72 遠出
インテグレイティアの南には、マリアナ山がそびえ立つ。
草原地帯の彼方に見える、白い山。人々は畏怖と好奇と、親しみも込めて、その山を
「
僕は言った。シェファーは図鑑の頁を戻る。インテグレイティアの高い山々が載っている、イラスト地図の見開き頁。
「知らないの? レイン」
シェファーがまるで優位に立ったかのように、聞き返してくる。
「は…………し、知らない訳じゃ……っ、いっ、いちばんの山が、兄山だ。決まってるじゃない」
図書室は静まり返っている。今日は天候が崩れるって、朝の予報で言ってた。今は晴れてるけど、雨が降るかもっていう日に…………まぁ、金曜の放課後に、残っている生徒なんて、そう居ない。
「いちばん、って?」
「…………いちばんは…………ふ、富士山だ」
「ふぅん」
ふぅん、て! ふぅん、って!!
「霊峰富士は、インテグレイティア一の山でしょ!」
「僕も、富士山だと思ってる」
「なにそれぇ……おんなじじゃん」
僕は気が抜けた。世界レベルの天災でも、不動だった富士山は別格過ぎる。突っ伏した見開き頁でも、富士だけ青と白で描かれている。富士山て、アイコンみたい。
「兄山は富士山じゃない、って人も居るんだよ」
「他の山ってこと?
「なんで利尻山。レイン、利尻山好きなの?」
「山、そんなに知らない。てゆーか、僕地理はあんまり」
詳しくないんだ。方向音痴だし。
「北海道にね、大雪山連峰ていう高〜〜い山々があって、その中でもいちばん高い、
「登ると〜〜? ……眺め良さそ」
「ミニ富士山と、雲海の果てにマリアナ山が見えるんだって」
「へぇ〜〜」
「すごくない? 富士山見えるのもすごいけど、あ〜〜んな遠くのマリアナ山も見えるんだって!」
すごい…………すごいけど、
「別の兄山は?」
「大雪山連峰が、兄山って言う人とか〜」
「他にもあるの?」
旧日本列島のイラスト地図も載っている。縦長に
「どれでもいいんだよ。マリアナ山は、いちばん新しい山なんだから。どの山でもいいの」
「なぁんだ」
それにしても…………こんな大きな弟は、どうなの? 富士山。
「で」
「で? ……何? シェファー」
僕は、マリアナ山の頁へ戻った。
「どうして僕らは、山の図鑑を見ている訳?」
あぁ、それはね……
「
「…………」
「毛玉が、幽霊みたいな実体のないものじゃなくて、生き物なら……どこから来るんだろうって」
「外側には、だだっ広い、荒れた平原しかない」
「荒れ野には、山も川も、砂漠だってあるよ」
シェファーは片肘ついて、僕の話を聞いている。
「自分が外側に居る獣だったら、どこに住むだろうって考えたの」
「レインが……獣」
「僕なら多分、山に住む」
「それは、毛玉も山に住んでるかも、って話?」
「見て、シェファー。マリアナ山は、人があまり行かない場所にあるんだ。獣なら、きっと都合が良いはず」
「レイン……毛玉を、人里に下りてくる熊か何かだと思ってる?」
「違うの? 毛玉は、防風林から入ってきて、畑や庭先に出てる。お腹すいてたんじゃない?」
「住所がマリアナ山だとして…………遠くない? 途中で狩りをした方がよくない?」
う〜〜ん、と二人で行き詰まってしまった。
週末。
騎士班(仮)は、王宮の食堂に揃って、王様と朝食を供にしている。王様と僕、いつもなら同じ食卓の、遠い席。今日は間に、ヒルコとシェファーが居る。
「ヒルコ、進捗はどうですか?」
来た! 王様は班長であるヒルコに、話を振った。
ヒルコは食事の手を止めて、王様を見て、顔を背けた。背けた? えぇ?!
「ヒルコ」
班長! 応えて、何でもいいから、返事して!
