第29話 帰り路にて


帰り路。


広央は無口のまま石段を下りていく。

ユキも同じく、苔むした石段を降りていく。



「ヒロ、てめーナマコみてえな顔してやがる」

広央を追い越したユキが、その表情を見て言った。


「…なんだよナマコって…」

事実ぬぼーっとしたナマコのような表情で、広央は答える。


「すっげ、情けない顔になってんぞ。つーか死んだ魚の目だ」


その死んだ魚の目で広央がぼそぼそと反応した。

「俺の目は死んだ爺ちゃんに似てるんだよ…つーかユキの目は、キヨおじさんとホント似てないよな…」


清治の細目と、ユキの二重の目は全くと言っていいほど似てない。

もらいっ子なんじゃね?とからかわれる事があるくらいだ。

もちろんユキはそういった輩はボコボコにしてやるのが常だったけれど。


「俺の目はうちのババアのに似たんだよ、何度も言わせんじゃねーよ!」

ユキが広央の尻にケリを入れて、広央がケリ返して…家に着く頃には2人とも試合後のプロレスラーの如く疲弊していた。


「ふたりとも、どうしたの?」

玄関で2人を出迎えたイサが、不思議そうに聞いたくらいだ。



◇◇◇


「ヒロお前、総代とどんな話をしたんだ?」

「別に…」


清治に問われて、広央にはそれぐらいの返答しかできなかった。

窓の外にはすでに、薄紫と明け色の混じった夕暮れが迫っている。


広央の家とユキの家、お互いの家から徒歩30秒の立地で食事もいつも一緒。

どちらの家で食べるかは、その時の母親たちの気分次第だ。


清治は帰ってきた時明かりが付いてるのが広央側の家だったので、“ああ、今日の夕飯はそっちか”と思いつつ広央側の家に入ると、母親二人は買い物で外出中だった。

ユキは他の仲間と海に出掛け、家にはヒロとイサだけ。

そのイサも子供部屋でずっとお昼寝していて、居間に所在なげな広央が一人でぽつんと佇んでいた。

それで清治も聞いてみたわけだった、父親との対面はどうだったのかと…


「キヨおじさんはさ、父さんとずっと…友達だったんだよね?」

「ああ、というよりずっと一緒に育った兄弟みたいなものだ。知ってるだろ?二人とも昔からの島の人間だ。よく釣りにも行ったぞ」


広央が幾度となく聞いている質問だった。


広央とユキがそうであるように、父とキヨおじさんも毎日のように海に行っていたのだと。

彼にしてみれば、父がかつて子供だったという事自体が信じられないし想像もできない。だからいつも確かめるように、キヨおじさんに聞くのだった。


面談後、父親と清治が庭で何か話し合っている声が、広央の耳に届いた。

何の会話かは分からないけれど、時折笑い声がする。


広央が見ると父は、自分にはまず見せないような屈託のない笑顔を見せていた。

それがますます、広央を惨めな気持ちにさせた。


「キヨおじさんはさ、父さんといっつも楽しそうにしゃべってるよね」

「ん…?お前は楽しくないのか?」

「だってさ父さん、俺と会う時つまんなそうなんだもん」


視線を逸らしながらこう答えた時、広央の心にヒリついた痛みが走った。


清治がつと、広央を見た。

「何言ってるんだ、総代はいつもお前と会うの楽しみにしてるんだぞ」


「え-嘘だあ…ちっとも楽しそうじゃないもん」

そう言いながらも広央は顔が赤くなるのを感じた。例え嘘でも嬉しいからだ。


「本当だ」

清治が真剣な表情で言う。

「それにな、広央は最近どうしてる、学校ではどうだって、俺にいつもお前の事ばかり聞いてくるんだぞ」


広央は嬉しさをどう表現していいか分からずに、顔を逸らして庭の方を見た。

見慣れた庭木を見つめながら、心の底がじわっと暖かくなるのを感じていた。

『そうなんだ、父さん俺の事…聞いてくるんだ…』


「総代はな、山狩りの事も楽しみにしてたぞ。きっと、お前の組が勝つってな」


「ホント⁉」広央の胸が高鳴った。


「本当だ」

清治がまた笑みを浮かべながら、力強く言う。


「よっしゃあああ!!」

喜びが爆発した広央が思わず叫び声をあげ、その場で思いっきりジャンプをした。

床が突き抜けるかというくらいの勢いで、お昼寝していたイサが何事かと跳ね起きてきたくらいだ。


『父さんが俺に期待してるんだ!』

広央はそう思うと、いてもたってもいられない気分だった。


その時ちょうど玄関のガラス戸がガラガラと音を立てた。

“ただいま”と言うユキの声と、廊下を進む音が聞こえて来る。


「ユキ!絶対お前に勝つからな!!」

襖を開けて居間に入ってきたユキに、いきなり広央は声高らかに宣言した。


ユキの方は訳が分からず「はぁ??」と返しただけ、イサは「ヒロちゃんどうしたの?」と不思議そうに尋ねる。


「勝つ!絶対に勝つ!!」

ユキとイサのポカンとした反応に構わず広央は叫び続けた。

『ユキに勝って、絶対に父さんに認めてもらうんだ!!』

なんせ自分は父親に、総代に期待される程の人物なのだ、絶対に勝てるはず!!

広央はそう決め込んだ。悔しがるユキを尻目に華々しく凱歌を上げている自分を妄想して一人ニヤけた。


『絶対に勝ってやる!!』


思い込みとやる気と歓喜にあふれた広央の狂騒状態は夕食時まで続き、母親たちから「うるさーい!」と怒鳴られるまでそれは続いた。


こうして賑やかな夕食も終わり、夜も更けていった。


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