8 週末、狩りの会

 医学的他覚所見。


 硬化し、変形し続ける頭部。

 前頭骨は、尖頭器のように突き出て、絶えず苦痛を与えるそれは『つの』に相似。





 ヒプノス島、特別収容施設。

 収容者、1名。

 提供、痛みや不快な症状を和らげる為の緩和ケア。

 治癒目的の医療行為は、現在行われていない。


 刑吏は海を越えての遠出から戻ると、真っ先にここへ来る。

 生きているか。死んでいないか。

 逢いたくて来ていた頃の気持ちは、もう思い出せない。









 ユニコーン。

 物語や絵画にあらわれる容姿は、額に一本の角を有する白い馬のような神獣として描かれる。

 その角には、毒耐性があって……


 少年は、秘密のノートを持ち歩いていた。関連記述の写し、絵画の部分模写。それらをまとめての感想、考察、少年の言葉で再構築された文章。

 少年はノートの中で、言葉を書き連ねることで考えていた。









 土曜の夕方。

 サラセンホテル地下1階。レストラン『皿千さらせん』にて、ダブルブッキング発生。


 サンドブレスト・ブルーは、毎週金曜のディナーと同じ席を……ヒューバート・レクストフは、席を指定して予約していた。


 レストランにはそれなりの席数があるので、通常はダブルブッキングがそもそも起こらない。

 2人が指定した席は、ドライエリアの同じ角席だったのだ。


「誠に申し訳ございません」


 着席している2人に呼び止められたのは、バイトで給仕をしている三獅子川みししがわキャリーだった。


 ヒューは、サンドブレストをジト目で見ている。

 ヒューには信念があった。『道と席は譲らない』


 サンドブレストは、先程から自分に向けられている、隠しもしない視線に好奇心が湧き始めていた。視線の主は、私立校の制服を着た少年。彼が待合せで、この後家族や友だちが来るなら席を譲ろうと思う。


