59 博物館
新国立科学博物館。
アーバンには、東京に存在していた施設と同等のものが建造されている。博物館は、その内の一つだ。
展示物や所蔵品などは、残念ながら失われてしまったものも多い。
「新しいものも増えました」
クレイシアは言った。
「いかがですか? 館長」
館長と呼ばれた男は、対になった一組の標本を眺めていた。これは新しいものではない。片目を
「ダミアン・ハーストの作品に似ていないか?」
クレイシアは微笑を貼り付けたまま、
その標本は人体標本で……成人男性一体、成人女性一体が、正面と背面で縦にカットされ、半身ずつが四つのガラスケースに中空固定されて収められている。青みを帯びた保存液に浮かぶ人体は、ケースの間を歩かなければ、まるで眠っているような質感の標本である。
生体保存技術が革新的に進歩した現代に置いては、それほど珍しいものでもない。
ただ、館長が言うように……保存液の見た目とカット具合から、白枠の水槽に留められた、ホルマリン漬けの仔牛を思い出すのもわからなくはなかった。
この人体標本は、ホルマリン漬けでもプラスティネーションでもない。
生体時の外観から退色していない、この標本にされた人間が、『日本人』であることは容易に見てとれる。黒い髪、茶色の虹彩、顔付き、身体バランス、詳細に見ていけば、日本人らしさの特徴が、各部位の造りにも全身のバランスにも詰め込まれていることが見えてくる。
保存液は透明であるのに、巨大な容積で水色に見える。純粋な水も、赤色の波長領域に弱い吸収帯が存在して、水自身が本質的にわずかな青色に着色していることに似ているようだった。
クレイシアは室内の照明を落とすと、壁に動画を映し出した。
「これは?」
館長が尋ねる。
「インテグレイティア人の、行き着く先です」
クレイシアが答える。
インテグレイティア人の青年が写っている動画。乳幼児期、少年期、青年期。一人の人間の成長過程を追った内容で、特別取り上げる事柄もない、インテグレイティア人の生きている様に過ぎない。未来は、代わり映えしないということか?
クレイシアは次の動画を再生する。
「今生きているインテグレイティア人は、
クレイシアは、災害当時のニュース映像や個人撮影の避難動画を、ピックアップしたものに切り替える。
「私からの配慮です」
音響システムをオンにして、動画の音声に被せてくる。人の声と環境音より、サラウンドで響くクラッシックが上回る。(しかしながら、逃げ惑う人々の上げる声は音楽に相殺されることはなく、皮肉にも臨場感を高める効果にもなっていた)
「日本が壊れていく
「今ここに、生きていることが奇跡のようです」
どちらからともなく、溜息が漏れる。
「最近は……純血に固執したマイノリティが居るそうだな」
「マイノリティ……ですか。我々が扱っている事象にも、含まれますね」
常設展示からは
近年、何故だかこの人体標本を撮影したメッセージ性のある画像やショート動画が、SNSや動画サイトにアップされては衆目を集めていた。そして遂に、器物損壊未遂と容疑者への暴行が標本展示前で発生し、今に至る。
「博物館、来ました〜〜」
「あ、これ、肌色多いとBANされちゃうかもなので、モザイクかけますが」
「美し過ぎる人体標本で〜〜す」
「これ本当に同じ人間ですか? 美人! イケメン! モデルみたいな体型なんですけどぉ」
(人体標本の正面を男性、女性、全身から背面へ回って、それぞれ全身、ケース内側の人体カット面はぐるりとブレたまま映して)
「はぁーーーー……あぁ、ちょっと、はっきりは見せられないです」
「でも、グロいとかじゃなくて、MRIみたいな? 怖い感じはしません」
「ガラス越しに
「ガラス触るだけなら、あ、駄目ですね、
『ブラウンアイかわいい』
(女性人体標本の目元と投稿者の目元アップをコラージュ編集した画像)
『博物館の日本人』
『これは当時の日本人じゃなくて、日本人の進化した先の、失われた未来図からつくった標本らしい』
(人体標本の公式画像をリサイズ編集した画像四枚)
「自分も日本人です」
「彼女と結婚したい」
(直近のヒットソングBGMで女性人体標本のみを撮影したショート動画)
(絵文字のみ)
(男性標本の長い髪を短くして、ファストファッションを着せた合成編集画像三枚)
『芸術作品か、標本か?』
(標本を真横から写した側面画像二枚)
クレイシアはSNSと動画サイトで、博物館のアカウントから、人体標本の画像付き投稿にいいねを押して回った。
※参考、引用。
『水の青』ウィキペディア
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