14 秘密の魔法は特別に

 落下事故。


 それは、後続車からの追突で起きた事故だった。


 レクストフ夫妻は、ハイワイトへ向かう途中、高速を降りて、山道を運転していた。カーブが多く、自動運転システムではなく夫が自分で運転していた。


「あなた、運転上手いのね。私、乗ってるだけでも怖いわ」

「寝ててもいいよ、エリー。起きたら着いてるから」

「こんなに揺れるのに寝るなんて……」


 下り坂のカーブをエンジンブレーキで走っている時だった。


 クラクションを鳴らしながら、後続車が減速せずに迫ってくる。すれ違いもギリギリな道で、なんとか脇に寄せてかわしたものの、更に後続車がもう1台突っ込んできた。どうやらベーパーロック現象を起こして、フットブレーキが利かなくなっている様子。


 衝突か、接触か。その時は衝撃でわからなかった。


 夫妻の車は道を外れて、山肌の斜面へ滑り落ちていった。気が動転している2人は、ゆるゆる加速しながら落ちて行く車から出ようと、シートベルトを外し、なんとか外へ転がり出た。


 互いに相手を確認して、手を取ろうとした瞬間……湿った落ち葉や土に足を取られて、重心バランスを崩した。不安定な斜面で2人は転がり落ちていく。視界もあやふやな中、身体が浮いたと思ったら、斜面の終わりから投げ出された。…………落下。


 2人は河原に倒れていた。近くで水の流れる音がしている。


 エリノア・レクストフは、頬が、大きな冷たい石に押し付けられていた。口の中、血の味がする。多分切れてる。身体の左半分が、どうかなってしまったような、いや、自分の身体が動かせない。キョロキョロと目だけで辺りを見回して、夫を探す。


 視界のどこかに倒れている姿が入る。あなた、と声をかけようとした。かけたかもしれない。


 次に気が付くと、救急車の中に居た。揺れる寝台の上。誰かが、何か言っている。









「レクストフさん」

「…………」

「ここは病院です。わかりますか?」

「あの、私……痛たた。え??」

「動かないでください、レクストフさん。あなたは事故に遭われて、救急搬送されて、手術をしました」


 目覚めたら、夕方の白い部屋に居た。腕には点滴、左脚は固定されていて、身体からコードやらチューブやらが機械に繋がったりしている。


「夫は……夫は無事ですか?」

「落ち着いて、無事です。この病院の、別の個室に居ます」

「会いたいです。会えますか?」


 今呼んできます、お待ちください、と医師は部屋を出て行った。

 夫は、私よりは軽傷だった。ロフストランドクラッチ(※片杖)をついて、頭や右腕に包帯を巻いていたけど、立って歩いている。

 私は……落下した時に河原へ打ちつけられて、左脚を複雑骨折と粉砕骨折、脾臓も破裂していて、手術したらしい。





 私は……左脚のリハビリで、この病院に長期間、入院していた。

 今の仕事に就くキッカケでもある。介護支援専門員ケアマネージャー

 ディバイル・ナークス氏は、夫が知っている人だった。私は、リハビリルームのある、廊下のベンチでディバイルと知り合ったのよね。





 事故に遭ったのは8年前。息子が生まれるより前。ディバイルに会ったのは仕事を始めて、すぐの頃。入院していた病院に来て、リハビリルームへ寄ったの。なんとなく、ベンチに座っていたら、私と同じ、リハビリルームを見ている人がいたのよ。……あの時、ディバイルと何を話したかしたら……









「ディバイル。私は名前が欲しい、そう言ったんだ」


「決めたんだ……私はおまえの身体を手に入れる。首から下半分じゃない。身体全部だ。私はおまえになるんだ。おまえは私『治らない病気に蝕まれた老人』になって死ぬんだ」


「どうやって?そんな入替え、できっこない」


「精神だ。おまえは何もわかっていない」


「老人は精神とやらがすきだな!身体が衰えてくると、心の問題にしたがる」


「私は若者の『おまえの身体』に『私の精神』を入替えたから、若い身体の影響で『私の精神』がおまえのようになっているんだ」

 老人は滔々とうとうと述べた。

「……よくもまぁ」

「おまえはもう『リファンド』じゃない。『20才のディバイル・ナークス』だ」

「身体が死にそうになっていても、狡賢い思考は冴え渡っている訳か!恐れ入る」

「『ディバイル』、今度こそ本当に、おまえの新しい名前だ」

 青年は複雑な表情を浮かべていた。

「あなたは、何もわかっていない。名無しノーネームなんて呼ばれるのはやだけど、リファンドは別によかったんだ。あなたが付けた名前で呼んでくれるならね」

 青年は、初めて老人を置き去りにした。個室を出て、廊下を走って、そして止められた。


「廊下、走らないでください。ね?」


 白衣の医師。肩につきそうな黒い髪が、自分と同じくらい。あ!スプーンの人だ!


