71 空を飛ぶ方法

 月曜日。


 ベッドへ突っ伏して、仲間と話して…………話したんだっけ?


 ダメな班長は返上。私にできることって、何だろう?





 火曜日。


 夕方、仕事を終えた後、サラセンホテルの一階ロビーへ寄って、ソファー席へ座り込み、テレビの前で粘っていた。

 頭の後ろで両手を組み、ソファーの背へ沈み込んで、ワイドショーやコマーシャルを眺めている。


 天気予報って、いつ流れるんだ?


 普段テレビをほとんど見ないので、天気予報がどのタイミングで見られるものか、わからなかった。





 屋内に雑踏…………行き交う足音。大理石の床と、高い天井に反響しては消えていく、人間の気配。話し声…………


 寝落ちしていた。目が覚めると、黒い背中。ちょうど視界が遮られる位置に、誰かが座っている。


「誰……?」

 目の前の背に、指先で触れた。黒いスーツの青年が、振り向く。

「あぁ、起きましたね。こんなところで居眠りは、よろしくないですよ」

 レストラン皿千さらせんで何度か会った、甘党のお客さんだ。コーヒーに、角砂糖八つ入れる人。

「私は、もう行きます」

 咄嗟に、立ち上がった彼の、上着のすそを掴んだ。

「ふふ…………あのね、給仕さん」

 彼は私を見て、言った。

「寝ているあなたに、端末を向けている人が、何人か居ました」

 端末? …………あぁ! カメラか。 私を起こしもせず、不躾な行いから守ってくれたのか。

「…………ヒルコ。私の名前。あなたの名前は?」

 彼は、私の隣に座り直した。

「ディバイル・ナークス」





「それで…………どうしてこんなところで、眠っていたのですか?」

 名前を教えてくれた彼に、今週の天気予報が知りたくて、粘っていたことを明かした。

「天気予報が流れるのを、待っていたと」

「今週、いつ雨が降るか、知りたくて」

「今週……」

 ディバイルは端末を取り出した。片手の親指でスイスイと、何やら画面を撫でている。

「今週は、降りませんね。でも、台風が接近していて、週末前に……もしかすると、崩れるかもしれないようです」

「それ、何でもわかるんですね」

 王様も持っている。皿千へ来る人も大抵持っていて、食事中も離さない人が居る。

「…………」

 まじまじと見られた。

「なんですか? ディバイル」

「自分も大概かと思っていたら、あなたは本当に……浮世離れしていますね」

「私が?」

 ディバイルは笑っている。

「ヒルコさん。あなたは……地上へ初めて降りて来た天使か、神さまみたい……そんな風に、見えるんですよ」

 神……だって? ディバイルには、私の正体が、知れているのか??

「綺麗な目の色! あなたにカメラを向ける気持ち、わからなくもないな」

 ディバイルの、黒い髪と青い目も綺麗だ。

「私は、人間の注目を集めるらしい。それは知っている」

 私だって自分のことくらい、知っているんだ。龍であることは、王様にしか知らせてないけど。

「あはは! あなたは、人間ではない存在なのかな?」

 ヒェ。もう喋るまい。

「怒ったの? ヒルコさん、ごめんなさい。こっち向いてください」

 ディバイルが、格別に目聡い人間なのだろうか? 皿千さらせんで仕事をしている時、街中に要る時……私に視線を向けてくる人間が居る。彼らは、人間の中に紛れている私を見抜いて……私を見てくるのだろうか?

「あなたが……あまりにも美しいから、つい」

「はぁ?」



「ディバイル!」



 熊。いや、熊男が現れた。ディバイルと、よくいっしょに居た男だ。


「ディバイルが遅刻なんて、おかしいと思ったんだ。何してたの?」

「申し訳ありません、三島さん」

 ジロリと睨まれた。

「ディバイル。私は怒ってない。只、どうして」

 私はディバイルに言いかけて、

「済みません。我々は予定がありますので」

 遮られた。

「ごめんなさい、ヒルコさん。又、今度」

 ディバイルはそう言って、行ってしまった。







 雨は…………どうなんだっけ。


 ディバイルは…………似ているんだ。私の国主と。


 あの男、私を睨んでいた。あんな目は、初めてだ。





 人間って…………まだ全然、よくわからないな!









