36 動物園

 照井戸てるいどシェファーは、クラスメイトを眺めていた。





 犬 猫 犬 猫 犬 狸

 犬 猫 犬 猫 犬 狐

 犬 猫 犬 猫 犬 猫

 男 女 男 女 僕 女





 いちばん後ろの列の、自分の机から見えるクラスメイトの背中に、次々命名していく。


 男子はほとんど犬みたい。ここに居るくらいだから、血統書付きの出自の正しい仔犬ども。

 女子はよくわからない。接点があまりない。ボンヤリした印象をなんとか思い出して付けていく。

 もっと動物園かと思っていたら、教室はペットショップだった。


 四時間目の授業が終わって、教室が賑やかになる。お昼の放送は、他のクラスの放送委員に担当が移ってしまった。シェファーは惰性で机を同じ班の子たちとくっつけ、給食の準備をする。何も考えずに、給食当番の配膳する列に並び、トレイに揃った給食一式を持ち、机に戻る。





「ジャムつけないの? 照井戸くん」

 同じ班の女子が何気なく訊いてきた。

「うん。……要る? あげる」

 シェファーは甘いものがそれほど好きではなく、コッペパンを一口サイズにちぎりながら、黙々と食していた。

「あ、ありがとう」

 苺ジャムとバターのディスペンパックを受け取って、なんだか意外そうな、でも少し笑顔……


 最近友だちになったA組のレインのことを、シェファーは思い出した。


 レインは…………犬。熱烈な仔犬。

 自分は……何だろう? 僕も、犬。ケージの中でうんざりしてる、どこか遠くへ行ってしまいたい、ぐったり仔犬。





 遠くへ行くことは、少しだけ、できた。

 シェファーは水曜の理科クラブの時間、王様に呼び出されて、王宮へ連れて行かれた。大人と連れ立って、車で、来たことない場所へ。


 呼び出されたのは、僕だけじゃない。その時、レインと初めて会った。

 レインはA組。噂だけど、クラス分けは成績順……て訳じゃないけど、A組には秀でた子が集められている気がする。あからさまな優劣順ではなく、学年主任が担任のクラスに、なんとなく抜きん出ている子が居る印象。

 凡庸なるF組の愚かしい僕は、見知らぬ場所へ連れて行かれて、怯えるどころか内心浮き足立っていた。


 非現実への来訪は、最たる逃避行である。シェファーは、学校と家の合間に、突如として挟まれた行き先に興奮していたのだ。


 王宮に着いてからボディチェックをされた。小学生が何を持ってるって思うの? 手を取られ、ウェットティッシュで拭かれ、髪をかされ、制服にブラシを掛けられ、整えられる。綺麗で安全になりましたか? ペットボトルの水を渡され、応接室のような部屋のソファーを勧められ、レストルームの場所を告げられる。まるで、水を飲んで座ったら、直ぐに出る人形みたい。

 隣におとなしく座っているレインは、あまり見掛けないデザインのペットボトルを手にしてラベルを見ている。


「軟……水」

 レインがボソリと呟いた。なら飲もうかな。硬水は嫌い。風呂かプールみたいな味がする。

「美味しい?」

 レインが訊いてくる。

「ただの水だよ」

「マリアナ山の湧き水だって」

「ふぅん」

 レインはソファーの背に身体を投げ出して、座った時にお尻からマシュマロにでも沈んだみたいに、ソファーに喰われてしまった。

「ねぇ、起こして」

 レインが僕に手を伸ばす。

「名前、教えて」

 知ってるけどね。編入生、炭洲すみすレイン。

「炭洲レイン」

 名前を口にしたレインの手を掴む。

「僕は照井戸てるいどシェファー。呼んだら、手を引っ張ってあげる」

「シェファー!」

 レインの手を掴んで引っ張った。

「……意地が悪い」

 手を離す。

「もぉ〜〜、シェファー?!」





「君たちは友だちなのかな?」

 王様は二人に言った。レインとシェファーは顔を見合わせた。

「さっき初めて会いました」

「僕は知っていました」

 シェファーの言葉にレインは驚く。

「え?」

「編入生は珍しいから、知らない訳ない」

 名前訊いてきたくせに、とレインはシェファーを見る。


「これを着けて」

 王様は二人に、アーバンのシンボリックカラーである青地に白線の入ったお仕着せを渡す。二人は制服の上から被って着る。

「今日は私の従者として、付き添ってくれるかな?」

「「はい」」





 夜会。

 王様にピッタリ、文字通りレインは貼り付いていた。

「何してるの? レイン。どうしちゃったの?」

「知らない大人の人、いっぱい。なんか……怖いよ」

「僕が居るじゃん」

 王様を盾に隠れてるのが、気に食わない。くっつくなら僕でいいじゃん。

「レイン、誰も怖い人なんて居ないよ」

 王様がレインを離すでもなく、頭を撫でて肩を抱いてる。ふん。面白くない。シェファーはなんとかして、何かレインの気を引くものがないか、軽食の並ぶテーブルへ探索に向かった。

 




 レインは王様にベッタリ。どうして? 僕を探しに来ないの? シェファーは離れても、レインと王様を見ていた。

 結局シェファーは、レインと王様のもとへ戻った。

「何か面白いものはあった? シェファー」

 王様が笑顔で訊いてくる。

「面白くないものならあります」

 王様には、シェファーの嫉妬がお見通しだった。可愛いらしい矛先を向けられているのが、可笑しい。

「王様、僕とレイン、ちょっと離れます。遠くには行きません」

「いいよ。行っておいで」

「行こう、レイン」

 あまりにも可愛い従者たちに、王様は口元を手で隠して笑っていた。









 教室とは別の動物園。

 シェファーは、着飾った人々の居る広間を見回した。おとなしくしている大人の動物たちの間をすり抜けて、仔犬を連れて、丈の長いテーブルクロスを捲ってこっそり隠れた。

 隠れたはずだったのに……





「僕といっしょに、王様の騎士になろう!」

「強くて、かっこいいよ!」

「僕に、言ってる、の?レイン」

「そうだよ。さっき何でも言ってって」

「何でも……って」

「……シェファー」

「……レイン」


「私も、なりたい」





 レインは本っ当……仔犬。レインと居ると新しいことが起きて、新しい人が現れて……

 ついさっき、テーブル下でレインと二人きりになったはずなのに、三人目が現れた。





 又しても、シェファーは王様のもとへ戻ってきた。

 王様は遠目に三人の従者を見ていたので、笑いが止まらなかった。


「何か、面白いものでもあったのでしょうか? 王様」

 シェファーが面白いを通り越して、気の毒な感じになってる。面白いことには変わりないけど。

「『かわいそうでかわいい』というものを、目の当たりにしているよ」

 怪訝な目付きを向けられる。

「王様」

「なぁに? レイン」

「王様の騎士は何人までなれますか?」

 王様は、レインとシェファーとヒルコを見て、言う。

「四人かな」





 それから三人はもう場を離れることはなく、王様に付き従っていた。





 シェファーは、大人の動物たちの中で唯一人である王様を見ては、ここより他にマシな動物園はきっとないのだろうと思い至った。

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