第69話 決裂


小春の葬儀が終わった数日後、広央とユキは山中での行動訓練に参加した。

以前から決められて事で、母親の死でも予定の変更はない。

イサは他の家に預けられた。


3夜4日の不眠不休の実戦を想定した訓練で、猪狩隊では代々「地獄の4日間」と言われている。

通常の訓練と違い、乗り越えられなければ脱落となり「不適格者」の烙印を押され不名誉な事とされている。



あの通夜の日から、2人は口をきいていなかった。

これまでどんな喧嘩をしようが、半日もすれば自然とどちらともなく仲直りしていたのに。


2人はともに15歳。

完全に大人と見なされ、訓練内容も全く同じ。


基本訓練は夏休みを通じて行われた。

腕立て伏せ、腹筋、胴まわし、かがみ跳躍、綱の昇降。

ひたすら体力をつけるため、ひたすら“戦士”として戦う身体を作るため。

決められた時間内に決められた回数をこなせなければ、さらに回数が追加。

毎年この基礎訓練でも何人か脱落者が出るが、ユキと広央は突破した。



その日は朝から曇り空だった。

朝の5時、父山(総代屋敷のある方の山)の裾野から想定訓練は始まる。

隊長の清治と幹部。そして広央達と同じ訓練を受ける若者達。

総代屋敷が攻撃された時を想定しての訓練なので、父山で行われる。


爆破薬や備品、替えの着替えなど戦闘に必要なものを詰め込んだ背嚢は30キロ近くになる。

肩にずっしりと重みを感じながら、広央は山の頂上を仰ぎ見た。


隣のユキを見ると、軽々と背嚢を背負っているように見えた。

ユキは広央の背丈を優に超え、既に骨格も体つきも男らしく逞しかった。


隣に並ぶと、背も高くなく中肉中背の広央は自分が見劣りする事を感じる。

彼は山の上から父が見張っていて、そしてユキと自分を比べているような気がしてならない。


隊長の命令で2人はバディを組まされた。

無言のまま隊に続く。

これからの3夜4日、何を聞かれても何を言われても返事は「はい!」のみだ。

質問も反問も一切なし。

隊の足手まといになることは悪で恥、脱落も男としての最悪の恥。



「おい、足を引っ張んなよ」

ユキは隣の広央に冷たく言い放った。

広央は返事さえもしない。

2人は見えない壁に隔てられているようだった。


気温が上昇する中、数時間山中の行軍が続き背嚢の重さと体力の限界で数人脱落した。

急に子供のように駄々をこねたり、奇声をあげたりする者もいる。

そんな中でも、広央とユキは黙々と歩き続ける。



隊全員が意識朦朧とし始め、規則的に地面を踏みしめる半長靴の音だけが耳に響いてくる。


広央はだんだんとその音が遠くから響いてくるように感じた。

目の前がぼんやりと霞んでくる。

モノの形が、境界線が曖昧になってどろんと溶け始める。

休憩の号令が掛けられて立ち止まった時、彼は自分がほとんど気を失いかけていた事にやっと気付いた。


休憩は食事も兼ねていて、片膝立ちの姿勢で冷たい食事を5分で摂取。

その後すぐに格闘訓練が始まった。



「敵はマットの上で襲って来てはくれないからな」

指導官の元、石や木の根が蔓延った山肌の地面で、直に格闘訓練が行われる。


後はひたすら罵詈雑言の嵐が始まる。


なぜ本気でやろうとしない!服が破れるのが嫌なのか!

なぜ平らな場所でやろうとする!なぜ本番と同じ環境でやろうとしない!

怪我するのを避けたいのか!痛いのが嫌なのか!

お前は何がしたいんだ!お前は真面目に考えてない!本気でやってない!


広央は次々に浴びせられる強い言葉に、次第に感情が鈍麻してきた。

言葉は次第に意味を無くし、ただ大量の音声として耳に流れ込んでくる。


今彼は組手の相手であるユキの、その被服の迷彩柄しか見ていなかった。

柄が左右に揺れて混ざりあっていく。


『手足は切り離して考えろ。自分の目と首と心臓を守りながら、相手の目と首と心臓を壊す。自分の体を餌にして相手の命を取るんだ。』

訓練ごっこではない、実践で人を殺すための技術の鍛錬。


迷彩柄が完全に溶け合って灰色になり、広央の視界が一瞬全て色を無くした。

殺意に近い感情だった。

みぞおちに膝蹴りを入れ、倒れたユキの柔らかい喉仏に膝を乗せ全体重をかける。

気管を潰された人間は自分で喉を掻きむしりながら死んでいく…


自分のやろうとしている事の恐ろしさに気づいた広央は、弾かれたようにユキの体から飛びのいた。


広央が詫びようとした瞬間、ユキに右腕を捻りあげられ体を転がされた。

関節を捻じ曲げられ激痛が身体を走った。


隊の人間全員が2人を引きはがさなければ、広央の腕が完全に壊されていただろう。



広央がユキの眼を見たとき、そこにはっきりと憎しみが映っているのを感じそれに傷ついた。

同時にユキも、広央の眼の中に自分に対する憎しみを感じたのだった。


バディを組んでいるにも関わらず、2人は完全に決裂していた。


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