第11話 海の中のカラオケボックス
◇◇◇
「はあ~疲れたな」
そう言うなり、広央はソファーに倒れこんだ。
そこそこの広さがあるカラオケボックスの一室。
街はずれに出た広央はそのまま加奈美を連れて、とあるビルのカラオケボックスの一室に入った。古い雑居ビルでどのテナントも客の姿はなく、閑散としている。
ソファとテーブルの他には、壁面にある大きなテレビ画面と通信用アイパッド。そして2本のマイクセット。なんの変哲もないカラオケボックスの一室だが、ひとつ特徴がある。全ての壁面に熱帯魚や亀、イルカなどラッセンもどきの絵が描かれていて、部屋のライトも青色。
“海の中”を演出しているらしい。
「うち…この部屋なんか落ち着かない…」
「そお?ま、昔いろいろあった部屋でね」
広央は壁側に向かってソファにごろっと寝転がった。
なので反対側のソファに腰かけた加奈美とは、背中越しに会話する形だ。
何とはなしに、彼女に話し掛ける。
「海の好きだった奴がいてね…まあ昔の話だけど。ふぁあ~朝から走りっぱなしだったから眠くなってきたわ…」
「ちょっと待って、寝ないでよ!てか、このカラオケ一時間いくら?うちお金あんま無いし…」
「ああ、心配ない。この部屋は俺が所有してるからね。料金フリーよ」
広央があくびをしながら答える。
「で…カナミちゃんはなんであの連中に追われてたの?」
しばしの沈黙の後。
「うち、お金ないし。行くとこなくて…」
答える加奈美の声は、ひどく幼かった。
「うんうん、…それで?」
「あん中の一人に遊ぼうって声かけられてさ、今日泊まるとこ無いって言ったらホテル連れてかれて」
「そりゃ危険だね」
「エッチしないと帰さないって言ってきたから…あいつがトイレ入ってる間に財布の現金だけ抜いて逃げた」
「はは…それで俺も同じように引っかけようとしたのか。で、家出の理由は?」
加奈美の答えはなかった。
が、広央には感じられた。
背中越しに戸惑いや不安、哀しみが入り混じったような感情が。
それらは空気を通して振動のように伝わって来る。
子供の頃からの彼独特の感覚だった。
「別に」
そう彼女は答えた。
そして話をそらすようにわざと明るい、上ずった声ではしゃいでみせた。
「お兄さんさ、せっかくだから何か歌おうよ!うち結構歌うまいよ、お兄さんもなんか曲選んで」
「悪い…お兄さんはもう、眠くって限界…」
それだけやっと言うと、ほどなく広央は夢の世界に落ちていった。
広央から寝息が聞こえてくると、加奈美はおもむろにリュックからスマホを取り出し、じっと画面を見据えた。
「…お兄さん、お兄さん。ちょっと起きて、起きてよ」
夢の中に入っていた広央は、その声に揺り起こされた。
「んあ…ちょっと何よ?気持ちよく寝てたのよ俺…」
広央が寝ぼけた声で後ろの少女をふり返ると…
上半身裸の加奈美が、ソファの上に座っていた。
照れ隠しなのか卑屈になっているのか。顔に曖昧な笑みを浮かべている。
しかしやはり恥ずかしいのだろう。両手で乳房を隠して俯き、広央の反応を待っていた。
「君、馬鹿なの?」
加奈美には意外な反応だった。男はこうすると舌なめずりして寄ってくるものだと思っていたから。
続けて広央はこう言った。
「自分の命、危険に晒してるの分かってる?」
神之島ではもちろんの事、現軍事政権下で売春は御法度だ。
表向きはそうだ。
だが軍財閥の寡占により経済が活性化されず、一部の軍上層階級の人間以外に富が回ってこない。貧困層の“立ちんぼ”は繁華街では名物になっている位だ。
性病や暴力のリスクは常に女性側が抱える。殺害される事件が起こっても世間の反応は冷ややかだ。
彼女らも最初から街に立つわけではない。大抵、一夜限りの遊び相手から小遣いを渡される程度から始まる。
一度踏み越えてしまうと、後はより多い報酬を求めて行き着く所にまで堕ちてしまうのだ。
だからこそ、最初の一歩を踏みとどめさせる必要がある。
「なあ、自分をドブに捨てるようなことはするな。たとえ、家出中のどん底の身でも…」
『ウ゛ーウ゛ー、3階の階段付近で火災発生。速やかに避難してください。ウ゛ー』
広央の言葉はこのけたたましい火災警報音で遮られた。
ドアの外をのぞくと何やら白い煙が、猛烈な勢いで迫ってくる。
「やばい、カナミちゃん逃げるぞ!いやなんか階段まで煙がっっ、窓から逃げるぞ!!」
急いで加奈美に服を着させ、2人して窓の桟やら配管やらをつたい、どうにか地上に降り立った。
結構な煙の量なのに、消防車や野次馬が辺りにぜんぜん見当たらない。
「あれ、なんか全然火事になってなくないか?」
「撮影用スモークだ。ヒロ、てめ簡単にひっかかりやがって」
そこにはユキと現隊長・和希。そしてヨリを含む猪狩隊の面々が、ビルを取り囲むように待ち構えていた。
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