 水曜日。


 日付が変わって間もない頃。ヒルコは、屋根裏部屋の窓伝いに、サラセンホテルの屋根へ上がっていた。


 星空が見える。天候が崩れる様子はない。


 海の水か雨の水があれば、龍の姿になって、空を飛べるのに。


 次の週末までに、世界の外側まで一飛びして、あの化け物の歩き回る姿を見つけてやろうと思っていた。それがどうだ。人間の姿のままでは、やることなすことも人間並だ。





「それで……私を頼りに、訪ねて来た訳ですか」


 私は、王宮の地下へ行って、初めてここへ来た時のように、水路へ飛び込んだ。おかしいな。人間の姿のままだ。


「来た時は、龍の姿で泳いで来たのに……何が、あの時と違うのでしょう?」

 本当にわからなかった。雨夜とナイアス川。水路を泳いで来た時は、私は龍だった。

「同じですよ。夜中にびしょ濡れで。しょうがない人ですねぇ」

 王様は同じく、私を招き入れてくれた。

「風邪ひきますよ。風呂へ入ってきなさい。話はそれからです」

「……はぁい」





 王様は服を用意してくれた。今度はピッタリだ。…………これは、私の服?


「そうですよ。用意しておいて良かった」

「ふふ」

「なんです?」

 白い服。王様の上着。私がもらってしまった服と同じものだ。

「私のサイズだ」

 腕を伸ばしてみる。袖も丈も、私に合っている。王様に同じものが欲しいと言ったのを、王様は覚えていてくれたんだ。うれしくて、くるりと回った。私の服だ。

「ほら、座りなさい。髪が濡れています」

「王様に、私の髪を拭かせてあげます」

「どちらが従者なんだか……」


 王様は、ふわふわの大きなタオルで拭いてくれた。


「気持ちが良くて、寝ちゃいそうです。私は、話をしに来たのに」

 王様は、私がするより丁寧に、髪を乾かしてくれた。

「ヒルコ、あなたは平日働いているのでしょう?」

「はい」

 頭を、なでるの、やめてほしい。瞼が閉じてしまう。

「ヒルコのお話は、急ぎなのですか?」

「あーー……週末に、なるまでには」

「ここから仕事へ行って、仕事を終えたら又ここへ来て、それからにしませんか?」

「良い提案ですね」


 実際、良い提案だった。話をするには、向いていない時間になっていた。


 ここへ来る度、王様の寝るところを奪っている。私は王様に、どこへも行かないで、ここで寝てくださいと言った。


 王様には、いつも通りにしてもらった。私は、なるべく邪魔にならないようにした。


 マリアナ山で眠っていた時を、思い出す。王様の寝所は、少し近いものを感じるんだ。時間の流れ方が、ゆるやかで。

 王様の手が、私の髪に触れている。私の頭をなでている。私の瞼は魔法にかかったように重く、それきりかなくなってしまった。









「レモングラス?」

 バックヤードでキャリー同僚に言われた。

「え?」

「なんか、いつもと違う匂い」

「変な匂い?」

 自分のしっぽ。言われてみれば、いつもと違うかも?

「良い匂い。ヒルコ先輩、シャンプー変えました?」

「いや、変えては……あ、昨日は違うの使ったか」

「ふぅ〜〜ん。な〜〜んか、良さそうな感じ〜〜」

 王様のだから、良いのなんだろうな。

「私のじゃないし」

「…………エッチ」

 何がだ??









