12 刑吏オニキス

 ヒプノス島。

 港から逆位置に、パノプティコン型刑務所が建っている。


 パノプティコン、全展望監視システム。円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計された監獄建築で、少ない運営者で多数の収容者を監督することができる。


 恒常的な監視下における、収容者の精神的負荷は大きく、パノプティコン型刑務所はインテグレイティアではヒプノス島に現存する限りだが、設計構想を応用して、学校、病院、工場などの施設にも転用されている。

 この構想における権力作用は、効率的に働きかけられ、効果の最大化を試みるものである。





 刑務所の地下は、医療刑務所、更に地下道を通じて、特別収容施設がある。刑吏の宿舎は、刑務所に近接している。





「近くないよ?刑務所って、あの円筒形の大きな建物でしょ?」


「ここは宿舎じゃないよ」

「なんなの」


「私の家」

「……オニキスの」


 刑務所は切り立った崖の上に建っている。オニキスの家は戸建てが点在する地区で、人工的に整備された緑地の中に建っている。

 刑務所の方がオーシャンビューだけど、ここの方が明るい気がする。


「買って半年は経つかな。私の他にはレインが初めて来た人だよ」

「!……僕が初めて」

「うん」


 レインがニコニコしてる。半年も誰も来ない家なのに。まぁ、私も週末しか来ない家だけど。レインが住むのはここの方がいいよね?


「オニキスは宿舎に居るの?家があるのに?」

「レインが来たから、家が帰るところになりそう」

「家って帰るところでしょう?」

「家を買ってみてわかったけど……宿舎は、仕事に行くのに近い。これ、どういうことかわかる?」

「便利?」

「近い分、眠っていられる。眠るの、好きなんだ」

「…………」

 大人って、眠るの好きな人、多いよね……なんで??

「でも週末、こっちへ来て、昼過ぎまで寝てるのは最高なんだ」

 オニキスも、そうみたい。


「ここ、家族向けの家だから使ってない部屋、3つ空いてる。好きなの、レインの部屋にしていいよ」


 オニキスは、主寝室に文字通り大きなベッドを置いて、眠る為だけに使っていた。3つのうち1つ、北側の部屋には本が何冊も床に積まれている。


「本を読むのも好きだよ。この部屋、図書室にしてもいいかもね」


 家の中に図書室?なんて素敵な提案だろう!実は僕も本を読むのが好きなんだ。オニキスの好きなことと、同じのあって、僕はうれしい。後で本を見せてもらおう。


 僕は庭に面した南側の部屋を選んだ。掃き出し窓からは、どこまでも芝生が見えて気持ちがいい、はず。昼間見たら絶対、そう!多分!

 オニキスは必要なものを買いに行こうと僕に言った。リビングの絨毯の上で喋っていた。オニキスの家のリビングは、TVボードと絨毯と丸めた毛布が全部だった。床に座ったり横になるスタイルは、奇しくも僕の家と同じで、僕は既に居心地の良さを感じていた。


「テーブルと椅子もちゃんとあるよ」

「うちもね、リビングにってお父さんが椅子を買ってきたけど結局普段は使わないんだ。スタックして隅に置いてた」

「キッチンに食事用のテーブルと椅子があるけど、お盆に全部乗せて、こっちで食べてる時もあるかな」

「インテグレイティアへ来る前、本当に外でキャンプ生活してた時は、真ん中に火があって囲んで座ってたんだって。お母さんに聞いたことあるよ」

「火を囲んで、か……人間の根源的に寛げるスタイルなのかもしれない」


 レインは絨毯の上で胡坐をかいていた。そのうち片肘をついて横になり、終いには丸めた毛布を枕にうつらうつらしている。

 子どもって、電池切れみたいに眠るよね。レインが寝てる。オニキスはソファーのないリビングで、この家には人が来ても、眠る場所がないことに気が付いた。





 鳥の鳴く声がする。なんか聴いたことないのも混じってる。海鳥?