「私は独りで食事をする予定で、予約した。君は?」

「僕もだ」

 ヒューは、毅然と応えた。

 サンドブレストは、予想外の返答に提案を述べる。

「もし君さえよければ、相席で私と食事を共にしていただけますか?」

「いいですよ」


 ヒューバートには、無自覚で自信家な面があった。早熟なる厨二病の真っ只中で、謎の信念のように思われがちだが、揺るぎない芯のある自意識は、彼の言動にも表れている。


 キャリーは、サンドブレストを目線が合わないように盗み見ていた。

 サンドブレストに相席をお願いされた少年が……羨ましい。見た感じ、初対面のような少年を、何故サンドブレストは食事に誘ったのだろう。


 サンドブレストは、給仕の視線にも気付いていた。ジト目の少年と、私が視線を外すと見てくる少女。こんな面白そうな面子メンツ……


「謝罪は、言葉だけ?」


 サンドブレストは言い放った。高圧的でも慇懃無礼でもない、平常通りの口調は、時に冷水を浴びせるほどの効果で響く。

 キャリーは、一瞬で喉が詰まるような感覚に襲われ、動揺は隠せない。

「あ……あの」

 可哀想に思えるほど萎縮したキャリーに、サンドブレストは続ける。

「同席して」

 ほとんど命令である。

 キャリーは円テーブルを囲む4人席の、サンドブレストとヒューの間に着席した。


「私!今勤務時間中で……」

「そう」

「こんなとこ、見られたら」

「わかった。待っていて」


 サンドブレストは、立ち上がると店の奥、厨房へ向かった。

 キャリーは、生きた心地がしない。いったい何をしに行っ……


「おねえさん」

「はい?!……な、んでしょう」

「おねえさんは、あの人、知ってる人ですか?」

「常連のお客様よ。こんな風に喋るのは、初めてだけど」


 サンドブレストは、厨房で果たしてクレーマーと化したのか?……否、知人のていでキャリーの早退をお願いしていただけである。

 厨房の主任は事務所に連絡して、社員からの快諾をサンドブレストに伝えた。上客、ハイワイト領主の我儘はこれが初めてである。





 ディナータイムのシフトをメインに入れている給仕が、サンドブレストのテーブルについた。カジュアルなコースを3人前。


 なんだ?この面子……

 給仕の佐藤ヒルコは、さっきまで同じように働いていた三獅子川が、制服で着席しているのを訝しげに思った。


「2人にはアルコールではなくソフトドリンクで」

 サンドブレストは言い添える。

 当初の予定から大きく変動した夕食は、3人の食事会となっていた。


「僕は、コース料理をいただけるほど予算を用意していません」

 ヒューはサンドブレストに告げた。

「奢るよ。誘ったのは私だ」

 サンドブレストはわかりやすく言い切った。

 キャリーはサンドブレストに何か言って中座したかったが、何も言葉が出てこなかった。





 サンドブレストは2人と軽く話して、アラカルトをそれぞれ決めてオーダーした。

 ヒューは普通に選んでくれた。キャリーは緊張していたようなので、サンドブレストがアミューズ、前菜、主菜、デザート、食後のコーヒーか紅茶とミニャルディーズに至るまで、好みを訊きながら一品ずつ選び出していった。


 オーダーを受けながらヒルコは、スマートな誘導チョイスをしてみせるサンドブレストと、ガチガチのキャリーに謎の少年、このテーブル……面白いかも……と思い始めていた。





 いったい、これは、何の食事会なのだろう……

 キャリーは、ダブルブッキングで叱られる訳でもなく、見知らぬ少年とサンドブレストに挟まれてリッチな夕食にありついている……


「週末は、何をして過ごしているんだ?ヒュー」

「探検です。街中でも……面白味のある場所は幾らでもありますから」


 どうして、この2人は普通に会話をしているの??偶然居合わせただけでしょ!


「サンドブレスト。あなたは週末何をしているのですか?」

 ヒューに気後れはなく、むしろ場当たり的に臨める実行力があった。

「私はハイワイトに住んでいます。週末は害獣駆除も兼ねて、もっぱら狩りを」

「素晴らしい!」

 なにがぁ?

 キャリーにはわからなかった。

「ハンティングライフルを知っていますか?レミントンM700を構えたくて、森へ行くようなものです」

「羨ましい……」

 ………………

「狩り……って、楽しいんですか?」

 キャリーには未知の世界。思わず会話へ踏み入ってしまった。

「もちろん」

「街中では……叶わない」

「でしょうねぇ」


 サンドブレストはほんの少し、口角の上がる表情をしてみせると、2人に言う。

「『狩り』を……してみたいですか?」





 ヒルコは、主菜のプレートを並べる。サンドブレストとキャリーにはポムピュレとサラダパストラルを添えた仔羊のロティ、ヒューにはエイのムニエル。


 おかしい。


 何かがおかしい。私が来た途端、沈黙。給仕の配膳で、会話が一時的に停まることは珍しくない。只、このテーブルの3人は、何故か、私を注視しているような気がする……


 怪訝な思いでヒルコはテーブルを後にする。





 数分前。


「あの野生馬をターゲットにしよう」


 サンドブレストは、馬のしっぽのように髪を結った給仕を見遣って言った。


「美しい馬です。銃器は使わないで、罠を考えましょうか」


 ヒューは目を爛々と輝かせてる。サンドブレストは人狩りマンハントを提案したのだ!……どうかしてる。


「獲得は、この空席に座らせること。デッドラインは、ミニャルディーズの皿を下げてテーブルを去るまで」


「使えるものは?」

 ヒューはやる気だ。

「ルールは?」

 私はやる気ない。でも、乗る。

「使えるものは、この場に相応しくない行いを除いて、自分にできること。ルールは、獲物に触れてはならない」





 デザートは、3人共ライチとフランボワーズのヴァシュランにしていた。給仕はおよそ重量を感じさせない手付きでプレートを並べていく。

 ヒルコへの意味不明な注視は継続中。最早懐疑的な心持ちが笑顔をぎこちなくさせ、ヒルコは或る種の不穏さを察知していた。





「君に話がある」

 サンドブレストが先手を切った。片手で空席の椅子を引いて、『座れ』とは言わずに促してみせたのだ。


 ヒューはすかさず、サンドブレストから最も遠い位置に、デザートフォークを落とした。ドライエリアの屋外席だが、マーブルタイルへの落下音はヒルコの関心を引くには充分だった。


