15 ライトハウスの亡霊

 ヒプノス島には、外洋に向けてそびえ立つ灯台がある。

 敷地内には霧信号所もあり、霧や吹雪などで視界が悪い時に、船舶に対し音で信号所の概位・方向を知らせる、音波標識として機能している。

 

 無人化されて久しい灯台は、昼間誰もいない。パノラマビューの眺望は素晴らしく、数分で世界にたった独り、取り残された気持ちになれる。

 

 実際、ここは世界の外側を見回せる場所なのだ。


 水平線の彼方に、船のシルエットが見える。きっとあれは、貿易港で見た赤いキリンガントリークレーンが大好きなコンテナ船なのだろう。船便で、インテグレイティアに向かう物資を詰め込んで、この広い広い海を行ったり来たりし続けているのだ。


 レインは、ぼんやり海を眺めていた。


 時折、アホウドリも見える。波間の気流を捉えて、羽ばたかずにダイナミック・ソアリングで優雅に滑空飛行している。

 あの海鳥は、離着陸がへたなんだ。昔、羽毛目当てに乱獲されてた時があって、人を恐れないから簡単に捕れるって、不名誉な名前をつけられて。パブリックネームにしたままなんて……あんなに素敵な鳥なのに。


 レインは、スケッチブックに大きな翼の海鳥を描いた。翼の外側と尾羽の先端が、黒。流線形の身体は、白。

 黒いグライダー機のようで、かっこいい……


 レインは、灯台を描きに来ていた。通っていた小学校の時間割りでは、3、4時間目は図工。筆記具とスケッチブック、おにぎりに水筒を持って、写生に来ていたのだ。


 おなかがすいた。多分お昼。ごはんにしよう。レインは、灯台でお昼ごはんを食べることにした。梅干と鮭のおにぎり、麦茶。給食でも遠足でもない、独りで食べるおにぎりは、不思議な感じがする。


「……おにぎり」


 突然、どこからともなく、か細い声がした。


「?!」


 レインは吃驚して立ち上がった。その拍子にもう1つのおにぎりが、転がり落ちて……


「はい」


 僕のおにぎりを、見知らぬ少女が拾ってくれた。


「あ、ありがとう」


 レインは、いつの間にか灯台の頂上に居た少女に、今の今まで気付かなかった。

 少女は、レインを見てポカンとしている。口を開いて何か喋ったようなのに、少女はレインの声が聴こえなかったのだ。


 レインは、すっかり忘れていた。

 オニキスは、レインの息づかいのような言葉を注意深く聴きとって会話してくれていたので、自分があれ以来、旨く話せないままでいることを。


「あなた……お話できないの?」


 少女の当然の問いかけ。レインは、立ち尽くした。堰を切ったように、過去の時間が溢れ返ってくる。


 男の喚く声。恐ろしい言葉が突き刺さって、そのままになっていた。喉笛は壊れたままだった。オニキスがただ、忘れさせてくれていただけだった。


 目が熱い。違う。涙も決壊したのだ。零れ落ちて、足元に濡れたあとが次々できる。僕は持ってきたものを抱えると、少女の前から立ち去った。

 螺旋階段を駆け降りる。後ろから追いかけて来ているかもしれない。振り返るのが怖くて、できなかった。

 来た時とは違う道を遠回りして、オニキスの家へ逃げ帰った。





 クローゼット。

 オニキスの寝室の、納戸くらい広さのある、そこに居た。オニキスの真っ黒い服が何着か、ハンガーにかけられて吊るされている一角に、縮こまって座り込んでいる。


 僕は、おかしくなってしまった。

 いや、おかしいままだったんだ。


 オニキスが、普通な振りをしてくれてただけなんだ。









「それで……こんなところに居たの?」


 夕方、帰ってきたオニキスは、僕の名前を呼んだ。返事はない。玄関に僕の靴があるから、家中探して見つけてくれた。


 僕は申し訳ないのと、恥ずかしいのとで、気まずい気持ちの中、灯台であったことを話した。


「数は少ないけど、ヒプノス島にも普通に人が暮らしている。外へ出れば、いつかは誰かに会うさ」

「……うん」

「私は……レインをどうにかしてあげるべきだったかもしれない」

「どうにか、って?」

 オニキスが指先で、自分の喉元に触れてみせる。声……戻るように、か。


「今のままでは、私としか喋れない」

 僕は変なのだ。オニキスは……変な僕を、憐れに思っているのかもしれない。それは……いやだ。


「きっと……引っかかってるんだ。怖かったのが。ブレーキをやめられないみたいになってるの」

 あんなに怖い思いをしたのに、僕は何を言われたかは、実は思い出せないんだ。どうせ碌でもない言葉だろうから、それはいいんだけど。


「レイン」

「はい?」

「私が『怖い思い』を上書きしてあげるよ」

「へぁ?」

 何を言ってるんだ??オニキスは。

「過去に起きたことを上回る『怖い思い』を今すれば、レインは取り戻せるよ」

「どうやって取り戻せるの?」

「必要が勝手にやってくれる」

「それって、どういう……」


 言い終わる前にオニキスの手が、僕の喉の上に置かれる。力なんて入ってない。ただ置かれているだけ。オニキスの指が喉仏を探り当てる。


 オニキスの手が触れている、喉仏の真後ろの首は、壁に隙間なくピッタリくっついている。もう一度言うけど、少しも押されてなんかいない。

 オニキスの手は、指は、僕の喉に密着している。それだけ。


「私は人の姿でいる時、この手でちょうど良い加減の力を出せるんだ。本当に、必要な分だけ。足りなくもなく、余計にでもなく。……例えば人が、学習して、生卵を割らずに持てるように」


 あれ……なんかオニキス、もしかして、怖いこと言ってない?


