第5話 一般人とゾンビパニック

 咳き込みながら血を吐く少女を、月の光が冷たく照らす。


「……何でお前がこんな事態を引き起こしたか、何てのは俺としてはどうでも良い。今知りたいのは一つだけだ。?」

「さあ?死んだ事は無いから分からないな。多分ゾンビは止まらんだろうが、お前が私を殺さなくたって、後一時間くらいでハッキリするだろ––––ほら、この通り。もう長くは持たないんだ」


 自ら吐いた血で赤く染まった手を、黒いパーカーの少女はふらふらと流月の元へ歩み寄りながら見せつける。

 少女の身体はとっくに限界で、長くは持たないと言う言葉にも嘘が無い。

 それは、流月も何となく理解した。


「……君の事をゾンビが襲わない、とかは?それか……指先一つでゾンビを土に還せるとか」

「仮に出来たとして、協力してやる義理はないぞ?まあ、変な希望を与えない為にも言っておくが、普通に無理だ。私と無駄話をしている暇があったら、一縷の希望を信じて私を殺すか、今すぐここから逃げるかしろ。お前は死にたくないんだろう?」

「……俺はな、丸腰で逃げてもいつか死ぬだろうし、お前の言う通り一か八かで犯人を探してたんだよ。それが……いざ会ってみたらこれだ。既に死にかけで、しかも殺したって意味が無いかも知れない。だからまあ、今の所は成果無しで終わりそうなんだ」

「……お前の事情はどうでも良いが、言いたい事でもあるならさっさと言え。私は早く終わりたいんだよ。この会話も、私のどうしようもなかった人生も」


 ため息と共に漏れた血を手で無造作に拭い、真っ直ぐに流月を見つめる。

 疲れと狂気と少しの達観。

 それが少女の黄色い瞳に込められた感情で、人によってはむしろ美しさすら覚えるだろう。

 生からも死からも遠く感じる少女を前に、少年は物怖じせず最後の問いを投げかける。


「……なあ。唐突なんだが、爆発するゾンビに心辺りはあるか?」

「はあ?ある訳ないだろ、そんな物騒なもん」

「……だよな。そんな気はしてたんだよ……詰まる所、俺は意味も無く死にかけたって訳だ、うん。流石に笑えてくるな、ここまで来ると」

 

 寮の部屋から抜け出してから約一時間半。

 犯人と会話して、ようやく。

 流月は一番最初の勘違いを正す事に成功した。


「……さて。どうせ一か八かで殺すなら、俺としては君を有効活用したい訳ですよ」

「随分とまあ、碌でもない事をほざく様になったな、お前。で、何をする気だ?」

「大丈夫、俺が寮に帰り着くまで着いてきて貰うだけだ。要するに……いざという時の囮だな」

「はは、私が協力する理由がないな。ここで死んだ方がましだ」


 弱々しくも憎らしげな少女の笑いは、次の瞬間ゾンビの叫び声にかき消された。


「……最悪のタイミングで来やがった」

「当然だが、私は戦わないからな。勝手に戦ってくれ」

「俺に使ったナイフ、貸してくれ。言うのが今更になったが、俺は魔術師じゃなくてな。丸腰だと本当に何も出来ないんだ」

「……へえ。まあ、これで勝てるってんなら、どうぞ」


 少女がパーカーのポケットから取り出し、投げ渡してきた折り畳み式のナイフを掴んでゾンビの方に向き直る。

 ゾンビは一体、周囲に他のゾンビがいる気配もない。

 ゾンビとの間合いは後五歩分。

 ナイフの刃を出し、構える。


 先に間合いを詰めたのは流月。

 走りながら、ゾンビの首を目掛けてナイフで突く。

 刃はゾンビの肉を容易に切り裂き、深く首筋へと刺さった。相手が人間なら、この時点で勝敗は決していただろう。

 しかし、相手は仮にも怪物。

 その程度で死ぬ訳もなく、すぐさま流月の手首を掴む。


「痛っ––––握力どうなってんだよ、てめえ!」


 掴まれていないもう片方の手でゾンビの髪を掴み、自分ごと地面に倒れ込む。

 掴まれた手首の骨が折られていくのを感じながら、ゾンビの喉元に刺さったナイフを引き抜き、何度も顔に突き立てる。

 外から見れば十秒も経っていない、それでいて当人達にとっては途方もなく長い時間続いた様に感じる殺し合い。

 

