第64話 亡骸
悲鳴とも怒号ともつかない叫び声が響いていた。
清香の遺骸は、夜になって辺りが暗くなってから家に運び込まれた。
小春が変わり果てた姿で帰ってきた清香を抱きしめ、泣き叫んでいるのだ。
家には清香の死を口伝えで知った島の女たちが、数人集まっていた。
島の人間が死んだ時、何を置いてもまずその家に集まり家人を労る。
通夜や葬式の準備、弔問客に出す料理の用意などを協力し合うのが島の習わしだ。
清香の死はまだ秘されている筈なのだが、恐らく猪狩隊のメンバーが
密やかに伝えたのだろう。
婦人会のメンバーが一人、また一人と集まって来た。
彼女らは静かに家に上がり、これから為すべき事、やるべき事を静かに話し合っている。
女達が家に集結すると、男は居場所を奪われたが如く部屋の隅に追いやられる。
茶の間に敷かれた布団に横たわった遺骸。
抱きしめて泣き叫ぶ小春。
その小春をどうにか慰めようとする女達。
女達が異様に感じたのは、血まみれの遺骸でも、気が狂ったかのような小春の状態でもなかった。
この異常な事態の時に、寝そべって漫画を読んでいる総代の息子の姿だった。
泣くでもなく哀しむでもない。
総代の息子は無表情で母の死にまるで無関心だ。
女達は事の次第を詳しく知らされている訳ではない。
ただ目の前に横たわる遺骸と、男達から与えられた部分的で僅かな情報を元に、大体の経緯を察しただけだった。
どういう経緯であろうと事はもう済んでいる。
総代の妻はあの世へと旅立った。
ならば後は島の伝統に則った、この世での事後処理。
通夜や葬式の段取りを淡々と進めるしかない。
ただ、彼女らはどうしても総代の息子の態度が解せなかった。
母親が亡くなれば息子は大いに悲しむべきなのに、なぜそれをしないのか!
この息子に対する反感の感情が高まってくる。
外はもう暗闇に覆われてきて、庭からは虫の音が聞こえてくる。
誰ともなく明かりを付け、部屋が白く照らされた。
広央はふと漫画から顔を上げた。
昨日と同じ自分の家の茶の間なのに、何もかも違って見える。
彼にはまだ母が死んだ実感はなかった。
部屋にいる女達が皆、広央に避難の眼差しを向けている。
広央は理由がわからなかった。
(何で俺の事見てるんだ?顔は既に洗い流したし、服も着替えている。
だからもう血は付いてないはずなのに。でも皆、俺を見ている…なんでだ?)
女達は今後の葬儀の相談(この家の住人の意向は無視して)に興じているフリをしながら、総代の息子を射すような目で見てくる。
(ああ、俺は憎まれてるんだ。殺す事を命じた父さんより、その命令をきいたキヨおじさんより、そばにいて何もしなかったこの俺のほうが憎いんだ)
その時お腹の音が鳴った。
広央はどこか笑い出したいような気持ちを感じた。
壊れる寸前だった。
「ヒロちゃん!」
イサの声にぱしゃっと意識が戻る。
襖の影からこちらを見つめている存在。
イサだけが女達の中で唯一、以前と変わらぬ温かな目で広央を見つめた。
血の穢れ、しかもそれはただの血ではない。
実の母親の血であり、拭っても拭いきれない
総代の息子から不可触民のようになった彼を唯一、迎え入れる存在。
それがイサだった。
イサは広央に駆け寄りそのまま抱きついた。
「ヒロちゃん、おかえり」
広央の表情は固まったままだった。
ただ小さく、「うん」とだけ応えた。
ユキが少し離れた位置から、この二人を見ていた。
突然引き裂かれた日常。
これから来るであろう激流の中、アルファの広央と親もいないオメガのイサはどうなるのだろう。
非情にもこの二人は引き離されてしまうのでは?
ユキの脳裏をそんな不安がよぎった。
(この二人を守るには、俺は何をしたらいいんだ?)
ユキには見当もつかなかった。
今現在分かっているのは、父がその妹である清香おばさんを殺した事。
しかも、息子の広央の目の前で。
夜が更けてきて、月明かりが差してきた。
沈痛な空気のまま、島の一夜が明けた。
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