか目立つ子でもいないかと思って」

 えみりがフォローを入れてくるが、警戒はむしろ強まったようだ。中村は僕とえみりを交互に見る。

「マスメディア研究会なんてありましたっけ?」

「あるよー。見てないかな。下駄箱のところに新聞張り出しているんだけど。今度見といてね。面白いネタがあったらいつでも歓迎しているからね」

「はあ」

「インタビュー対象の推薦なんかも応じるよ。吹奏楽部の一年は、誰かいい人いるかな?」

 えみりがそういうと、警戒が一層強くなる。

「なんで人の部活知っているんですか」

「吹奏楽部の同級生に聞いてね。チューバの鈴木くん」

「……キモッ」

 概ね同感だったが、中村は吐き捨てるようにそう言い、最後に僕とえみりを睨んで教室に入っていった。明らかに悪印象だ。

「しょうがないね、拓真。C組行こ、C組」

 そういってえみりは廊下を歩き出す。いつの間にか呼び捨てにされているのも気持ち悪かったが、ここで渋るわけにもいかず大人しくついていく。

「呼び捨てっすか」

「新入部員だからね」

「あれはとっさに言っただけですよ」

「まあまあ、周りに聞かれるよ」

 先程同様、えみりはドア越しにC組の教室を覗き込む。

「C組覗いてどうするんですか」

 ひそひそと話しながら、僕も一応えみりを真似る。

「さっきの会話は他のB組の人に聞かれたかもしれないからね。言い訳のためにも別のクラスを回らないと。それに、C組にも何人か吹奏楽部員はいるよ」

 そういって次々に名前を言いながら指さしていく。顔と名前が一致しているのか。あの生徒名簿、どこまでの情報が入っているんだろうか。

「ちなみに一年C組の加藤くんはヒップホップダンスで入賞経験があって、ダンス部は吹奏楽部の使う音楽室からほど近いスペースでよく練習しているよ。あ、あっちの相田くんはサッカー部でこないだの練習試合一年で唯一スタメンだったね。進藤くん渡辺さんと同じ中学校出身だし交流があるかもしれない」

 すらすらと情報が出てくる。全て覚えているんだろうか。めぼしい男子をすでにリストアップしている?

 形だけではあるが、一応一年全ての教室を回る。各クラスに何人かは吹奏楽部員や目立つタイプの人間はいるようで、客観的に見たら進藤よりもいい条件の男子はいるだろう。

「さて、どうだったかな? 一年生に怪しいのはいた?」

 えみりは意見を聞くというより、クイズを出題するような調子で僕に尋ねる。試されているのだろうか。勘が働く方ではない僕は率直に答える。

「いやわかんないですよ。渡辺さんと本当に親しいかどうかもわからないわけですよね?」

「そうだね。中学が同じ子と部活が同じ子は候補に残るだろうけど、それ以上はなんとも。除外ができるわけでもない」

「じゃあ、わからないです」

「そう。このやり方ではそんなに意味はなさそうだ。じゃあ次はどうしたものだろうね」

 本当に入会した扱いなのだろうか。教え諭すような調子が続き、えみりのペースになっていることが腹立たしい。

 黙ってしまった僕をじっくり眺めたあと、えみりはため息をついた。失望されただろうか。失望も何も、僕は相談に来ただけで、合同調査を持ちかけたわけではない。

「意地っ張りだな。まあいい。放課後、部活ものぞかせてもらおう。交友関係の一端はつかめるだろうしね。それと、情報があまりに足りていないね」

 昼休み終了の予鈴が鳴る。

「進藤くんからどういう状況だったか、しっかり聞き出してくれ。付き合っている間のこと、連休中のこと、距離を取りたいと持ちかけられたときのこと」

「そんなの聞けるわけないじゃないですか?」

「友人でしょ? 知らない人間の私生活を覗いておいて、友人に直接尋ねることができないなんてどうかしてるよ」

 えみりは僕の肩を何度かたたき、「がんばれ」とだけ言って、去っていった。呆然と見送った僕は、廊下の喧騒に気が付き慌てて教室に向かう。

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