16 現代史

 響希野ひびきのハルは、自分宛ての手紙を何度も開いては見ていた。


 鉛筆でノートの1頁に書かれた短い手紙。


 集会所の教室でいつの間にか眠ってしまって、目が覚めたらワークブックに置き手紙が挟まれていた。


 灯台に居た子。男の子。あの子からだわ。


 どうして、あの子はここへ来れたのかしら……









 オニキスは、朝からレインが昼ごはんの用意をしているのを眺めていた。キッチンで鶏五目ご飯をいそいそおにぎりにしている。おにぎり。1個、2個、3個……いくつ握るんだ?私に3個寄越してきた。お昼だって。


 レインは、3合炊きの鶏五目ご飯から7個のおにぎりを握っていた。白胡麻を天辺にまぶして、ラップ巻き。4個のおにぎりを鞄に入れると、社会のノートも入れた。


「レイン、今日はどこへ行くの?」

「ここだよ」


 レインはノートを開いて見せてくれた。手描きの地図が何頁にも渡って、描かれている。うちから大通りの向こうの住宅地区。真ん中に『集会所』と書き込まれている。……教室、か。

 レインは自分でヒプノス島の教室を見つけ出したらしい。





 監獄地下。

 医療刑務所の事務室で、オニキスは今日出房を命じる受刑者について、勤務医とミーティングをしていた。


 医師の誰も口に出すことはないが、刑吏を良く思う者はいない。

 響希野医師もそうだった。


 ここでの仕事は、いそしんでも、尽くしても、虚しさが増していくばかり。今が最高潮だ。患者を刑吏に引き渡す時。


「いつも……。いつも、そういう顔をされる」

 オニキスは口にしていた。医療刑務所では、出房前に医師から受刑者のカルテをもらって現状説明を受ける。露骨に嫌な顔をする医師もいる。響希野医師は……やるせない、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「治療している患者がこれから殺されるのに!」

 オニキスと目が合う。

「失礼。あなたも仕事ですよね」

「私の仕事です」

「私には……患者です。受刑者で……でも、法の裁きが、生命いのちを奪うことまでしていいのか、私には……わかりません」

「私は、インテグレイティアの法務大臣の命令で執行します。死刑について、倫理的問題は答えかねます。私にもわかりません」

 オニキスは書類を受け取る。響希野医師は書類から手を放さない。逡巡して、手は離される。

「私は退場を命じる審判です。オーディエンスは野次を飛ばしてもいいですよ?」

「あ……ははは。オニキス!他の、他の人にも言うんですか?」

「いいえ。あなたは……その、正直だから」

 オニキスは続けた。

「あなたは疑問に思っている。答えの出ない問題を、インテグレイティアは我々に投げて寄越した。そのことについても」

「オニキス……」

「誠実で、献身的で、崇高な仕事だ。聖職だ。……我々と違って」

「オニキス!違うんだ、オニキス」

 オニキスは走り去った。振り返らずに言う。

「私はちゃんと義務を果たす。私に与えられた仕事だから」

 オニキスは廊下も階段も駆けて行く。心は鉛のようなのに、脚は軽やかに。人のように息が切れることもなく。









 ハルは、歴史の副読本を読んでいた。勉強しかすることがない。もしかしたら、学校へ行く日が来るかもしれない。来ないかもしれない。

 他にすることもないのよね……


 『極点へ向かって後退した海と、隆起した海底及び海溝は、かつての日本という国のアウトラインを大きく変えた』


 『プレートテクニクス学説的に、超長期的には突発的であったプレート移動によるものであり、世界地図は塗り変えられた』


 『この変動を引き起こした直接要因は、太平洋上への小惑星群の連続衝突事故である』


 『NASAを通じて国連本部より、各国の防衛を司る省庁に緊急通達が出されたが、予測落下地点が海上となる為、特別迎撃措置を備えるも実働はなされなかった』


 『だが、衝突衝撃でマグニチュード11以上の地震と強大な津波、数年に渡る太陽光遮断、それらに伴う生態系の破壊、あらゆる天災に見舞われる事態となった』


 『地球科学の未解決問題の事例がいくつも増えた世界的出来事である』





 『日本国の形が変わることで、国を構成する人々も大きく変わった。元から居た日本人、海外からの避難民。元から居た日本人は各地の津波災害で大きく数が減り、かわりに日本へ流入してきた外国人の数は多く、壊滅的ではあったが拡張した国土の日本政府は避難民として人々を段階的に受け入れていった』


 『日本における人口の過半数が、元から居た日本人を流入避難民が上回った頃、日本は在り方を改めるとして、新しい名前の、新しい国に生まれ変わった』


 『新しい名前については、後期白亜紀に存在していたイザナギプレートなどのように、新興国名候補の中にいにしえの名がいくつも挙がっていたという』





 インテグレイティア。

 長くて、片仮名の名前。integrateを名詞化した和製英語のたぐいだと思う……国の名前と言うより、『そうなりたい』とか『希望』のような……


 アーバン。

 元は形容詞で、単体で使用されることはなかったのに、今ではインテグレイティアの都市部を指す名詞化した単語。使い方だけ見ると和製英語的である。





 『元々は、外から来た人々が呼び拡めた形容詞的名称である。諸外国の首都とは異なる規模で都市部が拡がっていたことに起因する』


『高層ビル群、趣きのそれぞれ異なる近代的な商業施設、都市部の象徴でもある都会的ファッションで闊歩する人々、都会的な振舞い、都市部の毛細血管のような設備インフラ』


『数々の、都市部の、都会的なあらゆるものを指してアーバンと形容し、冠して呼ぶうちに、都心部そのものをアーバンと呼ばわしめるようになった』





 長机に頬杖をついて、ハルは現代序盤の辺りを読んでいる。『王制と領主制』の始まりに差し掛かると、誰かが来た。あの子だ。


 ハルは目を輝かせた。

 レインは現れた。


「こんにちは。入ってもいい?」


 今度はちゃんとレインの声がハルに届く。


「どうぞ!」


 ハルは副読本を閉じた。ハルの知りたかった名前は書いてない。


「入って。あなたの名前は?」

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