「あんまりしたい訳じゃないけど……他の誰かに任せるくらいなら、私がそうしたい」

「オニキス、あの、僕は、どうすれば……」

「過去のどうしていいかわからなかった誰かとは、違うよ?レイン。私だ」


 オニキスは右手で、僕を壁に固定してる。左手の指を構えてみせると、吊るされた黒衣の裾を、弾いた!強めの打撃音とひるがえる裾。オニキスの左手は、指を構え直すと、僕の眉間に照準を合わせてくる。


 今、目の前で見た、左手であるにも関わらず結構な威力を見せつけられた……オニキスは僕を固定する方に、利き手を使ってる……それでも……


「やめて……オニキス。やだぁ!!」





 僕は、目を瞑っていた。

 拒絶の声は、耳をすまさなくとも、届いていた。





「レイン」


 オニキスの右手は、すぐさま外されていた。

 簡単な、試すべき価値のある、ショック療法は容易く効いていた。


「ごめんね?レイン。怖かった?」


「ハァ?こ、怖かった?怖かったかって??なっ……なにがぁ??」

 よく通る、少年の声で、レインが喋っている。涙声ではあるが。





 その時僕は、想像せずにはいられなかった。

 鉄の首輪を嵌められた。僕を壁に縫いとめるオニキスの右手は、それだった。

 僕はかけられていない『力』を感じてしまっていた。僕が悩まされていた過去の恐怖よりも、圧倒的に強く。

 想像せずにはいられない。

 オニキスの仕事について。

 それはきっと、恐ろしい最期なのだろうと。

 




 オニキスは僕の頭をそっと撫でてきた。僕の身体は意図せずビクンと跳ね上がる。


「効き過ぎたかな」


 オニキスは苦笑いだ。僕はクローゼットを出た。









 夕飯の席。食事をしながら、レインが今日について、オニキスに喋っている。スケッチブックを開いた。オニキスはほんの少し、目を細めて捲った画用紙を眺める。

「よく描けてる」

「そ?」

 僕が描いた灯台の絵を見ている。

「来週は色を塗りに行くんだ」

「鳥も描いたの、レイン。……アホウドリ?翼、かっこいいね」

「飛んでいるところ、かっこいいよね」

「うん。あ、漢字ドリル。丸付けて、オニキス」

「うん。こんなに書けるの?すごいね、レイン」

 オニキス、お母さんより丁寧に今日勉強したとこ、見くれる。


「オニキスは今日、どんなことしてたの?」


 僕はつい訊いてしまった。食卓の話題は『今日何してたの?』これは家族での定番……もうずっと癖になっていて、オニキスにも訊いてしまった。迂闊だ……


「本当に聴きたい?」

「あ……の、えぇと……」


 僕は完全にやらかしていた。絶対僕もオニキスも気まずくなるに決まってる。


「ごめんなさい」

「いいよ、レイン。今日はほとんどデスクワークだったから」

「そう……なんだ」

「別に人に話せないことをしている訳じゃないよ。ただ……食事時には、向いていないかもね」


 僕は、オニキスの仕事に興味がない訳なかった。でも、遠慮なく訊くのは、躊躇われる。本当は聴きたくても。今じゃないんだ。

 こういうのは、きっといつか、時が来るんだ。その話をするのに、ちょうどよくて、相応しい時が。





 僕は寝る前に、スケッチブックの灯台を見ていた。

 あの時の女の子……おにぎり拾ってくれたのに、話しかけてくれたのに……悪いことしたな。あの子に謝りたい。

 又会えるといいな。









 集会所。小規模な住宅地区の、真ん中ら辺に建っている。この辺り一帯は、主に医療刑務所に勤務する医師や看護師などの家族が住んでいて、内数名の児童は、集会所の一室を教室として利用している。


 響希野ひびきのハルは、その1人だ。

 ハルはもうずっと退屈していた。


 来る日も来る日も、独りだった。友だちだった子は、アーバンへ行ってしまった。ここへ来ていた子は、私と会って、私と友だちになって、ここじゃないところへ行ってしまう。

 こんな世界の外側で会った子なんて、誰が覚えていてくれるだろう。皆忘れてしまう。私はここに居るのに。





 ハルはワークブックを閉じた。私はここからどこへも行けないの。アーバンに行ってしまった子は皆、誰かが向こうに居るの。お母さんか、お父さん。私のお母さんとお父さんは2人ともヒプノス島に居るから、どこへも行かない。





 ハルの居る部屋に、レインが来た。


 長机とパイプ椅子で女の子が眠っている。灯台に居た子。レインは起こさないように、長机の端っこで、ノートの切れ端に手紙を書いた。


『こんにちは。


僕は灯台で絵を描いていました。


僕のことを覚えていますか?


あの時おにぎりを拾ってくれて、ありがとう。


逃げ出して、ごめんなさい。


灯台のお化けより』


 レインは置き手紙をすると、部屋を出た。集会所。レインはノートに描いていた地図にそう書き足した。





 ヒプノス島は、オニキスが言っていたように、小さな島なのかもね。


 4時間目は社会。僕は、ヒプノス島の地図をノートに描きながら、歩き回っていた。

 この島に居る人の家が、集って建っているところ。その真ん中。ここへ来たら、又会えるかな?今度はちゃんと、僕から話しかけてみよう。

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