49 黒
宵の口、レストラン
「三島さんは、ここが気に入っているんですか?」
向かい合わせに座っている同行者に訊かれた。
「気に入っているのは、ディバイルの方なんじゃない? 独りでも来るんでしょ? ここ」
ディバイルと呼ばれた青年は、笑顔で返す。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
三島はテーブルに来た給仕を見て、少しホッとする。
あの男じゃない。今日は居ないのか? 先日ディバイルが見ていた、あの給仕。
注文を済ませると、ディバイルは何やら向こうのテーブルを見ている。
「ディバイル?」
「あぁ……えぇと……あの赤いケーキ、二つ」
給仕はディバイルの目線で気付いた。
「フレジェですね。ケーキのご注文には、コーヒーか紅茶をお選びいただけます」
「コーヒーお願いします」
「夕飯にケーキ?」
ディバイルの注文に続きがあると思ったら、それだけだったことに驚く。
「二つ頼みましたよ?」
そういうことではない。
「甘いものが欲しいなら、僕の机の引出しに入ってるよ」
「ケーキは入ってないでしょう?」
「そう……だな」
普通、同僚と食事に行っても、男なら向かい合わせには座らない。三島はディバイルとなら、隣ではなく、向かい合わせに座る。
今日のディバイルは、ブラックスーツを着ている。初めて会った日に着ていたスーツだ。サテンの、黒いナロータイも同じもの。長めの黒い髪、黒い服。まるで黒いトルソーみたい。
ブラックスーツは不思議だ。着る人によって、喪服にしか見えない人と、この上なくお洒落な装いに見えてしまう人が居る。
あれから何着も自前のスーツをディバイルに着せてみたけど、このブラックスーツが、結局いちばん似合っている。
…………悔しい。ディバイルにスーツを仕立てた資産家は、もうとっくに亡くなっているのに…………
「カフス」
「え?」
「どんなカフス? 見せてよ、ディバイル」
ジャケットの袖口から覗く、シャツの袖。こんな上等なスーツならカフスをしているだろう。そう思った。
「してないですよ」
「なんで?」
「高いカフリンクスを、一揃えしか持っていなくて。でも、よくこれがダブルカフスシャツってわかりましたね」
ディバイルが、ダブルホールになっているシャツの袖口を見せてくれた。
「高いって、どんな?」
気になる。ディバイルは小さな声で、ブラックダイヤモンドと二十四金のカフリンクスだと、教えてくれた。
「普段、付ける気にはならないんですよ」
…………益々悔しい。故人に嫉妬させられるのも、そんな贈り物を大切にしているディバイルにも。燃え
三島は、どす黒い感情を散らしたくて、ディバイルを見る。真っ赤なフレジェにデザートフォークを入れて、食べている。
僕もケーキになって、ディバイルに食べられたいな……
「……はぁ」
「三島さん、ごちそうさまです」
奢り甲斐がない……
「ケーキ二つは、ごちそうじゃないもん」
「フレジェ、初めて食べました。美味しかったです」
「ふぅん」
「三島さん」
「はぁい」
「どうしたら、機嫌直していただけますか?」
「?! べ、別に、機嫌悪いとか、ないし」
「そうですか? 何でもしますよ?」
今、何でも、って。
「何でもなんてっ! ……何でもなんて、簡単に口にするものじゃない……でしょ」
「そうですか」
ディバイルの、こういうところだけが、本当に嫌いだ。大嫌い。この口振りは、絶っっ対、
「あなたが悪いと思うわ、ディバイル」
ディバイルはダイニングのテーブルで頬杖をついている。
「レクストフなら何て言う?」
「何か言う前に、普通に夕飯らしいものを頼みなさいよ」
「あの赤いケーキ、食べてみたかったんだよ」
若い子って! 若い子って……どうしてこう……まぁ、いいわ。
「なんてケーキ?」
「フレジェ」
「フレジェくらい、私がつくりますよ。食事はちゃんとしなさい」
「つくれるの? レクストフが?」
ディバイルに袖口を掴まれた。
「何でも言ってみなさいな」
「ふふ、何でも?」
振り向いたら、ディバイルが立っている。
「火を消して、レクストフ」
「火? 何で」
ディバイルに抱きしめられた。
「ディバイル? 何してるの?」
パッと放された。
「フレジェじゃなくて、同じようにして」
ディバイルが私にしたように、ディバイルに両腕をまわす。
「これ……何なの? ディバイル」
「ディバイルが亡くなってから……病棟を出てから……何もないなって」
「何もって……あなたは何でも、持ってるでしょう?」
私はディバイルを抱きしめて、ディバイルに言った。
「何でもと、誰ともは、違うよ」
「人肌恋しい、とか言うつもりなら、私はやめてちょうだい」
「レクストフ、好きだよ」
「私もディバイルが好きよ」
ディバイルを離して、ディバイルに言う。
「うちの子みたいにね」
「も〜〜」
「あなたは男の人じゃなくて、男の子にしか見えないのよ。私には」
「ぅわぁ…………それは、酷い」
「大体、手近なところで済ませようとしないで。失礼だから。私に」
「ごめんなさい、レクストフ」
休日。突然平日にお休みをもらえることがある。午前中、庭園喫茶室へ脚が向かう。
ディバイルはサンドイッチをテイクアウトして、中庭を抜けて、ドライエリア席へ向かっていた。レストラン
この場所…………好きだ。外階段から一階分降りた地下なのに、白い大理石のタイルで造られたプールみたい。
ディバイルは水のないプールを抜けて、レストランの中へ入って行った。
コーヒー……
午前中は、バイキングを注文した客向けに、ドリンクもセルフサービスになっている。
「どうかしましたか?」
給仕に声をかけられた。
「コーヒーを単品で注文したくて」
いや、給仕じゃない!
