27 シェファーの家
F組。4時間目。
少年は時計の文字盤を、何度も何度も見ていた。
シェファーは放送委員で、給食の時間になれば教室を出られる。彼は教室に居たくなかったのだ。
放送室のブースの中で独りになれるのは、シェファーにとって心地良い
息が詰まる教室からの脱出、ほんの少しの小さな自由。
放送内容は予め委員会で決められた台本があって、それを交代で各学年の放送委員が回していく。実にチョロ……いや、負担の軽い、楽しい活動内容である。
しかも相方の委員は……
「ごめんねぇ、照井戸くんにばかり放送任せちゃってぇ」
ふふ……ふふふ…………始めからやる気なんてなかっただろう。人を観察して誘ってきたんだよなぁ? でも!僕には好都合! おまけに僕の分の給食を放送室まで持って来てくれる。押し付けたままでも、これで僅かばかりの罪悪感はチャラにできるんだろ?
良い気分だ。
お昼の時間だけ、王様みたいだ。学校のBGMは僕の支配下、
シェファーの至福はちっぽけなものだった。
窓際のいちばん前の席。シェファーは窓の外を見ていた。5時間目は国語。眠ってしまわないように、少年は外の動き回るものを目で追っていた。
サッカーをしている。A組とC組。脚の速いものは楽しそうに見える。脚の遅いものはどうだ? 早く終われと思っていないのか? 誰かの楽しい時間は、皆の楽しい時間じゃない。
午後の授業は半分寝ていて、ノートの文字は解読不能。後で誰かにノートを写させてもらわないといけない。
冴えない日常は、どうということもなかった。シェファーを苦しめるものは家の中にある。
「ただいま」
「おかえりなさい、シェファー」
お母さんは、キッチンでバットを並べて揚げ物をしていた。僕は手を洗って、手伝いをする。コールスローを取り分けていると、玄関でドアの開く音。
「ただいま」
この『ただいま』は僕じゃない。
「2人とも席について。夕飯にしましょう」
「お母さん、味噌汁よそうよ」
「ありがとう」
食卓に3人。僕は昨日と同じことを言いそうになって、やめた。
お父さんの席に座らないで。
お父さんの席に、男が座っている。どうして、家の中に、家族じゃない人間が居るのだろう……どうして、お母さんは、この男に普通にごはんを出すのだろう……どうして、これが普通になってしまっているのだろう……
揚げたてのカツなのに、布切れを噛んでるみたいだ。飲み込むと、塊が喉をキツそうに落ちていく。味噌汁を啜っていると、涙が溢れてくるような気がした。
お母さんと男が何か話している。僕は頭がおかしくなったように、話が何もわからない。何か訊かれれば返事をし、お母さんが笑ったら僕も笑い、そんなようにしかできない。男?…………早く帰ってくれないかなぁ…………
リビング。
ソファー。
クッションを枕に、僕は風呂上がりで横になったまま、足の指でテレビのリモコンを取ろうとしてる。脚つりそう。も少し。
「行儀悪い」
男がリモコンを取って渡してくれた。フン。早く帰れよ。
僕はリモコンをソファーに投げて、リビングを後にした。
「シェファー!」
ヤベ。お母さん見てた。
サイレントごめんなさいをして、自分の部屋へ行く。
することもなくベランダに出て、夜空を見ている。風が気持ちいい。男は今日も、お母さんの部屋に泊まっていくみたいだ。
僕は消えて無くなりたい。自分の家なのに、居場所ではなくなってしまったみたいなんだよ…………まだここは、僕の家なのか?
お父さん、どうして自殺なんかしたんだ。
お父さんは仕事してて、健康で、お母さんだって僕だって居るのに、どうして…………本当は、何か辛いことがあった? 何か、僕らには言えないくらい、なんかすごい……何か、あったの?
僕は馬鹿みたいに『どうして』しか言えないよ。責めたい訳じゃない。お父さん…………僕じゃ何の役にも立たないけど、でも、ちょっとは僕かお母さんのこと、思い出してほしかった。
会いたいよ。どうして帰って来ないの?この世に居ないなんて嘘だよね?
独りで夜ベランダに居ると、涙が止まらない。家の中は息苦しい。毎晩毎晩来る男は今日も帰らない。ここはおまえんちじゃない。出て行け。
きっと口にしたら、出て行くことになるのは僕の方なんだろうな…………
僕は想像する。
ベランダの手すりを掴んで、身を乗り出して、新月の暗い夜空を見上げて。
風が吹いてるここは、大きな船のデッキ。僕は旅に出ているんだ。遠く、遠く、どこまでも行く、旅の途中。
そんな想像。おかしい? 僕の慰めはこれだけ。
眠りに就く時、願うことは一つだけ。どうかこのまま、僕は目覚めませんように。
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