容易く揺蕩う、多様で頼りない僕ら
きづきまつり
容易く揺蕩う、多様で頼りない僕ら
第1話
勢いよくドアが開く。突然のことに身動きが取れず、ただ少し視線を見上げるぐらいしかできなかった。まつ毛長いな、と思い、一瞬遅れて背の高さに気がつく。部室のドアを開けて出てきたのは、身長162cmの僕より20cmは高そうな、黒い長髪を後ろに束ねた、肌の黒い女性だった。彼女は僕の肩に手を置くと、視線を僕にあわせる。青い瞳が、30cmと離れていないところまで近づく。手足の長さといい、妹が幼い頃に遊んでいた、外国のおままごと用の人形のようだった。ただ、その表情は人形のような硬い笑顔ではなく、眉間にシワの寄ったものだった。やや厚めの唇から、絞り出すような声が漏れる。
「ちょっとトイレ行ってくるから、相談なら中で待ってて」
「あ、えっと、相談っていうか」
「中で聞くから。待ってて」
そう言ってふらふらと行ってしまう。取り残された僕は、逃げたほうがいいのか、それとも彼女を支えてあげるため追いかけるべきか迷う。とはいえ、トイレについていくわけにもいかない。遠ざかっていく背中は曲がり角に消えて、廊下には雨音ばかりが響いていた。
改めて体を、「マスメディア研究会」と掲げられたドアに向ける。中に入ろうとしては、「マスメディア研究会」の下に書かれた「よろず相談~恋愛、進路、人生、宇宙、神~」の文句に尻込みしてしまう。いかがわしい。なんだ神って。こんなものに相談できるのは、どうかしているか、他に相談できる人間がいない僕みたいな人間だけじゃないだろうか。
ドアの中を覗くと、看板の文句に反して、特にこれと言っていかがわしい様相はない。恐る恐る中に入ると、ファイルや書籍が詰まった棚と、長机とパイプ椅子がいくつかあるだけの部屋だった。奥の机にはジャスミンティーのペットボトルや紙が散らばり、先程の彼女がなにか作業していたことがうかがえた。
僕はその机の手前にあるパイプ椅子に腰掛ける。入ってしまった。体調悪そうなさきほどの女性が、うわさの部長さんなのだろうか。締め切った部屋は湿度も高く、すこし息苦しさを覚えた。なんとなく古本屋のような匂いがするのは、紙の束からくるものなのだろう。棚の本は一見して古い本から、少し前にアニメ化したポップなライトノベルまで幅広そうだ。とはいえ、マスメディアを研究しているような印象もない。
ファイルの中に、「相談簿vol.17」と書かれた真新しい背表紙のルーズリーフバインダーを見つけた。17!?そのナンバリングに驚く。いつから数えているのかわからないが、それなりに相談している人間がいるということだろうか。僕は立ち上がり、棚のところまで行く。16までの相談簿は近くにおいていないようだ。取り出して見ると、表紙には今年度の数字が書いてある。まだ今年度が始まって一月しか経っていないが、こんなところに相談に来た人が他にいるのだろうか。
「おまたせしたね」
「うわっ!?」
突然、後ろから声をかけられて、僕は声を上げてしまった。先程の女性がいつの間にか戻ってきていたようだ。
「相談簿、出してくれると助かるよ。相談に来たんでしょう?」
「あー……体調は大丈夫ですか?」
「ああ、ご心配かけたかな。生理二日目でね。痛み止めがやっと効いてきた」
彼女はさらっとそんなことをいい、奥のテーブルに向かう。
「相談簿17、こっちに持ってきて。中は見てもいいけど、口外はしないでくれよ」
「いいんですか?」
僕はびっくりしてしまう。というか、そうなると僕が相談した場合も人に見られるということになるのだろうか。
「いいよ。つまらないだろうけどね」
手元にあるファイルと女性の顔を何度か往復して、僕はファイルを開かず、彼女の机の上に置く。
「へー、見ないんだ」
彼女は少し意外そうだった。
「……そんなに口が堅い自信がないので」
「いいねぇ。かっこいいよ、そういうの」
「別に、そういうのじゃないです」
「いや、私がそう思ったってだけだから、君に否定される筋合いもないよ」
彼女はあっさりそういい、ファイルを開いた。一枚目から、まったく汚れのないページが広がっている。
「今年度、初相談だ。安心してファイルを見てもらっていい」
笑顔を浮かべて僕に見せてくる。なんだそれ。
「からかってたんですか?」
「別にそういうつもりはないよ。ああ、相談のあとはきちんと施錠できる棚にしまうから安心してくれ。バックナンバーはそっちにしまってある。さて、」
ボールペンを何度かカチカチしたあと、彼女は僕を見た。青い瞳は先程よりも遠いこの距離でも美しかった。まつげの長さ、ボールペンを持つ指の長さと細さ、個別のパーツとして入ってきた情報が少しずつ統合されていき、目の前にいる女性が美人であることに僕は今更気がついてしまった。
「自己紹介が遅れていたね。マスメディア研究会、部長で二年の田中・モーガン・えみりです。えみりと呼んでくれ。研究会なのに部長なのは、部活動という性質上の問題なのでスルーしてくれ。よろしく」
「い、一年の斎藤です。斎藤拓真」
「拓真くんね。まあ椅子座って。わざわざ四階のこんな奥地まで来てもらったんだ。ゆっくり話を聞かせてもらうよ」
「あ、はい」
そう返して、逃げ場を失ったことに気がつく。いや、逃げても今更仕方がない。相談するためにここに来たのは事実なのだから。
僕は諦めて椅子に腰かける。外の雨は、また一段と強くなってきた気がした。
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