22 日々の速度

 夕方。

 オニキスが仕事から帰宅すると、レインが家に居ない。


 レインは、集会所の教室で会った女の子と友だちになったようだ。きっと、いっしょに遊んだり勉強したりしているのだろう。良いことだ。





「オニキス、ただいま〜」

 レインの服、濡れてる。風呂風呂。

「おかえり、レイン」

 足も濡れてる。面倒だ。レインを抱えて、風呂場へ直行する。


「オニキスって、よく抱っこしてくれるよね?もしかして僕のこと、すごい小さい子どもだと思ってる?」

 言うより楽なんだよな。その方が早いし。

「えぇと、まぁ……レインが小さくて軽いのは……そうでしょ?」

「!…………僕、早く大きくなるよ!」

「あはは。なるだろうね」

「オニキスくらい、大きくなるから」

「ふふ。私は大人の大男でも抱えて持てるよ?」

「はぁぁ??何それ、ず〜る〜い〜」

 レインが私を持ち上げようと纏わりついてくる。無理無理。

「風呂入っちゃいなさい」

「はぁい」





 レインとヒプノス島へ戻って以来、刑務所の宿舎には行っていない。週末しか来なかった家へ、毎日帰って来ている。

 レインとの生活をしているんだ。


 食卓。

「それでね、ハルはアーバンへ行きたいんだって。いっぱい勉強して、お父さんと同じ仕事をするんだって」

「ふぅん。じゃあお医者さんか、病院で働く仕事かな」

「僕は……何になる……かな」

「なりたいものは?」

「オニキスみたいに、なりたい」

「私?」

「え……と、あの、なれなくても、いいの。オニキスと、ずっと、いっしょに居られれば」

「居るじゃない」

 レインは席を立って、こちらへ来た。私の前にしゃがんで、膝に頭をのせて言う。

「ずっと?」

「レインがいっしょに居たい人は、いくらでも現れるよ」

「オニキスと居たいの」

 随分気に入られたものだ。人から好かれることなんてないから、レインは物好きなのかもしれないな。

 レインを持ち上げて、膝の上にのせる。

「居るでしょ?」

 甘ったれの小さくてかわいい子どもは、そうじゃないって顔をして見てくる。





「レインが成長していったら、考え方も成長していくよ」

 リビングの床でゴロゴロしながら、見るでもなしにテレビはつけっぱなし。レインがキッチンで食後の番茶を淹れている。

「別に、レインが成長しても、ニートの引きこもりの無職のダメ人間になっても」

「ストップ、ストップ、オニキス。ならないよ?ならないからね?」

「あっはっはっ……それはそれで見てみたいかも」

 レインがマグカップを置いた。うちにはコーヒー用しかないので、何でもマグカップだ。

「私くらいの体格まで成長したレインが、私に甘えてくるの。ちょっと面白いかも」

「それはホラーだよ。僕、そんなの絶対ならないから」

「へ〜ぇ」

「オニキスが僕のことかっこいいって思って、オニキスが僕に甘えたくなるの。なるなら、そっち!」

「ふぅ〜ん」

 レインが、かっこいいレインに?私の方がレインに甘えたくなる?

 それは楽しみだ。





 主寝室。次の週末にでも、大通りの商店でベッドや机、本棚、家具を揃えに行かないと。


「7才なら1人で寝る方がいいらしい」

「掛け布団か毛布貸してくれたら、僕は全然1人で寝るけど?」

 え?それ、レインの部屋で寝るってこと?床で?

「ダメダメ」

「僕、モーテルのベッドよりテントの絨毯に毛布で寝るの、よくしてたから平気だよ?」

 平気じゃない。床でなんて寝ないで。一応、良い絨毯も買おう。そうしよう。

「オニキスと寝るの、いや」

「え……やなの?」

「オニキス、寝ながら毛布をよじよじによじってるじゃない。僕も同じにされたら、困る」

「しないよ!」

 レインが私の髪を三つ編みし始める。遊ばれてる。編み終えたそれを取り上げると、スルスル解けた。

「あぁ……オニキス〜?」

「寝なさいよ。ほら」

 布団を掛ける。レインが私の片腕を引っ張って枕にした。

「お父さんもお母さんも、腕痺れるからいやだって言ってた。オニキスは?」

 しょうがないな。

「私は別に?どうぞ」

 朝まで寝返りうたない保証はないけど。眠ったらもう、わからない。





 なんてことない毎日が、毎日、毎日、毎日、続いていく。レインとの新しい日常も、平常になりかわる。





 夜中には時々、レインがベッドから居なくなっている。トイレ……じゃない。庭に出ているのが見える。


「レイン?」


「たすけて」


 泣いてる声。どうして?怖い夢を見た?