「今、新しいものをお持ち致します」


 ヒルコは小さな銀のフォークを拾うと、サンドブレストに一礼してテーブルを去った。無下むげにするのではない、少々お待ちいただけますかと。


 獲物へのアプローチで、リアクションを成功させたのはヒューだった。





 ヒルコはカトラリーからデザートフォークを取ったが、なんとなく、あのテーブルに戻りたくなかった。

 企みの気配が、彼にそう思わせていた。





「お待たせ致しました」


 ヒルコはヒューの左側にデザートフォークを置いてから、サンドブレストの方を見た。

 さぁ、話とは?


 キャリーはヒルコを見上げて言った。

「ヒルコ先輩」

 今まで客として相対していたのに、突然職場の感じで呼びかけられたのだ。

「ちょっとそこ座ってください」

「はい。…………いや、何?三獅子川」

 あっさりと勝敗が決まるところだった…………がヒルコは、私は仕事中だから、と椅子の背に手を掛けたものの、座りはしなかった!


 惜しい!3人は後少しの汚いやり口ファインプレイに叫びそうになっていた。


「もぉ座るはずだったのにぃ!」

「狡いよ、おね〜さん」

「次でラスト」


 ヒルコは本当に、あのテーブルへ提供しに行くのが嫌になっていた。

 何なんだあいつら……マジわからん。





 ラスト。

 ヒルコはサンドブレストにエスプレッソ、ヒューとキャリーに紅茶を。3人はミニャルディーズのワゴンから、ダークチョコレートのプラリネ、バニラマカロン、苺ムースタルトを選んだ。


 ドロー。

 3人は思考を巡らせはしたものの、ヒルコを獲得する旨い方法を誰も思い付けなかった。敗北よりもやるせない。

 それぞれが言葉なく甘味に慰めを見い出していると、テーブルを離れた給仕が戻ってきた。ヒルコはギャルソンエプロンを外す。そして、躊躇いなく空席に座った。


「どうぞ?座りましたよ」





「あなたのしっぽは、とても素敵ですね」

 ヒューがいった!

「それは……どうも」

 ヒルコは面食らうも、平静を崩さない。他人から好意を向けられることが日常的に多いヒルコは、それが珍しく少年からであっても受け流すことができた。

 不穏さ渦巻く、謎の緊張感が張り詰めていた3人テーブル。告白のタイミングを謀られていたのか。それだけ?本当に?


「三獅子川」


 ヤバ。ヤバヤバヤバヤバヤバ……キャリーはヤバかった。先輩で狩りをしてました、なんて明かせる訳ない。


「今日は私たちのテーブルについてサーブしてくれてありがとう。あなたは来週の土曜も居ますか?」


 サンドブレストが給仕へのお礼を伝える。多少の不自然さはあるものの、キャリーは難を逃れた。

 お礼の言葉は料理人へ言われることが多いので、給仕のヒルコは素直にうれしい。


「居ますよ」

「来週の予約を入れて帰ります。又あなたにサーブしてもらえたらいいですね」

「本当に私でよろしいのなら、予約もサーブも今承りますよ?」

 給仕の指名はないですけど、それくらい口利きします。ヒルコはサンドブレストに囁いた。

「では来週5時、今日と同じように、お願いします」

 サンドブレストは、インテグレイティアで過ごす最後の週末の予定が決まった。


「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

「どういたしまして」


 週末、狩りの食事会は終了した。


「では、又来週」

「は?」

「えぇ??」


「私は来週でハイワイトへ帰る。送別会に来給え」

 サンドブレストは続けた。

「ドローのまま帰れるか。付き合ってもらうぞ」

 ヒューもキャリーも、マジかよと顔を見合わせた。サンドブレストはマジだった。

 


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