「……ごめんなさい」

「あ、君、食堂の。どうしたの?」

「外、行きたくて」


 研修医イタカ・イーハツェイクは青年を見て、少し考えた。売店で買える薄い青色の寝間着。素足にスリッパ。手首に識別バンドは、していない。多分、彼を外へ行かせてはいけない。


「私はこれから食堂へ行って、お茶を淹れようかと。君もどう?」


 イタカは和菓子が半分くらい入っている箱を青年に見せた。仕事終わりに押し付けられた頂きものだが、帰る前に小腹を満たそうと、食堂へ向かう途中だったのだ。


「……甘いの?好き、だけど」

「そうか!ヨシ」


 イタカは青年を拉致ると、食堂へ直行した。





 彼はどうやら本当に、甘いものが好きらしい。


「これ美味しい。なんて名前?」

金鍔きんつば。お茶どうぞ」

「ありがとう。イタカ先生ってやさしい。すき」

 ……うちの弟より素直だな。

「好きなだけ食べなさい」


 青年は喋ると、どことなく、端々に幼い印象がある感じがする。その所為で、弟を思い出させられる。見た感じは私の方に近いだろうに……不思議だ。


 話してみて、彼が緩和ケア病棟のディバイル・ナークスさんの個室に居るらしいことがわかった。只、彼は頑なに名前を教えてくれなかったので、君としか呼びかけることができない。

 あんまり追及するのもよろしくない気がして、残った和菓子を彼に持たせて、私たちは解散した。





 病院から帰る時、思うことがある。私には、帰るところが……家があって、家には家族が居て……このことがどれだけ特別な、幸せでいる状態かと、改めて思う。

 いや、……やめよう。他の誰と比べなくとも、私は自分について満足することができる。できるだろう?

 イタカは運転しながら、眼差しは、今と明日に向けるものだと自分に言い聞かせていた。





「ただいま〜」

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「ん」

 兄がケーキの箱を寄越す。

「ケーキ!今日何の日?」

「帰りに和菓子があったんだけど、食べちゃったから」

「言わなきゃ僕は知らないのに……」

「そうだねぇ」

 兄は隠しごとをする気がない。

「帰り際に若い子ナンパして、いっしょに食べてきたからねぇ〜」

「はぁ?誰を?誰と?」

 なんなの?!

「さぁねぇ〜」

 もぉ!

「僕の知ってる人?」

「俺も知らない人」

「何それ、わかんないよ」

「名前……教えてもらえなかったんだ」

 振られてんじゃない?それ。え、甘いのいっしょに食べて、名前も知らないの?振られてんじゃん。

「……お兄ちゃん。僕、紅茶いれてあげる!」









 秘密は、秘密のままに。

 魔法は、語られない。それはあなたが特別ではないから。

 それは知らされない。あなたが特別であるから。









 ヒプノス島監獄地下、特別収容施設。


 特別収容施設所属、医療班。班長の記録。


 特記事項、なし。

 備考、昨日も今日も変わらない。抗炎症剤、培養皮膚シートの追加。『つの』について、一考を別紙に記載。





 夜が翼を拡げたような黒い毛並みは失われてしまっていた。美しかったたてがみも抜け落ちている。露出した皮膚はただれ、培養皮膚シートによる修復治療も追い付かない状態だ。ただ悪戯に、再生機能が苦痛を長引かせている。

 緩和ケアをしているはずが、苦しみを延長して与えているような錯覚に陥り、自らに憤りを覚える。





 『角』について。


 便宜上『角』と呼ぶ、前頭骨の変形部位であるが、筋膜、皮下組織、皮膚を突き破り、露出している。

 裂傷となっており、ここから新たな感染症を引き起こす要因になりかねない。

 患者の負担軽減措置として、角の切断と裂傷の縫合処置を検討願いたい。









 エリノア・レクストフは左脚を眺めていた。脚の付け根をぐるりと囲むように縫合痕がある。腹部にも開腹手術の縫合痕がある。

 バスルームのドアが不意に開けられた。ヒューが歯を磨きに来た。


「あぁ、母さん。何?脚、痛いの?」


 顔を背けて訊いてくる。


「なんともないわ。傷痕を見ていただけ」

「僕が生まれる前に事故に遭ったんだっけ」

「そうよ。あの時私が死んでいたら、あなたは生まれてないんだから」


「「不思議ね〜」」

 2人でハモって、2人は笑った。


 エリノアは服を着終えて、言った。

「大きな怪我をしたのに、お医者さんが綺麗に治してくれたの」

 ヒューは母の左脚を見て、言った。

「すごいね。普通に綺麗な脚だ」


「お父さんがね、良い保険に入れてくれてたから!それで、リハビリをしたり、形成外科へ通って、良くなることができたのよ」


「母さんは、父さんの特別大切な人だからでしょう?」


「そうね」

「フフ」


「ヒュー、あなたは私の特別大切な人よ」

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