「お母さんと、お父さんが怪我してる……たすけて」

「怪我?怪我じゃないよ、レイン。お母さんとお父さんは」


 駄目だ。何を言おうとした?……駄目だ。レインが泣いてる。嗚咽して、座り込んで、立てなくなっている。


「レイン。レイン、もう大丈夫だよ?」


 レインを立たせて、部屋へ戻って、レインが再び眠りに落ちるまで見守る。そうしてから、私も寝る。





 レインは、あの時の夢を見るのかもしれない。





 こんな夜は、何度も来た。

 あの時、レインに起きたことは一度なのに、悪夢は何度もレインを苦しめに来た。





「ねぇ、オニキス」

「おはよ……レイン」


「どうすれば、強くてかっこいい大人になれると思う?」

「私もなりたいなぁ、それ」


「もう!オニキスはいいの。僕が、ね?悪い夢見ても平気なくらい」

「あぁ、悪夢見たのは覚えてるんだ」

「ちょっと!……恥ずかしいから、でも!え……と、あの」

「ぅん?」

「夜中に起きちゃう僕に、付き合ってくれて…………ありがと」


 さすがに、怖い夢を見て泣くのは恥ずかしいか……

 私はレインを抱き寄せて、ぎゅっとする。こんな時、どんな気の利いた言葉が言えれば、いいんだろ……今それが、わかればいいのに。









「強くてかっこいい、って何してる人だと思います?」

 職場で同僚に訊いてみた。


「なんです?それ。そんなのこっちが知りたいですよ」

「だよねぇ」


「『お父さん、かっこいい』なら娘に言われますけどね」

 響希野ひびきの医師……なんだ?自慢か?

「私だって言われたことあるもん!」

「あるもん、て……オニキス」

 は!……医者。医者かぁ……かっこいいかもしれない。いや、かっこいい。

「お医者さんはかっこいい。異論はない。だがしかし……強いのか?」

「これ何の話ですか?オニキス」


「ちゃんと働いている人は、皆かっこいいですよ。仕事しましょう?オニキス」

「……はい」





 レインとは、ずっといっしょには、居られない……と思う。数年のうちには、レインの復学を考えなくてはならないだろうし、進学や就職についてもそうだ。





「オニキスは、どうやって今の仕事に就いたの?」

 レインが、インテグレイティアの白地図を埋めながら訊いてくる。

「就いた、と言うか……選択肢が他になかったから」


 色鉛筆で居住区や工業地帯や草原を塗り分けている。私はレインの地図に点線の囲いを足していく。

「何?この囲い」

「サンド・オセアノー。草原には砂漠が点在しているんだ。来る時、車で通っただろう?」

「あぁ!じゃ、これ、オニキスが知っている砂漠?」

「そう」


「ねぇ、オニキス。ヒプノス島にも、他の仕事している人、いるよね?」

「私たちには……黒曜馬こくようばには、決まった仕事が国から外注されているんだ」

「刑務官?」

「そ」

「オニキスは……他の仕事って、興味なかったの?」

 手をとめて、レインは私を見てくる。

「私は人ではないから、人相手にする仕事は多分向かないんだと思う」

「はぁん」

 なんだか、わからないって顔。

「例えば、人間は犬のごはんを用意できるけど、逆はできないだろう?」

「オニキスは、ほとんど人間じゃない」

「きっとどこか、違うんだと思うよ」

 沈黙。どこら辺が人間らしくなさに傾いているかは、私は自分ではわからないんだ。

「僕は、オニキスがずっと馬のままでも、いっしょに居るからね?」

「私は、ずっと馬のままでいるなら、インテグレイティアの草原へ行く」

 この辺。レインがさっき緑に塗ったところを指差す。実際はサンド・オセアノーも斑にある地域だけど。

「えぇ〜〜〜〜??行っちゃダメ!やだ、オニキス」

「馬飼うの大変なの、レインは知ってるでしょ?」

 レインが住んでいた家には、家畜が少ないけど居た。馬も1頭。

「じゃあ馬にならないで。人間のオニキスでいて」

「たまには、海岸や広いところ駆けたいな」

 レインがダメって顔してる。たまになら、いいじゃない。

「真っ黒な黒曜馬のオニキスは、かっこいいから……他の人にとられたら、やだ」

「え、かっこいい?本当?……あれ、それって、馬でいる方が、かっこいいてこと??」

「僕だけのオニキスでいてほしいの」

「…………はぁ」

「オニキス?」


 誰も、誰かのものではいられないよ。私も、レインも、ね。


「本当に、心から望むことは、口に出さないで、秘密のまま持っている方がいい」

「そうなの?」

「誰も触れることができない秘密を持っているのって……それはそれで、良いものだよ」

「どう良いの?」

「現実に……自由にできるものって、それほど多くはないんだ。でも、想像する自由は、いくらでもできる。現実では叶わないものについて、慰めになる」

「想像しか知らなかったら、慰めになるかもね。でも僕は!オニキスと居るから、知ってしまったから……もし失うことがあったら、もう想像は慰めにならないよ!」


 レインのような子どもから熱烈な言葉を言われるのは、初めてだ。私もレインと居て楽しいから、レインが言うように、想像が慰めにならないくらいには……なっているかもしれない。





「レインと、レインの将来について話したかったけど……」

「今、オニキスのことしか考えられないよ……」


 私も頭がいっぱいで、無理みたい。そんな簡単にはいかないね、レイン。

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