第59話 あの男
広央と光輝は電車とバスを乗り継いで、光輝のおばあちゃんの住む地区へと向かっていた。
道中、広央は常に周りに目を配っていた。
誰かに付けられているような事はないか?怪しい人影はないか?
なんせ駅前でプラカードを掲げようとしていた男が、音もなく連行されているのを目撃しているのだ。
島にも軍からのスパイが潜んでいると聞いている。
自分も今こうしている間に、密かに監視されているのでは?
尾行されているのでは?
しかし島を出てから早や数時間、それらしき人影は一向に見当たらない。
次第に緊張感が解けてきて、広央は外に流れる風景を眺める余裕まで出来てきた。
電車の中はやや空いていて、人は皆無口だ。
黙々とスマホを見つめているだけ。
ふと、広央は自分が一瞬解放されたような錯覚に陥った。
ここに父の存在は感じない。
島では常に感じている、あの父の威圧感が。
乗客は、当たり前だが自分が“あの島”の総代の息子だとは知らない。
大勢の中の一人に埋没し、軍にとっての異端分子でもない。
完全なる匿名の人物。
次第に空想、いや心の奥底の願望が心の中に広がった。
『…もし俺が島をこっそり出たら。どこでもいい。そしたら完全に自由だ。軍制は悪だって言うけれど、要は静かに暮らしてる分には何でもないだろ。ユキには言っとく?でもあいつ怒るかな。イサは…?今はダメでも、もう少し大きくなったら一緒に…』
「ヒロ兄!次だよ!」
光輝の声に広央は空想の世界から呼び戻された。
電車から吐き出された人々が、黙々と改札口へと進んでいく。
2人も難なく改札を出て、バスの乗り場へと向かう。
光輝の祖母の家はバスで30分程だ。
バスを待つ間、広央はそれとなく周囲を見渡した。
その男はいた。
何てことない、特徴のない顔。
どこにでもいそうな男。
ただ一つ、油断なさそうな目つき以外は。
駐車場で母に話し掛けて来た男だった。
広央は瞬時に警戒した。
『偶然居合わせた?いや、今日に限って行き先が一緒なんてあり得るか?もし俺たちの後を付けてきたなら…』
広央と光輝がバスに乗り込むと、男も何喰わぬ顔で同じバスに乗り込んできた。
広央たちがすぐ次のバス停で降りると、男も降りた。
間違いなく尾行だ。
「何の用?」
車の行き交うバス停で、広央は睨みながらで男に訊ねた。
光輝は広央の後ろで成り行きを見守っている。
「あれ、意外と鋭いね。でも悪手かな、ただ単に撒けばよかったのに」
男は悪びれずに言うと、その場を後にした。
去り際に「イサちゃん学校ではどう?もう勉強は手遅れになっているだろう。オメガの子は学習知能が低いというデータもあるからね」
広央が殺意を込めて睨み付ける。
男は足早に去って行った。
「ヒロ兄、あいつ誰…?」
「分からない、でも敵だ。後でキヨおじさんに伝えないと…」
広央はしばらくの間、男の後ろ姿を睨みつけたままだった。
2人は再びバスに乗り込み、目的の光輝の祖母の家へは拍子抜けするほど平穏無事に着いた。
瀟洒な造りの大きな洋風の家で、庭も広々としている。
鉄製の立派な門を開け、光輝は勢いのままインターホンを打ち鳴らした。
光輝の祖母は上品な人だった。
久しぶりに孫に会ったのが相当うれしかったのだろう、目が涙で真っ赤になっている。
「お父さんは心配ないのよ。ちゃんとここに来てくれてね…」
祖母の話では、約束の日時に猪狩隊の護衛隊員と一緒に、光輝の父は尋ねてくれたのだという。
墓参りの後、数人の友人を尋ね、島に戻る予定だという。
連絡が取れないのは、おそらく護衛の人が専用の傍受されない携帯電話を使用していて、通常の回線とは違うため通信が不安定になっているせいだろうと。
「入れ違いになったのね、きっと今頃島に帰ってるわよ」
祖母の話に光輝は安心したようだった。
これまでの事、島での暮らしの事。
久々に会った祖母とは話が尽きないようであった。
暗くなる前に戻らないと危険だと広央が促し、ようやく話を切り上げた。
祖母は玄関に佇み、いつまでもいつまでも光輝たちを見送っていた。
バス停は集落の外れにあり、広央達以外に人は全くいなかった。
「戻って来てるかな?父さんたち」
光輝は希望を抱きつつ、不安げだった。
「とにかく早く戻ろう、光輝の母さんも心配してるだろうし。和希は大丈夫かな…」
そんな会話をしながらバスを待っていたその時、一台のワゴンが広央達に近付いて来た。
音も無くスーッとタイヤを滑らすような運転だ。
ワゴンが止まり、男達が数名降りてきた。
その中にあの男がいた。
広央達を尾行してきたあの男だ。
男達は手慣れていた。
ターゲットを見定め素早く拉致し連れ去る。
その為の無駄の無い動き。
広央は一瞬、恐怖で身体がすくんだ。
現実の出来事のように思えず、まるでテレビで見るスローモーションの映像のようだった。
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