9 ディバイルの遺産
インテグレイティア都市部。
アーバンには昔の首都高速道路に上描きされた、現在の首都高が張り巡らされ、途切れた環状線や物流専用線との交差から、『サーキュラー・スワスティカ』と呼ばれている。
サーキュラー・スワスティカ沿いや都心部を『スワスティカ』とも呼び、商業施設や繁華街、国公立の学術的建造物、広大な緑地公園も多く、地価はべらぼうに高い。
「お兄ちゃん」
僕はテーブルの下から足で椅子を押した。
「なんだ」
「ん!」
僕は向かいの兄の席に座ってほしい。
「あぁ、うん」
返事はするけど座らない。シャツの手首の
小学生の弟がTVを見ながら朝ごはんを食べている。私は弟のトーストを一枚奪う。
「イハ。塩」
「おに〜ちゃん……バター塗ってあるんだから」
何言ってんだ。トーストには塩だろ。パッパッ。食器棚からグラス。ドン。
「オレンジジュース」
「も〜横着〜」
僕はグラスにオレンジジュースを注ぐ。紙パック直飲みはしないんだよな、お兄ちゃん。
兄、イタカ・イーハツェイクはシンクの上でトーストをバクつくと、手をはたいてからネクタイを結ぶ。
「ど? ちゃんと出来てる?」
「出来てる出来てる」
オレンジジュースを飲み干して、歯磨きに行った。今日の天気は? と洗面所から声がする。夕方から降水確立六〇パーセントだって。
「そ。今日俺忙しいから、夕飯つくるの多分ダルい。夜、ファミレス行こ」
「やったぁ!」
「イハ、ファミレス好きな」
「どこ行く〜?」
「駐車場あいてればどこでも」
兄は車で大学へ行った。しょっちゅうスーツ着てるけど、ネクタイ締めて行くのは珍しい。
お父さんとお母さんが居た頃は、お兄ちゃん、ネクタイ締めてたんだよな……今でも私服がスーツなの、お母さんから似合うねって言われたからなの、僕覚えてるよ。
お兄ちゃんは、お医者さんになると思ってた。僕と二人きりになってから、お兄ちゃんは『不良』になってしまった。
お父さんとお母さんの前では『私』って言ってたのに、『俺』って言うようになって……似合ってないんだよね。髪も切らない。もうすぐ肩につきそう。
イハ……
大学は大学でも、医学部附属の大学病院な。
お医者さんには、なるから。その予定だから! 今は研修医だから! 死ぬほど忙しいんだから、イハトでもわかる段階までいけたら説明してやる。
後、スーツな……洗えるスーツ、楽なんだよ……これさえ着てれば間違いないし……そういや、成人式の時にオーダーメイドしたの着てないな……母さんが似合うって言ってたやつ、今着てるのと別物だからな……クソ。
父さんが医者だったから。何の疑いもなく自分も同じ道へ進んでいるけど、両親を失って家族は欠けてしまった。
今は進むしかない。自分が欠けを埋める。真っ当な家族でい続ける。
幸い、お金と住むところはあるんだ。やっていける。弟には、うちは普通だと、思っててほしい。
王宮には王様が居る。
宝石箱の宝石のように、阿古屋貝の真珠のように。それはどこからきたのか……
神殿には神様が居る。
ヒルコには四肢欠損があった。
手も足も揃ってはおらず、不具の子には名前もつけられず、子として数えられることもなかった。始めから生まれなかったかのように。捨てられ、忘れ去られ、不遇なるまま、最果ての海まで漂着した。
憐れなるものよ。
スワスティカ近郊、大学病院。
ディバイル・ナークス氏の弁護士と共に、終末期医療が行行われている病棟へ私は足を運んだ。
「遺言書の作成について、簡単にレクチャーしてほしかったんだ。忙しいところを申し訳ない」
「ディバイル。いつでも、なんでも、言ってちょうだい。なんでもするから」
「レクストフ。『なんでもする』なんて言うものではないよ」
エリノア・レクストフは、老人を見た。
「ところで、こちらは?」
ディバイルの車椅子を押してきた青年。白い検査着を上下着ているが、手首に識別バンドはしていない。足元は素足にスリッパ。
「彼は〜その、Refundだ。そう呼んでいる」
「え?」
リファンド。ディバイルはそう言った。リファンド……
「おや。私が伺った時は、No nameと」
弁護士はノーネームと聞いた。ノーネーム……名無し? そんなのある?
