第2話

 僕の高校進学と妹の中学進学を期に、親は思い切って何年ローンなのかもわからないマンションを買った。その結果、僕の高校受験は並々ならぬプレッシャーがかかったのだが、結果的にはなんとか、新居から数駅の進学校に滑り込むことができた。第二志望の高校なら転居しないほうがよほど近かったので、我ながらよくやったものだと思う。直前の妹の中学受験はあっさりといいところが決まっていたので、僕の受験までのプレッシャーたるや、今思い返しても胃からこみ上げてくる物がある。

 進学先に知った顔はなく、部活もこれと行って思い当たるものがないまま、入学したてのどこか緊張感の漂う昼休みの教室で、僕はスマホのパズルゲーム、『ハーモニー・オブ・ギャラクシー』、略して『鱧串』をプレイしていた。少し前に流行ったゲームで、いまはアニメなどのコラボがあっても売上ランキング上位に顔を出すことも稀になっていたが、これまでにかけた時間と小遣いから捻出された課金が惜しく、惰性で続けていた。何事も続ければそれなりになるもので、もしくは上位層がこぞって抜け出したおかげか、Sランクにはなっていた四月一日からのキャンペーンで正午になるといくらかのガチャが回せる様になっていて、昼休みはそれを日課にしていた。

「うわ、『鱧串』やっているやつ久しぶりに見た」

 その声で、後ろの席の背の高い男子が僕の手元を覗き込んでいたことに気がついた。坊主頭の、確か野球部だったと思うのだが。ただの偏見かもしれない。

「懐かしいでしょ。なんか続けてんだよね」

 振り向きざまに、そう返す。ガチャの残念な結果を確認し、こちらも顔を上げて振り返る。

「えっと」

「進藤。よろしく」

「ああ、斎藤です。よろしく」

 僕の挨拶を聞かずに、進藤はスマホを取り出し、こちらに差し出す。いきなり連絡先交換かよ陽キャは怖えな、とビビったが、画面はSNSではなく、僕と同じ「鱧串」のログイン画面だった。

「まだやってるやつ、久しぶりに見たわ」

 僕はそう言って笑った。進藤も歯を見せて笑う。浅黒い肌と坊主頭で、僕と関わりそうにない人種に思えたが、案外、そうでもなかったらしい。

 それをきっかけに、前後の席ということもあり、教室ではよく話すようになっていった。昼休みは野球部(見た目どおりだった)の用事も時々あったが、何もない日は、同じクラスの野球部員も進藤の席にやって来る事が多く、僕も部外者ながらその輪になんとなく入っていた。野球部内の先輩や顧問、練習の話題では当然ノレないわけだが、休み時間まで熱心なほどうちは強豪校ではない。授業やゲームの話題ではそれなりについていけるので、放課後はもちろん別になるわけだが、おかげで孤独でもない高校生活をスタートできていた。

「斎藤は部活入んないの? どう? 野球部入る? マネージャーとかでも」

「お前らの何をマネジメントするんだよ」

 あるとき、授業の合間の休み時間にそんな話をしたこともある。中学では美術部に入っていたが、これは別になにかをやるわけでもなく、ただダラダラだべっているような部活だったというだけだ。女子は活発にイラストを描いたりしていたようだが、僕はソシャゲを周回しながら、稀に顧問に注意されて石膏像のデッサンを形だけやっていたに過ぎない。高校にももちろん美術部はあり、一度だけ放課後に覗きに行ったことはあったが、イーゼルの並ぶ美術室にビビって中にも入らず、それ以来近づいてさえいない。

「そりゃ野球部カードゲームを作って、ガチャで引けるようにして部費を稼ぐとか」

「誰が買うんだそれ」

「そりゃ部員の隠れファンの女子とか男子が買うんだろ。レア度が上がると徐々にユニフォームがはだけるようにして」

「児童ポルノじゃねぇか」

 僕らは特に盛り上がりもせずそんなふうに話した。ただ、時々、それを聞いている周りが受けてくれることもあるので、荒唐無稽な話は積極的にしているのだった。

 五月の連休は僕自身はこれといったこともなく、妹に付き合ってでかけたぐらいだった。家が退屈ということもなかったが、案外、高校生活も悪くないなと実感できていた。人に誇れる充実したものでもなく、親には度々部活や「なにかうちこめるもの」とかいうUMAみたいなものを探すように言われていたが、軽課金でソシャゲの上位に食い込んでいる以上はもうそれで打ち込んでいるといえるだろうと受け流していた。中学時代の少ない友人のグループラインは動いていたが、片道一時間近くかけて地元に顔を出す気にもなれず、自分がこのままフェードアウトしていくであろうことはわかっていたが、改める気もしなかった。


 連休明け、久しぶりにあった進藤はさらに日に焼けていた。野球部は練習試合があるとは言っていた。身長170cm後半ある進藤は体格的にはすでに部内でも上の方だが、技術の方がどの程度かは、野球に興味のない僕にはわからない。試合にも出たのだろうか。三年を差し置いてそれはないのかな。

「浅黒いを通り越して深黒いな」

「……ああ、斎藤、久しぶり。お前は白いな」

 会話のテンポが、いつもより悪かった。表情も暗く、どこか呆然としているようだ。クラスの他の野球部員に目をやるが、彼らも黙って首を横に振り、事態を掴めていないことを知らせてくれる。

「元気ないな。連休中なんかあった?」

「あー……いや、なんでもない」

 そういってスポーツバッグを机の上に置き、その上に突っ伏してしまう。何かあったと全力でアピールしているようにしか見えない。わずか一ヶ月の、教室内に限った付き合いではあったが、その様子は普段とまるで違い、深刻さをたたえている。

 その日一日そんなふうに過ごした斎藤は、放課後もすぐに部活に行こうとしなかった。他の野球部員に声をかけられても先に行くよう促し、机に伏せ続けている。

「かまってほしいアピールひどくね?」

 なにかいいたいことでもあるのかもしれないと思い、珍しく放課後に残った僕は、そんな言葉をかける。教室にはもう僕らふたりだけで、他の部員に聞かれたくないことでもあるのかもしれないと思っていた。

「斎藤はさ、好きな人いる?」

 机に突っ伏して表情は伺えない。声のトーンからは、どうも大真面目に言っているようだ。

「いないねぇ」

 気恥ずかしさから、語尾を無意味に伸ばしてしまう。茶化していると取られるかとも思ったが、こちらの答えはどうでもよかったらしく、進藤はそのまま続けた。

「付き合ってた彼女に、他に好きな人ができたから、距離を取りたい、って」

 急な情報に、どう答えたものかまるでわからなかった。恋愛相談なのかこれは。僕に? 進藤の人を見る目のなさに呆れるが、部活の連中にもしにくい話ではあるのかもしれない。

「彼女、いたんだ」

「……B組の渡辺」

 誰だよそいつ。知らねぇよ。他のクラスに彼女がいたんなら休み時間に僕とだべってないで彼女のクラスにいけよだから振られたんだろ。

 まさかそんなことを言えるわけもなく、まったく返答の糸口がつかめないまま、無言の時間が流れた。外から、グラウンドを走り出す声が聞こえる。野球部ではなくサッカー部のようだったが、それをきっかけに、進藤は突然立ち上がった。

「わりい、急に変なこと言った。忘れてくれ」

「……部活、頑張れ」

「おう」

 進藤はそれで教室を出ていった。顔を見ることもできない僕は、数少ない友人の悩みにまるで答えられない自分のクソさに、何周か回って他人事のように呆れてしまっていた。

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