第55話 光輝の学者の父


街にある島庁舎ビル(総代事務所)は古めかしい石造りのビルだ。


建てられたのは戦前で、当時最先端のゴシック建築様式。

神之島は空襲のルートからは外れていたのでこのビルは難を逃れ、改修改築を重ねながら現在に至っている。


今その古めかしい庁舎に、大きな横断幕がかけられている。

昼のさんさんとした太陽が降り注ぐなか、広央はその幕をまっすぐ見上げた。


夏休み前の最後の授業が終わったものの、そのまま家に帰る気がしなかったので街の通りをうろうろして、気が付けば島庁舎の前に来ていたのだ。



“○○副総統 ご来島歓迎します”


この島始まって以来の外国要人の招来だ。


日本の軍事独裁は世界から非難を受けている。

不当逮捕や暗黒裁判と言われる非公開裁判。

ジャーナリストや人権活動家の弾圧。


軍に批判的な学者や知識人の行方不明も相次ぎ、強制収容所の存在も常に噂されている。


露骨な人権蹂躙に対して、諸外国の民主国家からは常に懸念を表される。

その一方で軍政に異を唱え、独自の民政を行う神之島の存在は海外にも知られるようになっていた。


島の存在を内外にアピールして軍が手を出しにくくする、現総代が推し進めている方針だ。



○○副総統は、形式的には“観光”で神之島を訪れる事になっている。

あくまでも日本の一地域への観光、という事で軍も表立って妨害するには至ってないが。


その代わり、言論と報道に神経をピリつかせている。

ラジオ局の放送権剥奪、ジャーナリストの拘束、あるいは行方不明…軍に批判的な言論人の摘発が相次いでいた。



広央は白い幕に書かれた文字を、何度も目でなぞった。

お腹のあたりがもやもやとしてくる。


明日から夏休みに入り、通常学生は一時学校から解放され、自由な時間が与えられる。


「他のやつはそうだよな…」

広央は溜息まじりに呟いた。

これから自分を待ち受ける責務を思い出すと、それだけで気が重くなる。



「ヒロ兄!」

弾むような声で呼びかけられ、ハッとした。


「おー、お前らも学校終わったか」

光輝と優だ。


改めて二人を見ると、あの山狩りの時より随分背が伸びて顔立ちも幼さが抜け始めている。


光輝などは日に焼けて、精悍な男らしさが出てきている。

優は相変わらずあまり話す事はしないが、ただしっかりと目を見て、問いかけるような眼差しを相手に向ける。



「あ、これヒロ兄案内するんだよね!?」

横断幕を見上げながら光輝が尋ねる。


「う…思い出させるな…」

広央の顔色が青くなる。



例のごとく父親に急に呼び出され、山の上の屋敷に赴いたのはほんの一か月前。

そこで突然言われた一言。


『〇〇副総統が島に来る。お前が観光案内役を務めろ』



形式的には観光の範疇にぎりぎり収めているものの、これはこの島始まって以来の正式な“外交”なのだ。


軍を無駄に刺激しないため、父と副総統の会談は非公式のものになっている。

そこで総代の息子である広央が担ぎ出され、体面的にはあくまで“15歳の島の少年が、副総統に観光案内をする”という体にされる。


事態をカモフラージュしつつ、島外交の意義も密かに主張。

広央は自分に課された重荷がずっしりと肩にのしかかる。


夏休みに入る明日から、特訓がはじまる。

観光案内の為の島の地形、歴史を初めから勉強し直し、加えて中国語の猛勉強が始まる。



「はあぁ…ほんと代わってもらいたいよ俺…」


「ね、そん時俺の父さんの事も言ってもらえる?」

広央の心からの呟きをよそに、光輝が真剣な声で聞いてきた。


「いや、けっこう喋らされるセリフが決まってるっぽいんだ、基本アドリブ無し。ていうか中国語でアドリブとか無理だけどさ…」


「そっかあ…」

残念そうに光輝が呟く。



この国の統制は当然学問の分野にも及ぶ。


工学・理学・科学・化学・経済・社会学、果ては音楽や芸術分野まで。

全ての学問に“軍に忠実”である事が求められる。



光輝の家は代々学者で、父親もかつては国立大学の教授だった。

専門は政治学。

最も軍への忠誠度が問われる分野だ。


軍政を少しでも批判すれば生命に関わるが、そのかわりに軍の忠犬として御用学者に徹すれば学者として厚遇され、確固たる地位も確立できる分野でもある。




「父さんはさ、軍の批判なんてしてないのに!」


「光輝!」

広央の発した鋭い声に、光輝も優もハッとする。



街は夏の陽気を孕んで活気に溢れていた。

気の早い観光客が、本土から押し寄せているからだ。

飲食店も通りにイスやテーブルを出して、どこも満席の活況。



広央は周囲を見渡した。

どの顔も無邪気に夏を楽しんでいるように見える。


けれどこの中にも“軍のイヌ”が紛れている可能性がある。

何処でが聞き耳を立てていか、油断できない。



光輝の父は一片の曇りもない、完璧な“御用学者”だった。

常に軍政を支持し、研究も論文も体制の正当化を図る為のもの。

軍に目を付けられるような発言・行動も一切しなかった。

この国で家族や大切な人を守る切実な方法が、それだからだ。



きっかけは突然訪れた。


大学の同僚が突然行方不明になった。

妻と子と残して忽然と消えたのだ。



軍が拘束をようやく認めたのが、行方不明になってから半年たってからだった。


外国に情報を流したスパイ容疑というのが軍の言い分だが、誰もそんな事は信じない。

226事件当時の、軍の関与の新事実を記した著作が軍上層部の反発を招いた、というのが大方の見方だった。


同僚は光輝の父の親友だった。


起訴理由も明かされず、拘留期間も告げられずその後同じ罪で妻まで拘束され、全く接触は出来なくなった。


弁護士の謁見さえ許されない。

この国の仕組みでそれが許されるのは、“罪状を認めてから”だ。

しかしスパイ罪を認めれば短くても20年の禁固刑になる。


光輝の父は、最初大学に掛け合った。

だが、象牙の塔の住人は面倒ごとに巻き込まれるのを極端に嫌う。


助けるどころかその同僚を無断欠勤扱いして、どう穏便に退職手続きを進めるかを論じる始末だった。


父親は親友を救うため、大学の中でただ一人動いた。

弁護士を通じてなんとかコンタクトを取り、わずかな伝手をたどって軍の上層部に働きかけた。



“大学で学生を相手に、軍に批判的なゼミを開催している”



そんな噂が軍部の公安に伝わった。

築き上げたアカデミックキャリアの終わりの始まりだった。


目隠しをされての連行、家族親族にも及ぶ不当拘束。

警察公安による合法的な拉致、拷問。

軍に目を付けられた人間の末路は決して公にはならないが、情報は人の口から口へと伝わり、恐怖の感情が共有される。

そして人々をますます畏縮させていく。



身の危険を直に感じるようになった光輝一家は、神之島に亡命してきたのだった。



3人は少し街をぶらぶらした。

一つだけ買ったアイスを分け合って食べたりして、波兎組の訓練の事、猪狩隊の訓練の事をそれぞれ報告しあいながら、やがてそれぞれの帰途に就いた。


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