 それは、ゾンビが最後の力を振り絞り、片腕だけでも道連れにしようとした所で決着した。

 流月の頭にノイズが流れるのと同時に、ナイフが機能していたのかは分からないゾンビの心臓を突いたのだ。

 腕を掴んでいたゾンビの手は力を失い、地面へ落ちる。

 ナイフを引き抜き、立ち上がる。


 ふと流月が横を見ると、そこには驚きの表情を浮かべた少女が地面に血を吐きながら立っていた。


「……魔術、使えてるじゃねえか」

「何の話だ?魔術なんて使えないって言っただろ。それより……寮まで逃げるぞ。木々のせいで視界は悪いが、ここからならそう遠くない……筈だ。行くぞ」

「……は?逃げるなら一人で逃げてくれ。第一、もう私は歩くのも辛いんだ。囮にすらならんぞ、もう」

「……肩貸してやるから、さっさと行くぞ」


 呆れからか乾いた笑いを浮かべ、少女は流月に体重を預ける。


「……私を助けても、意味はないぞ?分かっているのか」

「そりゃあ当然。でもまあ、勘違いで寮を逃げ出した上に、手ぶらで帰ったら何を言われるか。犯人の一人や二人、生きた状態で引き渡したいんだよ。言ってしまえば、ただの功名心だ」

「……お前は馬鹿か?良く命を賭ける気になるな、その為だけに。今すぐ私を置いて走った方が生き残れるだろうに」

「確かに。でもまあ、こっちの方が面白そうだからな」


 ゆっくりと、一歩ずつ迷いやすい森の中を歩く。

 その後はゾンビと遭遇する事もなく、辺りには土を踏み締める音だけが響いている。

 やがて、暖かな街灯の光を二人が視界に捉えた時。

 もう少しで寮に着くのだという安堵を胸に歩いていると、その事故は起きた。


 戦場においては。

 が、時たま発生する事がある。

 これは魔術師であっても同様であり、また魔術によってはそのリスクが非常に高いものも存在する。

 例えば。広範囲に影響を及ぼすものや、無差別に攻撃するもの。

 そして、ものなどだ。


「……生きてるか?」

「……まだ、何とかな。ただ……本当に限界は近そうだ。魔術師としては、とっくに終わっているだろうがな」

「そういえば聞いていなかったな。どうしてそんな状態に?血を吐いてるって事は内臓のどこかが悪いんだろうが」

「詳しい状態は分からないが……理由なら分かるさ、だよ。原理も出どころも不明な酒を飲んで、一時的に魔力を増やしたからな。……言い訳みたいに聞こえるだろうが、私は騙されていたんだ」


 少女の話に耳を傾けながら、石畳の上を進む。

 人の声が微かに聞こる。

 寮の入り口へと近付いてきたのだという確かな実感は、気の緩みと同時に一日の疲れを思い出させてくる。

 建物の角を曲がり、人の姿を見て流月は声を掛けた。


「すみません!怪我人の、手当てを出来る人はいますか!本当に緊急なんです!」


 そこにいたのはいつか見た赤いリーゼントの少年と、初めて見る白い髪のサングラスをかけた女性。

 


「え!?おい待て、人きた、人!和丹わに、はよ魔術止めろ!」

「はあ!?って、本当じゃないですか!?待って待って、そこの人、避けてー!」


 サメが、飛んで来る。

 流月はその訳の分からない光景に混乱したものの、声のおかげで何とか状況を理解する。

 

 


 何か奇跡でも起こらない限り、自分はここで死ぬのだと。

 せめてもの抵抗として、自分の肩を貸していた少女を横に投げ飛ばす。

 

 目を閉じる。

 

 最後に何を考えていたかは、最早自分でも分からない。

 ノイズ音に包まれ、眠る様に意識は落ちてゆく。

 


  

 

 


 

    

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