21 雨夜

 目覚めは雨の匂い。


 マリアナ山の洞窟で眠るばかりだったヒルコは、雨続きのアーバンへ向かって飛んだ。


 大抵は夜。ナイアス川沿いに。ヒルコの胴が川の水面みなもに触れると、川の精たちが手をのばした。


「どこへ行くの、美しい龍」

「飛ばなくても、ナイアスが運んであげるわ」


 川の精たちは土砂降りの雨の中、ごうごうと水嵩みずかさを増して流れるナイアスを頼りに進むヒルコが気になってしょうがなかった。


 幾晩も雨の夜を飛び続けて、ヒルコは遂に力尽きて、ナイアスへ落ちてしまった。









 アーバン。ナイアス川は姿を消し、沈み込む。地下河川になっても流れは変わらず、王宮の地下にある水量調整区画へ流れ込む。ます型のプールにヒルコは流されていた。


 







 夜中、王宮内を歩き回るものがいる。警備員が許可なく立ち入ることはない、王が住まう居室へ続く回廊と中庭。地下には王宮よりも前に建てられた神殿がある。


 地下神殿には、列柱廊と水路が張り巡らされ、地下迷宮とも呼ばれている。枡から溢れ落ちたヒルコは、人の姿になって水路を流れのままに進んでいった。





 真夜中。

 静まり返った地下迷宮で、散策者が独り。床に埋め込まれたガラスタイル越しに照明の光が揺らいだ。視線の先にある水路に何かが居る。


 声をかけようと思って近付いてみると、水路から上がろうとしたところで力尽きたヒルコが居た。


 ヒルコには、近付いてくる足音が聴こえていた。部屋履きのような、あまり足音の立たない靴。足首まである長い裾の服。片手に持たれたランタン……


 インディゴブルーの裾が、ランタンの光でゆらゆら揺れている。アーバンの王宮に住まう、王の衣……暗い青色、深い藍染めの夜色。


 ヒルコが見たのは、そこまでだった。王が手を触れる頃には、すっかり意識の奥底に、ヒルコは落ちていた。





 ヒルコは、頼りない意識の水面下から、自分にかけられる声を聞き取ろうとしていた。


 歩いて。歩いて。もう少しだから。


 きっと、さっきの誰かが、自分を運んでいる。重たく痺れたような脚をなんとか動かして、肩を借りて、どこかへ連れて行かれる。









 寝台。

 王は、侵入者には違いないものを警備員に知らせず、居室の続き部屋へ引き入れていた。


 まるで水路を泳いできたような、そのものは、何も持たざる様子で倒れていた。実際、水路でも泳いでこない限り、警備員に見咎められずにここまで辿り着けるはずなかった。


 寝台に横たわらせて、濡れた身体を拭いて、長い髪も拭いている。先程まで、短く応えていた返答も、今はない。眠ってしまったようだ。









 ヒルコが目を覚ますと、辺りは明るくなっていた。王は居ない。


 枕元に服と、寝台から足を下ろすと履き物が置かれていた。書き置きがある。私の服はサイズが合わないと思うので、上着だけど着てくれと。ヒルコは白い前合わせの上着を着ると、履き物は踵を踏んで履いた。


 髪はすっかり乾いている。ヒルコのゆるいカーブの入った長い髪は、王が丁寧に水気を拭いていた。


 ヒルコは寝台に座って、昨夜のことを思い返していた。一晩寝台を占拠してしまって、あの誰かは、どこで寝たのだろう……





 常夜島とこよのしまを出ても、親切にしてくれるものは居た。





 捨てられて、流されて、浜辺で拾われる前には一度も得られなかった温情が、ヒルコには身に沁みて尊いものであった。

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