第66話 結果
その日は快晴だった。
海もベタ凪で、風も静か。
○○副総統の来島。
島にとって自身の独立性を主張する、重要な政治的行事だ。
神之島側が水面下で交渉し来島を実現させたのには、切実な理由があった。
ここ数年、軍の島近郊海域での警戒、監視活動がほぼ毎日繰り返されているのだ。
時には海砂採取船の活動を口実に、時にあからさまな軍事演習として。
間断なく島に威圧を掛けてくる。
指名手配犯や政治犯の隠匿。軍を誹謗中傷し国家の秩序を乱す風聞を流していること。
そして何より、軍に従わない独自の首長を立てている事。
全てがこの国では許されない事だった。
神之島はたかだか人口一万ほどの小島だが、軍の権威を貶めるこの“まつろわぬ民”どもに常に神経を尖らせている。
喉に刺さっている小骨は取り除かねばならない、と…。
(絶対に失敗は許されない。失敗は許されない。失敗は許されない)
広央は先ほどから呪文のように、心の中で繰り返していた。
島庁舎(総代ビル)は昭和初期に竣工された。
近代的なビルに和風の瓦屋根を乗せた、日本趣味を基調とした近世式の意匠。
地上5階地下1階、外観の大きな特徴として中央に高さ50メートルの時計塔がある。
玄関ホールの柱や手すりには良質な大理石が使われ、貴賓室の壁には装飾タイルがちりばめられている。
物資が貴重だった時代、これだけ豪奢な庁舎を建てることが出来たのは、暗殺を恐れて島に逃れてきた大資本家が資金を出したからだった。
貴賓室は4階にあり、シャンデリアや扉の飾り金具など建築当時の内装や調度品がそのまま残っている。
合計10対の一人掛けソファが部屋の中央に置かれているが、その一番端の席に広央は腰掛けていた。
部屋には他数名が居たが、彼の目には全く映っていない。
建物の外では父の総代を始め、島の関係者や島民が総出で副総統が来るのを今か今かと待ち構えている。
歓迎の横断幕とバタバタ振られる手旗国旗。
熱気と喧騒が外の世界に渦巻いているが、広央の耳には全く入らない。
先ほどから広央の耳に響いてくるのは波の音だった。
(海の音だ。さっきから、なんでだ?ここでは聞こえないはずなのに)
立ち上がり、ふらふらと歩き回る。
その様子をみて議長が座っていなさいと厳しくたしなめだが、広央の挙動がかえっておかしくなっていく。
「海…海の音が聞こえるよ…」
それどころか、広央にはここには無いはずの海の、浜辺の映像が目の前に見えてくる。彼があの日以来、思い出す事さえしなかったあの海辺の景色だ。
この島議会の議長は、もちろんそんな子供のたわ言に耳を傾けなかった。
ただこの重大な行事を、万事遺漏なく滞りなく遂行することだけに全意識を集中していたので、単に緊張しているように見えた広央の態度には苛立ちを覚えるだけだった。
時間が来た。
副総統が、総代と共に部屋に入ってくる。
広央を含めすべての人間が、立って出迎える。
ライティングと撮影カメラと、シャッター音と。
(だめだ、父さんもいるのに…!)
広央が自分にそう必死に言い聞かせたとき、目の前にあの日の海辺の映像が、母の死が映った。
精神に限界がきた。
広央は自分の口から喉から、あふれる嗚咽と鳴き声を。
慟哭を止めることが出来なかった…
広央はあの忌まわしい日の記憶を思い出していた。
(嫌だ、死にたくない!)
あの日、父親の前に引き出された広央はただただ必死にそう願った。
裏切りを疑われ、自分の命が目の前の、父の好悪にかかっているのだ。
「俺は何もしてないよ!何も知らない!母さんが悪いんだ!」
広央は母を罵倒する言葉をいくつか吐いた。
嫌疑を晴らす手段は、母の屍に鞭打つ事以外に考え付かなかったからだ。
「もういい」
父の声はもう怒りすら含まれていなかった。
ただ呆れて軽蔑する顔。
虫けらを見る目つきだった。
結局広央は“釈放”された。
証拠不十分が主な理由で、副総統の来島前に事を荒立てたくない、という総代としての政治的な判断だった。
広央があの日泣くことが出来なかったのは、母の骸に鞭打って助かった自分に悲しむ資格があるとは思えなかったからだ。
彼は自分の卑怯さを誰にも知られたくなかった。
だからユキにさえ、何も話せなかった。
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