 薄く目を開けると、オセアニックブルーの、なんか、それ一色の中に居た。


「ぅ……わぁ」


 シーツ、掛け布団、枕、天蓋布まで深い海色。海の底みたい。

 ここ、多分オニキスのベッドだ。僕の部屋は何もなかったから。キッチンへ行くと、テーブルには朝ごはんが並べられていた。

 

「おはよう、レイン」

「おはようございます。あの、昨日、僕」

「今日、私は仕事なんだ。本当は私が島を案内したいけど」

「仕事でしょ?」

「本当はレインと遊」

「いってらっしゃい」

「帰ってくるの夕方だよ?外で遊ぶ時間ちょっとしかな」

「はいはい」


 今すぐ仕事が終わる時間へ行きたい。レインといっしょに、島中どこへでも行きたいのに。





 午前中。

 刑務官であるオニキスには、最も重要な職務があった。死刑の執行である。


 パノプティコンの階層ごとにある独房の一室から、1人の死刑囚が出房するよう命じられた。


 死刑の執行方法は刑法第11条により絞首刑で、死刑の執行時期は判決確定後6ヶ月以内に、法務大臣が命令するものと定められている。現在では、絞首刑は廃止され、ヒプノス島監獄の刑務官に一任されている。


 死刑囚は1階にある教誨室きょうかいしつへ通される。ここで、所持品の処分方法について聞かれた後、教誨師きょうかいしと話をしたり、遺書を書いたり、お菓子を食べたりすることもできる。

 その死刑囚は、話もせず、遺書も書かず、只冷たい水を1杯くださいと言った。


 次に、最後の部屋。刑務所所長より正式に死刑執行の旨が伝えられ、死刑囚は手錠がかけられる。


 執行は、外で行われる。複数の刑務官が死刑囚と連れ立ち、ヒプノス島監獄の崖下へ外階段で降りる。そこは閉鎖空間になっている砂浜で、刑場としてのみ使用される場所だ。


 死刑囚に目隠しが結ばれる。オニキスは死刑囚の手を取って、波打ち際まで歩く。死刑囚の足が止まった。


「歩きなさい」

 オニキスは言う。

 死刑囚は、目隠しで視界が奪われ、足首まで寄せては返す波間へ進んで行かされるのが怖かった。


「後5歩、歩きなさい」

 明確に歩数で命じられ、死刑囚はおずおずと従う。


 死刑囚とオニキスを、4人の刑務官が囲んで立っている。オニキスが死刑囚の名前を呼び、執行を執り行うことを告げる。


ひざまづいて」

 死刑囚がオニキスに命じられるまま跪くと、腰の辺りまで海面がきた。浅瀬であるが、打ち寄せる波に恐怖心が煽られる。咄嗟に立ち上がろうとした死刑囚を、オニキスは片手で肩を押さえる。立ち上がることを許さない。


 オニキスはもう片方の手も添えて、両手で死刑囚を海に沈める。水面みなもは死刑囚の鼻先近く、身体の浮力、押さえられている力はオニキスの両手だけ。それでも死刑囚は、水中から逃れることはできない。

