61 鱗

 王様は、レインの隣の部屋に居た。王宮にある、客室が並ぶホテルのような区画。その中の一室は、ヒルコが泊まる時に利用している部屋だ。続き部屋で、南向きの中庭に面した、白い部屋。


「……王様」

「おはよう、ヒルコ」


 ヒルコは目を覚ました。ベッドの上に居る。先程まで騎士班(仮)の会議に参加していたはずだった。


「あなたを運ぶのも慣れてきました」

「会議はどうなりましたか?」


 ヒルコは騎士班(仮)の活動予定について、レインとシェファーが提案していたのを聴いていた。そこまでは覚えている。


「世界の外側を散策することに決まりました」


 ヒルコは欠伸あくびをした。





「ヒルコ班長はお疲れのようです」

 王様が口を挟んだ。頬杖が崩れて、眠ってしまったヒルコを軽く起こす。

「班長が居なくても、会議を続けられますね?」

 王様はヒルコに肩を貸して、退室した。散策は、それから程なくして決まったことである。









 その部屋を、王様はヒルコの部屋と呼んでいた。


 こてで青海波のような塗り模様をつけられた白い壁と、高い折上げ天井の美しい部屋。生成きなり色で揃えられた家具や調度品。まるで持ち主は元からヒルコであるかのように、外観はヒルコと調和していた。

「あなたの部屋だと思って、使っていいのですよ」

 王様はヒルコを王宮に泊める時、そう言った。


 ヒルコは贅を尽くした部屋を見て、自分には似つかわしくないと思ったが、口にはしなかった。ヒルコが初めて得た自分の部屋は、サラセンホテルの天辺てっぺんにある屋根裏で、そこですら大層もったいなく感じている。…………ナイアス川を下る小舟に居た時、常夜島とこよのしまの祠に居た時、大雨の波間に居た時、そのいつ時も、ヒルコはヒルコの為に用意された部屋というものを未だ知らなかった。





「王様」

 ヒルコに呼ばれて、王様はヒルコを見た。

「私は王様に、何でもして差し上げたいのです」

 ヒルコは心に思うものを言葉にそっくり写すことが難しく、他にしっくりくる言い方も思い付かなかった。

「私の傍に居てくれるだけで」

 王様は微笑んで、だが内実は、応えてくれはしない。



 ヒルコはベッドの上で、のたうつように伸びをした。



「王様になら、私のウロコを一枚あげましょう」

 ヒルコは寝たまま、神妙な面持ちで告げた。

「鱗……龍の、鱗、ですか?」

「きっと、多分、もしかしたら……長生きできる……かもです」

 王様は笑った。

「人魚の鱗か肉と間違えていませんか?」

「!」

 直ぐにシュンとしてしまったヒルコは、王様に背を向けた。

「鱗一枚でも、剥がしたら痛いでしょう?」

「痛……くないです」

「嘘つきですね。あなたの鱗はきっと美しいのでしょう。でも」

 ヒルコは振り返った。

「鱗一枚より、あなたを見ている方が、私はずっといいのです」

 ヒルコは、人間の王様を見ている。

「見ているだけでは、何も手に入らない」

「そうでもないですよ」

 ヒルコの澄んだ海の水色の目が、王様を見ている。この美しい生きものは、人間の王様だけを見つめていた。





 永い生命いのちに、どのような価値があるだろう?


 きっと、あらゆる到達点を幾つも超えられる。きっと、数えられぬ尊いものが通り過ぎていく。きっと、永遠について知り得ることが叶うかも。


 又、同等の絶望も訪れる。又、始まりが遠く忘れ去られる。又、希望は足りないかもしれない。





 神である龍が、人間と同じ時を生きるはずもなく、人である王が、龍を自由にできるはずもなかった。





「龍の鱗も肉も食べれば、人間の短い生涯も多少は……延びるかもしれない」

「人魚のそれと同じように?」

「そぉです」

「多少ならいいですけど、死ぬことができなくなるのは困りますねぇ」

「どうして?」

 ヒルコは本当にわからないといった様子で王様に尋ねた。

「取り残されて、孤独になります」

「…………」

 ヒルコは気付いた。捨てられた時、独りだった。あれと同じになるものを与えようとしていたのか……

「永遠は……良いものだと、思っていました」

「良いものには違いないと、私も思いますよ」

 王様はヒルコのこうべに触れ、優しく撫でた。枕元に座っている王様の膝に、ヒルコは転がり込んだ。王様より背の高いヒルコであったが、突っ伏して黙ってしまった。



ウロコをつけたまま、焼いて食べる魚料理があるのを知っていますか?」

「……知ってます」

 顔も上げずにヒルコは答えた。

笠松焼きエカイユ・クルスティオン……甘鯛や金目鯛でつくります。……いくら鯛でも、ただ美味しいだけで、永遠には程遠い」

 魚の鱗には……多量の蛋白質が含まれていて、その大半はコラーゲンとケラチンから組成されている。ほとんどがリン酸カルシウムで、骨とおんなじ。

「ただ美味しいだけ」

 王様はヒルコの言葉を繰り返した。

「そ」

「充分でしょう?」

 ヒルコは王様の膝に頭を乗せたまま、王様を見上げた。海の雫アクアマリンよりも美しい目が向けられる。

「パリパリスケールフレーク」

 ヒルコは呟いた。

「つくれますか?」

 うんうんと頷いて、ヒルコは直ぐに首を振った。

「私は国主に仕えるもので、贅沢な王様の料理人ではない」

「あなたがつくる料理は美味しい」

 褒めたって駄目と言わんばかりに起き上がって、ヒルコは騎士たちのところへ戻ろうとした。

「あの子たちには、何でもつくってあげるくせに」

 笑ってしまわないように言った。王様は、ヒルコがレインとシェファーに甘いのを知っている。

「仲間ですから」

 当然と返した。ヒルコは今度こそ本当に、仲間のところへ戻って行ってしまった。

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