「仲間と相談して、今日は南へ行きます」
…………相談。相談する前に、南へ行くって決まっちゃった。南って……
「南って、マリアナ山ですよね? 班長」
シェファーが言った。
「そうだ」
ヒルコが応えて、シェファーを見遣る。え、ちょっと、あの……
「僕も行きますからね!」
堪らず僕は立ち上がって、二人に言った。王様は笑っている。
「ヒルコ班長、飛行機のチケットを手配してあります。山へ登ってもいいですけど、明日にしなさい」
何、この、王様にも事前に話が通っている感じ。……大人って!
「……はい」
今度は素直に返事した、ヒルコ。僕は着席した。朝食を済ませたら出発しよう、班長はそう僕らに言った。
ヒルコも…………大人なんだ。いつも、優しい、ゆるい感じのおにいさんだけど、僕らはヒルコを頼りにするし、ヒルコは難なく応えてくれる。きっと僕らに見えないところで、何か頑張っていたり、何かしているのかもしれない。
「僕、ヒルコの言うこと何でも、ちゃんと聞くからね?」
僕はそれだけ、ヒルコに伝えた。
「レイン……」
「何?」
「私はホームセンターで、レインにリードをつけたくなったけどね」
「僕を、何だと思」
「仔犬は直ぐ駆け出すから」
!?
「レイン、チェーンソーに一目散だったじゃん!」
シェファーまで!!
「僕はそんなんじゃ……」
あれ? やめて、注目……
「気を付けるから! も〜〜」
「班長にも、注意深くあってほしいものですねぇ」
王様……ってヒルコは又しても、まるで聞こえなかったように、スルーした。
「ヒルコ」
「…………はぁい」
ふざけた返事。王様に舐めた返事ができるヒルコは、大人? 子ども?
「いってきます、王様」
「気を付けて、いってらっしゃい」
よかった。僕らの班長は大人だ。
空港法第四条で法定された首都圏を代表する拠点空港(国管理空港)の一つであり、インテグレイティア最大のハブ空港である。
都心部に隣接する湿地帯。かつての空港があった埋立地一帯と東京湾は、液状化現象と天災を経て、湾が消失し、ナイアス川の地下水系から常に冠水して覆われている。遠浅の干潟の様相を呈しているが、その光景に、海はもう存在していない。
「わぁ……海だーー」
雨降りで、灰色だけど少し明るい雲が、水平線の彼方まで、重く低く連なり、覆い被さっている。
「結構降ってるのに、波、荒くないね〜」
シェファーもモノレールの車窓から、空を見ている。こんな雨の日に、窓に張り付いてるのは僕らくらい。
「二人とも、それは海じゃないよ」
ヒルコが言った。
「え、そうなの??」
「海に見える」
「ずっと遠くまで、水があるよ?」
「海じゃないの?」
僕は海を見たことあるのに、わからなかった。
「反対側から見た方が、もっと海のように見えるんだよ」
「ヒルコは、反対側へ行ったことあるの?」
「空から見ると、大きな水たまりだ」
ヒルコは……飛行機に乗ったことがあるのかもしれない。僕はない。
昔あった日本列島は、その形をイメージすることが、それほど難しくない。
インテグレイティア新大陸は、その形をぼんやりとでも、イメージすることがやや難しくなってしまった。
要因として、天災後の復興時に、昔のアウトラインを拡張させて、なぞるような建設が数多く成されたからである。新旧入り混じるものが与える全体のイメージから、インテグレイティアを『
空港は、巨大だった。
アーバンで人混みに慣れている僕でも、お上りさんになっていた。
「レイン」
「はい?」
「走らないでね」
ヒルコ……
「遠く行かないでよ?」
シェファー……
「わかってます!」
初空港で初迷子は、やだもんね。
国土の制限から解き放たれたインテグレイティア人は、建築に取り憑かれた。
「ちょっと、博物館を思い出す」
ヒルコは呟くように言った。第二旅客ターミナルのフロア、天窓を見上げる。ずっと雨だ。
僕らは、マリアナ山を登山する為のベースキャンプへ向かっている。
王様が騎士班(仮)に許可を出したのは、本当に裾野のハイキングコースまでのみ。所謂、観光レベル。比較的軽装で赴くことができるコース。
アーバンからベースキャンプまで、凡そ二三〇〇キロメートル。
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