第61話 【第四章】痛み編 広央の身に起こった事実


突き抜けるような青さ。

入道雲が膨れ上がって空を覆い尽くす。

セミの声が盛大に鳴り響いている。



あの大きな雲、見ていると不安な気持ちになるのは何故なんだろう。

広央はそんな事をぼんやりと想った。


(副総統があと一週間後に来る、それで緊張しているからかな…)


光輝の父親の非業の死、軍の威圧と粛清。

自治の島と軍の緊張は、副総統の来島を前にピークに達していた。


街のあちこちに“熱烈歓迎”のポスターが貼られ、来島の日に向けて否が応でも熱気が増してくる。



その接待役を自分がするのだ…


ぞわぞわと迫って来る不安を、気付かないフリをしてやり過ごす事に決めた。



◇◇◇


「うわっ、すっごい雨」


広央は思わず口にした。

確かに窓に叩き付けるような雨で、空は黒々と暗かつた。

台風が島に迫っているのだ。

まだ夕方前なのにどこの家も早々に戸締まりして、その来襲に備えていた。


「ヒロちゃん、おばさんが呼んでるよ」

イサがそう呼びかけた。


母の部屋は、固く雨戸を閉ざして仄暗い。

イサは決してそこには寄り付かず、いつものように居間のテレビで大好きな人形劇を観ていた。


そう言われ、広央は普段あまり入らない部屋へと足を踏み入れる。

「なあに?母さん…」


彼が母の部屋に入る事は、基本ない。

ガランとした床の間。

違い棚のある床脇の空間は今の時代に合わず、どこか浮き世離れしていた。



母に問われるまま島全般の事、猪狩隊のメンバーの事、訓練の内容などを話した。

母の質問に広央はただ答えるのだが、清香は実に嬉しそうに、その答えに聞き入るのだった。


これまでになくしっかりと、興味を持って聞いてくれている。

しかも笑みを湛えて。


初めての経験に、広央もつい饒舌になる。


山上訓練についての話になった時、母はふいに質問で遮った。

「陣地壕の場所なんだけど…」


母は努めて笑みを浮かべていたが、慎重に探りを入れ獲物をとらえようとする表情になった。


広央は何かひやり、とするものを背中に感じた。



雨はだんだんと上がった。

蝉の鳴き声が復活し、夏の湿気が庭に充満し始めた。


玄関のドアをガラリと開ける音がする。

「ヒロ、いるか?」


ユキがサンダルを脱ぎ捨て、居間に向かってくる。 


「ヒロちゃん、おばさんの部屋にいるよー」

イサが迎えに出た。

その通りに清香の部屋から広央が出てくる。

「おうユキ、どうした…?」


「うちの母さんが、今日はうちで夕飯にしようって。つーかヒロどうした?顔が青いぞ…」


ユキにそう言われ、広央は初めて自分が暗然と落ち込んでいることに気付く。

そんな広央に“どうしたの”と無邪気にイサがギュッと抱きしめる。


夕方はユキ宅で夕飯を囲んだ。


小春も母の清香もいつもと同じように、お喋りしている。


だが広央は、先ほどの母との会話が心に重く引っ掛かっていた。

なぜ母は島の機密事項を知りたがったのか。

何でもない事なのか。


清治に相談したかったが、仕事の関係でその日は帰って来なかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る