過去の話し
「そうだな。俺たちは特別な仲間だ。だから、もうちょっとだけ遊んでから帰らないか?」
「さぁ、もうお家に帰りましょ。家に帰って仕事をしなきゃいけないわ」
流石イレーネ。軽くハイクの言葉を受け流す。
いや、そもそも言葉としても捉えていないのかも。
イレーネはそそくさと駆け足で帰ろうとする。
よく動けるなぁ。僕はもうちょっとここで、休んでから動きたいと思うんだけど…。
「おい、イレーネ。俺の言葉なかったことになってねーか? まぁ、いいか。確かに早く帰って手伝ってあげないと父さんも大変だろうし、さっさと行こうぜ」
ハイクも走って帰る気満々だった。
…いやいや、二人ともどこにそんな体力があるんだ。
そんな体力あるならどんな職場でもやっていけそうだと思うよ…本当にね。
「ねぇ、もう少しゆっくりしてから行かない? 駆け足で帰らなくても、家の手伝いの時間には全然間に合うし、せっかく川辺に来たんだからさ」
「お、やっぱりカイも遊びたいか。んじゃ、やっぱり川辺で遊んでから行こーぜ。なんかこう今は、身体を動かしたい気分なんだ」
「あんたは何でそんなに早くも意見を変えられるのよ! 自分のやりたい事に正直過ぎるわ。でも、身体を動かしたいって気持ちは分かるわ。なんか頑張ろうって気持ちがとっても強いの。さぁ、早く帰りましょッ!」
二人はそう言って、何か行動をしたいようだ。
…なるほど。確かにさっきの会話は、気持ちを昂たかぶらせるものがあった。
何かを守るためには自分自身が成長して強くならなければならない。
せっかく約束したんだ。僕たちは僕たちのために強くなる必要がある。
そのことをハイクは直感で感じているんだろうな、イレーネはそのことを理解してるからこそ、即座に帰ろうって言ったんだろう。
前向きなハイクとイレーネでも、思考のパターンが違うのが面白い。
同じ行動に帰結するのに、それまでの思考の過程が違うのだ。
…とても興味深い。人が思考し模索して判断する様は、いつの時代も変わらない。
だからこそ歴史は面白いと僕は思う。重大な決断を下す時に、その人が何を考え、何を大事にし、何を守ろうとしたかを知れるからだ。
そんな歴史を紡ぐことを異なことと定めるこの国は、歴史の在り方をどう考えているんだろう。
…歴史……そうだ。この川辺で師匠と初めて会ったんだ。
ここで、あの人とも約束したんだ。あの人はこの国の主義とは違う見方が出来る、とても面白い人だった。
衝撃的な出逢いだったけど…。
この川を観ながら師匠のことを思い出していた。
──※──※──※──
一年前
僕はハイクとの訓練の後、たまたまこの川辺に来ていた。
家から近いのもあって、ちょっとだけ前世の記憶の英雄たちのことを思い巡らしたいと思って、一人でやってきた。あまり遅くならないように帰ろうとしていた。
普通なら村のみんなはそれぞれ自分の家に帰っているような時間だったし、誰も川辺にはいないと思って来てみたのだが、ぽつんと一人、川辺に立っている。
僕は少し怪しげに思い、ふと立ち止まる。
…何でこんな所に人がいる?
そもそも、ただぼーっと川を観て何をしているのだろう。怪しすぎる。
……あれ? 僕も何だかこれから自分でやろうとしていたことが、怪しいことなのではと急に思い始めてきた。
「そこに誰かいるのか」
その人物は、川を観ながら僕に問いかける。こちらを振り返ることもなく、背中越しに問いが発せられた。
話しかけられて答えないのも悪いと思い、返事だけはしようと思った。
…怪しい人っぽいからなるべく早く離れよう。
「はい。ちょっと用事があったので寄ったのですが、別に大した用事ではなかったので失礼致しますね」
僕は踵きびすを返して即座に帰ろうとしたのだが、再び言葉が問いかけてきた。
「ほう、
えっ、この人は何を言っているんだろうか。
貴方は人のこと言えるの?