 オニキスは肩から手を放し、死刑囚の手錠がかけられた手を腕ごと掴んで押さえる。一瞬、海面に顔を出すことも許さない。


 人が人を力で押さえることは容易ではない。だが、刑吏は人ではないものたちが務めていた。死刑囚が渾身の力で暴れたとしても、オニキスの力はそれを制圧することができる。

 1分も経たずに、死刑執行は完了した。


 刑務官は死刑囚の遺体を最後の部屋へ運び込み、待機していた医師による確認と検死が行われる。


 ほとんどの遺族は、遺体の引き取りを希望しない。

 葬儀は刑務所で執り行われる。火葬後、遺灰や遺骨も引き取る人がいない場合は無縁仏として行政管轄の墓所に納骨される。

 引き取りの希望がある場合、遺体及び遺骨は、物流鉄道に載せられアーバンへ送られる。





 執行のあった日、たずさわった刑務官は午前中で退勤となる。

 オニキスは、レインに関する書類の手続きや提出で午後を使っていた。





 夜。


「オニキスって、仕事で、その、心が疲れたりしないの?」

 レインが神妙な面持ちで訊いてきた。

「疲れたり?しないよ」

 心も強いし、力も強い。オニキスは人のようではあるが、内実はまるで異なる。

 応えながらオニキスは、レインに秘密にしていることがあったなと思い至る。


「ところで、レイン。誕生日なら言ってくれないと」

 書類の記入で知った。明後日で7才。週末だし、何かしたい。

「誕生日……来るんだ」

 そっぽを向いてボソリと言った。レインは、学校で言われた心無い言葉が引っかかっていた。

「レイン」

 体育座りで俯いてしまったレインに呼びかける。

「なんでも言って。なんでもしてあげる」

 レインはガバっと顔を上げて言った。

「僕が言うことくらい、なんでもできるって思ってる?それって」

「傲慢?」

「僕が!……僕がもし、荒唐無稽こうとうむけいなこと、言ったらどうするの?」

 荒唐無稽って知ってるのか~~。すごいな〜〜。

「わ、笑わないでよ。子どもだと思って」

「笑ってる?レインが難しい言葉を知ってるから、うれしくなっちゃって」

「やめてよ、もぅ」

 オニキスはたまらずレインを抱きしめた。かわいい……なんてかわいい子なんだ!

「放してぇ」





 週末、朝。オニキスと海岸を歩いてる。少し曇り空。誰も、いない。


 オニキス、休みの日も黒い服を着てる。今日のは見たことないやつ。被りの、裾も丈も長い、ストンとしてるの。両脇が開いてる外套みたいな服。


「レイン」

「はい」

「馬、好き?」

 何を突然。

「好き!」

「今から馬に乗せて海岸を走ってあげる」

「何言ってるの、オニキス。馬なんてどこに」

 オニキスが立ち止まって、僕に片手で目隠ししてきた。

たてがみを掴んで放さないで、乗って。言葉で言ってくれた通りに動くから」

「オニキス?」


 目隠しが外されると、目の前に真っ黒な馬がいた。


「え?!……オニキス?」

 砂浜に、さっきまでオニキスと2人でいたのに。

「あの、えと、君は」


 馬はレインの前へ来て、しゃがんだ。鼻先で乗れと言わんばかりの仕草をしてみせる。


 レインは迷いながらも心を決めて呼びかけてみた。

「オニキス……?」

 ゆっくり正面から近付いて、馬の首筋をてのひらで優しくなでる。

 馬は気持ち良さそうに目を瞑る。

「本当に、乗っても、いいの?……乗るよ?」

 しゃがんだまま、おとなしくしている馬に跨がる。鬣を握って、掴んでるよと軽く引っ張る。馬は静かに立ち上がった。

「わぁ……」

 この上なく静かに歩き始めて、波打ち際を進む。正直僕が歩いた方が早いくらいに、ゆっくり。

「オニキス……オニキスなんでしょ?」

 僕はわかったんだ。オニキス。オニキスなんだ!

「すごい、すごーい」

 僕はオニキスにしっかり掴まった。

「ちゃんと掴まってるよ。走って!オニキス」

 オニキスはもう少し海側に寄ってから、軽やかに走り出した。もし落馬しても、地面に身体を打ちつけることはない。ズブ濡れにはなるけど。


 レインが楽しそうに笑ってる。レインが『もっと』とか『速く速く』とか『お願いオニキス』と言ってくる。私も楽しくて、最後には海へ飛び込んで、結局ズブ濡れになっていた。


「そろそろ帰ろうか」


 オニキスが被りの黒衣を着ながら、僕に言った。


「レイン?」

「オニキスだ……」


 真っ黒な、でもそれは服で……さっきまで乗っていた馬は、真っ黒な馬で……でもオニキスは、ちゃんと人間で……


「変身するとこ、僕見てない」

「私が目隠ししたから」

「!……見たら、ダメなやつ?」

「人には見ることができない」

「でも目隠しはするんだ……」

「現実には変身バンクってないんだよ」

「何それぇ」

 オニキス、少し笑ってる。

「……オニキス。……ありがとう、乗せてくれて」

「ねぇレイン。あのね。秘密に……してくれる?」

「うん」

「家に帰ろう、レイン」





 7才になった。僕には誕生日が来たし、誰かに言われた言葉は忘れてしまった。





 レインのことが大好きだ。私が連れて来てしまったけど、ずっと、いっしょに居られたらいいのに。








※参考、引用。

「パノプティコン」ウィキペディア


「刑法」第11条


「死刑執行当日の流れとは?意外と知らない死刑執行手順を解説!」ベンナビ刑事事件 刑事事件マガジン


「死刑囚の葬儀ってどうなるの?死刑執行後から葬儀までの流れとは?」心に残る家族葬 葬儀コラム

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