声をかけてきたのは、私服のヒルコだった。
「コーヒーですね。かしこまりました。お席へお持ち致します」
「はい…………あ、あの」
「アメリカンですね」
仕事中のような返答。でも、今朝の彼は、思わず目で追ってしまうような金髪はそのまま、服装もいつもの制服じゃない。…………て、あれ? 何で、アメリカンて…………
「お待たせ致しました」
そう言って、彼は隣に着席した。
「相席しても、よろしいでしょうか?」
座ってから訊くんだ……斬新。
「今、勤務時間中ではないんです」
見ればわかります。むしろ何故、サービス対応してくれたんだろ??
「いっしょにコーヒー飲みたいなって」
「そう……ですか」
砕けて打ち解けるの、速くないですか? そして、私が断るかもしれないifなんて、一ミリも考え……てない。え、強い……心が強くない??
私の右隣の席に、あまりにも美しい人が、気易く座っている。気の所為ではなく、視線を向けられるのがわかる。通り過ぎる人から、近くの席から、遠くからの……あからさまに眺める目。薄曇りの自然光を浴びて煌めく、暗い金色の長い長い髪は真っ直ぐで、手を伸ばして、それが本当に同じ人間のものであるのか、確かめたくなるような……
「誰も、あなたのそれを止める人は、居ませんでしたか?」
コーヒーに、角砂糖を三つ入れたところで、止められた。
「
給仕をしている人って……そんっな記憶力いいのか?
「どうして、角砂糖を八つも入れるんですか?」
八つ……って、何で入れる前にわかるんだ??
「あぁ、その、甘いコーヒーは……もう必要ないんだけど、つい癖で」
「よろしくない癖ですね」
間近で向けられる、やわらかな笑顔は物凄くて……確かにこれは、悪い癖なのだろうなと素直に思わせられる。
「でもこれは」
言葉を切っても、この人は待ちの姿勢で、こちらを見てる。
「甘いコーヒーは、食事の代わりになるんだ」
「なりませんよ」
向けられる笑顔と、言われた言葉が、噛み合わない。
「今は、知ってる」
トンと、紙箱を叩く。何の気兼ねもなく食事をしても、よくなったんだ。ディバイルと居た時は……食欲が、よくわからなかった。空腹の不快さはあったのに。
「半分、サンドイッチ、よかったらどうですか?」
「私は別で注文しても」
「人と……誰かと、分けて食べるのは、好きなんだ……だから」
「そういうことなら、遠慮なく」
紙箱を開けて、差し出す。
ヒルコは、ディバイルが選んだサンドイッチを見て、笑みが
「ほとんどケーキだ」
「サンドイッチですよ」
食べものを分け与えられて、海の神が思い出される。ディバイルは、そうするのが好きだと言った。分け合うことも、誰かとして認識されることも、食べもの以上に振舞われる何かは、空腹を満たすだけではないみたいだ。
「三島さん、なんかズボン持ってませんか?」
「へ? っわぁぁーー」
ライトグレーのズボンにコーヒー……
「ちょっと紙コップひっくり返しちゃって」
「脚大丈夫なの? 火傷してない?」
「そんな熱いのじゃないですよ。ズボン」
ディバイル……僕のこと、着替えタンスか何かだと思ってない? まぁ、持ってるけど……
「不本意だ」
三島はこんなもの、ディバイルに貸したくはなかった。
「これ、いいですねぇ」
「よくないよ!」
「こういうの、どこで買うんですか?」
ジャージ…………しかも下だけ。上は黒いシルクシャツなのに、下は紺色の、サイドにパイピングの白線入りジャージ……
「ダッッッッサ」
「貸してくれたお礼です。どうぞ」
「何これ?」
ディバイルから紙箱を渡された。
「三島さん、お昼食べないで出社されたんじゃないですか?」
「テイクアウト? へぇ〜〜、何かな何かな」
パカっと開けた中には、フルーツサンド……クリームたっぷり……
「お昼?」
「はい。燃料入れて働きましょう」
燃料……ディバイルにはこれが燃料。耳なし食パンに、ホイップクリームで挟まれた苺と白桃、ご丁寧に
あぁ…………ディバイルには悪いけど…………カツサンド食べたい。起きぬけのブランチに、クリームは暴力だ。
でも、糖分は脳を叩き起こす。
「ディバイル、十五時からインタビューに行くよ。来る?」
「はい。同行させていただきます」
三島は予定表を見て、カメラマンと他同行スタッフは一名、計三名までと指定されていることに、目を遣る。
「現地への来訪を希望。郊外だから、少し早めに出よう」
「場所はどちらでしょうか?」
「えぇと、テクニカルフロート社」
「!?」
「ディバイル、知ってるの?」
「えぇ、まぁ」
「駅前にシャトルバス来るもんな。名前くらいは知ってるか」
「そうですね」
ディバイルは三島に予定表を見せてほしいと言って受け取ると、熱心に見始めた。
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