「少し考え事があって来ました。川を観ながら考えたいと思って。貴方もこんな所で何をしているんですか? 村のみんなは、もう自分の家にいると思いますし、そもそも貴方は村の人でも軍の関連人物でも、この国の人ではないように思うのですが」
「考え事か。なかなか良い場所を選ぶな、関心する。再び問おう。なぜ、軍の者でも村の者でもないと判断した」
「貴方の行動と格好です。全身を黒いフードで覆って、自分がどのような人物か悟られないようにしているようですが、そもそもこの国の法律を考えるなら、ここに来た僕を捕まえてもよいはずです。なぜなら、村の者は互いに監視し合うように法により決められ、もし貴方が村の者なら、子供である僕がここに来た時点で話しかけるのではなく、すぐ行動に移していたはずです。その後に、なぜここに来たか尋ねるでしょう。軍の関係者なら尚更です。なので、この村の人でも軍の関係者でもないと考察しました。だから僕は素直に答えました」
「ほう…。では、もし村の者が君を捕らえ何をしていたか質問されたら何と答えた」
「流木を拾いに来たと。川辺にある乾いた流木はよく燃え、火にくべるのにとても良いので拾いに来たと答えます。遅くまで家のために貢献しているのでご容赦ください、と誠実にお願いするつもりでした」
「なるほど。とても良い答えだな。では私も答えよう。私はこの国の者ではない。いや、…だったとも言えるな。この事実を聞いて君はどうする?」
「何もしません。子供の僕が、大人の貴方に体術で勝てる訳ありません。そもそも僕は体術は得意ではないのです。捕まえたくても捕まえられる訳がないので選択肢にすら挙がりません。この後、急いで大人を呼んだとしても、この川辺に着く頃には貴方は逃げ去っているでしょう。この川を渡って」
僕は全身フードの人物の横に並び正面の川を指差す。
……恐らく、この人物は今から亡命するつもりなんだ。
この川を渡る唯一の橋はここから三km程離れている。
だが、そんな場所からは亡命するのも無理な話しだ。
橋の手前に設置されている関所で検問され捕まりに行くようなものだ。
もし、関所の士官を殺したとしても、対岸の隣の国の関所でも、同じように隣の国の兵士を殺し、殺人を犯さなければならなくなる。
せっかく亡命したのに、亡命先からさらに亡命するはめになってしまう。
ここの川幅は、恐らく百五十〜二百mぐらいだと思う。
この川の全長が何処まで続いているかはわからないが、かなり長いのではないか。
このぐらいの川幅で、前世で有名なライン川は川の全長は一千三百二十kmもある。
東京から宮崎ぐらいまで川が流れているなんて日本人なら驚愕だ。
川の長さだけを比較するなら信濃川なんて三百六七km。十分長いと思うが世界一長いナイル川は六千六百九十五kmもある。
…ダメだ。違うことを考えてしまう。ここで重要なのは川幅だった。
もしこれぐらいの川幅なら、夜間にでも川に忍びこみ、深く潜れば兵士にも気付かれずに渡河出来るかもしれない。
「そうか、納得のいく答えだ。ではもう一度問おう。…それはいつから考えていた事だ?」
………僕は思わず、いや、考えてもいなかった質問にゾッとした。
僕はこの人が、僕の質問に肯定して亡命を見逃すように言われたら、目を瞑つむって見逃すつもりだった。
だけどこの人は、先程の質問の返答から僕の考えを見透かした。
…違うな。僕がその考えに至るまでの過程を見透かした。
この場での即答で、その答えを導くまでの期間が今しがた考えついたものではない事を、暗に指摘したのだ。
……何だこの人は。怖い、恐い。
ここまで頭の回る人が、なぜ帝国にいるのではなく亡命するまでに至ったのだろうか。
緊張しながらも僕は何とか言葉を絞り出した。
「いつだったかは思い出せません。ただ自然とこの川を観て、目と鼻の先に見える違う国が、どんな国か見てみたいと思いました。貴方は本当に亡命するのですか? そこまで頭がよく回る思慮深い人が、そんな事を行なおうとするような人には思えない」
ゴクリと唾が喉を伝い胃に降りる。
僕は人と会話する時は、その人の顔を観ながら会話をする様にしている。
その人の本当の思っていることを、顔の表情やその目が物語るし、口元の動きから少しでも情報を得ようと心掛けている。
だが、この人物にはその手が効かない。…いや、通用しない。
なぜならフードを深く被り、フードが顔全体に影を落とし込んでいるからだ。思考を読みたくても読めない。
ただ、そのフードで覆われた暗闇の顔の中から…その鋭い全てを見透かすような目が僕を捉えていた。
それでも僕はこの人の顔を見ながら質問した。思考を読むために顔を見るのではない。
この人に、僕が本気で先程の質問に答えたことと、僕がこの人に本当に亡命しようとしているかを質問していることを知って貰いたくて、フードの中にある暗闇の顔を真剣に覗き込んだ。
僕は自分のやり方を逆手に取って、この人に僕の思考を読んで貰うことにした。
しかし、この方法は思ってもみなかった恐怖と成果をもたらすのであった。
「………ほう。この国の教育で、かつその年頃でそのような考えを持つ人間が生まれるとは。…何とも珍しい。この国の者にとって生きる事とは、ただ国のために忠義を尽くし、国のために生き、国のために死ぬ事だ。…そして帝国以外の国は、帝国が征服しなければいけない存在。言わば敵だ。その存在を純粋に知ろうとする者がいるとはな。だが童よ、自分の考えを恥じるな……誇りを持て。自らの知らない事を知る事こそが、人間と獣の最も違うところだ。神が我らに与えた特権とも言える。先程の質問に答えよう。私は確かに、この川を越え隣の国に行こうとしていた」
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