「で、海水を作れないか、という話なんですけど」

 軽く今日の職場の話から、本題の話である。

「…………ヒルコ。まさかとは思うけど、私のことは」

「ご心配には及びません。国主くにぬしについて、私が他言することは一切ありませんから」

 王様に仕える従者として、私はまだまだ、信用が足りていないようだ。

「ヒルコは、同僚に誤解されていませんか? 大丈夫でしたか?」

「些細なことです」


 夕方から王様の居室に居るので、今日は時間がある。本題は、海水を作って、龍になるのを試せないかということ。


「海水を作る……ですか」

「難しいですか?」

「どれくらいの精度で作るかに寄りますね」


 王様も、端末で調べてくれた。海水の組成は、塩と水だけではない。



・塩化ナトリウム約七十七・九パーセント

・塩化マグネシウム約九・六パーセント

・硫酸マグネシウム約六・一パーセント

・硫酸カルシウム約四・〇パーセント

・塩化カリウム約二・一パーセント

・その他の成分〇・三パーセント



「海水の塩分濃度は、三・四パーセント。ミネラル分の数値を揃えて作るのは……難しそうですね」

 王様は述べた。確かに。

「王様。王宮の地下へ流している水路の水は、ナイアス川の水です。川の水って、雨水でしょう?」

 実際、私が雨夜に龍の姿で、ナイアス川へ落ちたのだ。

「私が初めてヒルコを見つけた時、龍の姿ではありませんでしたよ?」

 そうだ。王様は、だ私の本当の姿を、見ていないんだ。

「今、雨が降ってくるか、海へ飛び込めたら、龍の姿になれるのに」

「きっと……本物の海水か、空から降ってきた雨水でないと、拝見できないのでしょうね」

「王様」

「なんでしょう?」

「私の言うこと、信じてます?」

「どうでしょうねぇ」

 なんてことだ。私は王様の信用が、まるでない。国主くにぬしの信頼を得てこその従者であるのに、私は……

「ヒルコ」

 呼ばれた名前が、重い。私は、王様に仕えるものとして、相応ふさわしくない。

「帰ります。ありがとうございました」

「週末、待っていますよ」

 そう、週末だ。それまでに私ができること。王様に、騎士班(仮)の仲間に……示せる、為せることは……





 木曜日。


 無為に過ぎる。





 金曜日。


 夕暮れ時、彼方から雨の匂い。海風は街中まで届き、あめの水が来るだろう。


 夜中、再びサラセンホテルの屋根へ出る。風は一層強まり、服も靴も脱いできた。顔に、身体に、雨粒が当たる。ポツポツと振り始めの小雨は、直ぐに勢いを増した。


 裸足で登った屋根の上で、鋭い爪がコツと鳴る。全身に浴びた雨で、私は姿を変えた。龍の姿になっている。背をしならせるだけで、雨夜の空へ駆け上がれる。





 インテグレイティアの外縁部まで飛んだ。


 アーバンからタクシーを使い、シェアサイクルのポートから自転車を沢山漕いで、漸く行っていた距離が、感じられない。


 人間が暮らしているところから離れると、外側、荒れ野は暗闇だ。物流鉄道、発電所と変電所、送電線、工場施設、採掘現場、ナイアス川添いの水道局……人間が何かしているところにだけ、光がある。

 インテグレイティアは、新大陸になって以降、国土がありえないほど拡張されたが…………大半は、まだまだ手付かずな印象だ。





 雨と風の中、夜に空を飛ぶのは…………正直、視界が極めてよろしくない。

 ぶつかるものこそないとは言え、速さと高さだけでは、目標を捉えて、指向性を自在に我が物にする飛行は難しい。と言うか、できない。

 上空から化け物を察知し、捕まえるなど、曲芸の域である。


 無理だな…………帰ろう。


 やってみないと、わからないことがある。一週間の成果が、そんな知見の実感に尽きるとは…………私、神なのに…………龍神が、よりにもよってそらで絶望を知るとは…………





 土曜日。


 帰るまでが遠足だよ。

 レインが言ってた。


 日付けが変わって、雨はシトシト降りに変わっている。きっと週末はずっと雨だ。いつぞやと同じルートで、水路に流されている。枡型のプールから、バシャンと溢れ落ちて、泳ぐ気力も失せて、流されるまま。


 せめて、王様に龍の姿で会っておこう。なんにもないより、幾分マシか……


 地下から、王様の居室を訪ねる。急がないと、身体に纏った雨が、乾いてしまう。はらが地面にこすれそうな低空飛行で、目指す戸口に鼻先を伸ばす。勢いよく、ずっと飛び続けていたので、重い疲労にされて、今にも突っ伏しそう。


 いつかの雨夜と同じ、私は戸を叩いた。


 待つ。


 ほら、足音がする。あなたに仕える従者は、龍なのです。起こして、ごめんなさい。どちらを先に言おう。


「王様!」

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