もしかして、この青年は、本当に名前がないのでは……そんな想像が
リファンドと共に私たち四人は、ディバイルの遺言書について話合う席についた。
「通常の相続手続きだけでは、法定相続人ではない他人に財産を残すことはできません」
ディバイルの弁護士は、遺産相続について説明する。
「但し、遺言により、他人であっても財産を贈与することができます」
「ディバイル・ナークス氏は、ノーネーム……リファンドさんに財産の全部を遺贈することを希望しています」
「……え?」
「はぁ?」
リファンドも私も素っ頓狂な声を上げた。
「ディバイル? どういうこと?」
リファンドは勢いよく立ち上がって訊いた。
「ディバイル、親族の方は」
私も思わず訊いた。
「落ち着きなさい、二人とも。リファンドは、私が死んだら処分される」
ディバイルは……今、なんて、言ったの……
「このまま私が何もしなければ、生命保険の『払い戻し』である『彼』は私の死亡と共に処分される。実際には処分猶予として国に帰属してしまう」
「彼は、何なんですか??」
私は訊いた。
リファンドは絶句したまま立ち尽くしている。長机についた両手の、汗ばんだ指先には力が入り、指の腹が表面をこすって音が鳴る。
「『彼』は、最新の、テストモデルで……生命保険の」
「どうか、もっと、わかるように、ディバイル」
「二〇年満期の、私の……クローンだ」
まるでSFか、近未来の、絵空事のよう……だって、彼は、普通の青年で……
「私は癌が全身に転移していて、例え彼の健康な臓器を私に総取っ替えしても手遅」
「ディバイル!!」
リファンドが長机越しにディバイルに掴み掛かろうとして、でも自制して踏み留まっている。リファンドが座っていたパイプ椅子は、真後ろに倒れてしまった。
「聴きなさい。臓器のスペア用クローンなんて倫理的に許されない。彼は
ディバイルの言っていることが、まるで理解できない。頭に入ってこない。
「例えば、血液、骨髄液、皮膚など再生可能な範囲で私の予備部品として保険会社から支払われる現物が、彼だよ」
「臓器そのものを……彼から取ることはないのですね?」
「勿論」
やっと、ディバイルの話が見えてきた、気がする。…………それにしたって、自分に何かあったら、倫理的に問題ない範囲で、
「レクストフ。彼は人ではなく、法的には私の所有物扱いだよ」
私は咄嗟に横のリファンドを取り押さえた。リファンドは激昂していた。気持ちはわかる。私も今、ディバイルに掴み掛かって問い質したくなったもの。
「放してくれ。こいつ! 私を物呼ばわりした! 誰があんたなんかに」
「落ち着いて。ね、お願いよ。静かにしましょう?」
「レクストフ。少しの間、リファンドを外へ連れて行ってくれ」
「ディバイル!! 私が人ではないって……人でなしはどっちだ!」
「私と行きましょう、リファンド」
リファンドは依然、興奮が収まらないようだ。私はリファンドと腕を組んで廊下を歩いている。
「私、喉が渇いたわ。売店へ行ってもいいかしら」
このまま本当に外へ、行ってもいいかもしれない。
「相続税については……納付期限までに相続手続きが済んでいれば、相続した財産から相続税を払うこともできます」
「そうか」
弁護士とディバイルは遺産相続の話に戻って、説明を受けていた。
「レクストフさん」
リファンドに呼ばれた。
「はい」
「腕、放してもらえますか?」
放したら、ディバイルのところへ走って戻らないかしら?
「私も喉渇いたので」
リファンドは自分も売店に向かうと言っているのだ。
「走らない?」
リファンドは少し笑った。
「放したら、私が走って戻るとでも?」
「……ごめんなさい」
「あはは。もう大丈夫ですよ」
笑っている横顔は、どこにでもいる普通の青年にしか見えない。二〇才なんて、私には子どもに見える。笑顔の屈託ない雰囲気は、うちの子と大して変わらない。レクストフにはそう思えた。
一九時過ぎ、大学病院、職員用出入口。
帰る。きっと二〇時前には帰れる。
イタカ・イーハツェイクは研修医勉強会を終えて、帰途につくところであった。
「イタカ先生、さようなら」
「あ」
「又明日」
「お疲れ様です。あの! 乗っていきませんか? 雨降ってるし、駅通るんで」
「あら、いいんですか」
「えぇ」
ボツボツと大粒の雨がフロントガラスに当たる。助手席には事務の
「助かります。一本早い電車に乗れそうです」
「走らなくても乗れそうですか?」
「! ……イタカ先生って、優しいですね」
「少しでも早く帰りたいでしょ?」
「ですね!」
「ですよね!」
にこっとされて、釣られてしまう。イタカ先生は、研修医の先生だ。ラフな私服の先生が多い中、いつもスーツの先生は印象が強い。
「弟とファミレス行くから、早く帰りたいんですよ」
「いいわねぇ。うちは今晩何にしようかしら」
「私はハンバーグですよ。鉄板で。アチアチの」
「ハンバーグ……昨日のカレーがあるから、ハンバーグカレーにするわ」
「うまそ!」
駅に着いた。イタカ先生に送ってもらうのは、これが初めてじゃない。なーんか気配り上手で、優しいのよね。弟や妹がいる人ってああなのかしら……
「
「今何時?」
「違うよ、おに〜ちゃん」
「なんなの」
「サーキュラー・スワスティカの
「はい」
「お金持ちなんだって」
「へぇ〜〜〜〜」
「知ってた?」
「うん」
「○卍も?」
「うん」
「なぁ〜んだ……」
「イハ」
「なにぃ?」
「その言い方、やめなさい」
「○卍? なんでぇ??」
「クソダサいから」
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