第七章 古民家の怪

 昨日と同じ、春日野の車で移動すること十五分程。同乗メンバーは昨日と同じ。目的の家は天巳川に沿って北部の山間地へと続く幹線道路の脇にあった。

 かねてから『隠れ家』と称されていたそうで、それに違わぬ生垣に埋もれるようにして建つ立派な古民家である。これでよく店商売ができたものだと思うくらい入口も判りづらい佇まいだが、首都栄転を果たすほどに隠れた人気を誇っていたらしい。

「実は俺も来たことあるらしいんですよ」

一通りの説明を終えた春日野に、陽向は昨日父親から聞いた話を振ってみる。普段は朝動かす洗濯機の音に驚いて部屋から出てきた父が、ついでに夜食を食べるというので訊いてみたのだ。結論から言えば、知っていた。

「小さいときだったから覚えてないんですけど、家族で食事に来たみたいなんですよね」

訪れたのは一度きりだったようだ。お店の娘と仲良くなった妹がかくれんぼを始めてしまって困った。父が食べるカップ麺を狙う子龍を抑えながら聞いたのは、陽向がまったく身に覚えない記憶である。かくれんぼができるくらい妹が大きくなっていたということは、年齢からしてもう少し覚えていてもよさそうなものなのに。


   〇


 店の駐車場は幹線道路から一本裏の道に入口があるらしい。まだ撤去していなかったのか、店の看板が残っていた。無関係な車の駐車を防止するための三角コーンが一部避けられていた。すでに一台の白い外国車が停まっていた。車に寄りかかるようにして年配の男性が一人佇んでいる。

「おはようございます。早くにすみません」

車を降りた春日野に、彼は笑顔で駆け寄ってきた。恰幅のいい腹が揺れている。

「この後別の商談が入ってまして。ご案内できるのがこの時間しかなく。ご説明したら鍵をお貸ししますので、終わったら事務所に届けて頂けるとありがたいです」

揉み手でそう言った男性は、不動産屋の社長だと名乗った。

「前金は一割でしたな。残りは成功報酬ということで、鍵を返して頂くときにお支払いします」

「確かに。お預かりいたします」

答えて、春日野は社長が差し出した封筒を受け取った。厚さからみて十枚はなさそうである。相場はいくらくらいなんだろうと下世話なことを陽向が考えている間に社長は依頼内容を説明し始めた。


 詰まるところ、ポルターガイストである。

 突然建物が揺れ始めて、地震だと飛び出してみれば地震など起こっておらず。背後で何かが割れた音がすると振り返ってもそこに割れるような物などなく。客と不動産屋しかいないのにそれ以外の人が走り回る足音がしたり、外から起きてもいない土砂崩れのような轟音が聞こえてきたり。

「内見のお客様をお連れしたときに限って起こるのです。もうみんな怖がってしまって買い手も付かず……。お寺にお祓いをお願いしたところ、そちらを紹介されたのです」

苦笑いを貼り付けて、社長はハンカチで汗をぬぐった。

「ときに……」

眼鏡の奥で細められた瞳が横にスライドして、陽向と目が合う。

「そちらは……?失礼ですが未成年とお見受けしますが……」

遠慮がちに言っているが、確かに場違い極まりない。ちなみに日本刀をぶら下げたセリナからは妖気が濃くなっているので彼女のことは見えていないのだろう。ずるい。

「彼も従業員でして。この手のことに通じている人間は希少なので、このくらいの年代から仕事に同行させているんですよ。助手だと思ってください」

恐らく春日野はセリナが見えていないことに気付いていない。二人に向かって交互に振られる掌が、社長からどう見えているのかちょっと気になった。



   〇


 説明した通り、社長は鍵を預けて去って行った。信用しすぎではないかとも思うが、ここに居たくないという思いの方が勝っていたように見えた。逃げるように車に乗り込んで、目的の家屋にも近づかず走り去ってしまった。


 『隠れ家』の呼び名に相応しく、家屋までは深い垣根で迷路のような庭を縫って進む。あまり手入れがされていないのか、もともとの道を探すのに少々苦労するところもあった。先頭の春日野が伸びきった枝を手で押しのけながら前進する。

「おっと、ここが玄関かな」

ようやく垣根が途切れて、春日野の言うように閉ざされた引き戸が現れた。社長曰く古い家をリノベーションしたそうで、その説明を反映するかのように扉だけは新しい家でも使われていそうな頑丈なものだった。恐らく防犯の観点からここだけは新しくしたのだろう。目立つが、浮いているというほどでもない。

「……おや、さっそく拒絶されているね」

鍵穴に差し込んだ鍵を回そうとした春日野の手が止まった。動かない。覗き込んだ陽向から見ても春日野は鍵を回そうとそれなりの力を込めているようだった。それでもびくともしない。もちろん逆方向へも動かない。

「妖術だね。解除するからちょっと待ってて」

鍵穴からあふれる妖気を読み取って、陽向は春日野に任せるために後ろに下がった。春日野がスマホを取り出す。また例のアプリを使うのだろうか。

「……陽向」

後ろから囁くように呼ばれて、飛び上がるくらいに驚いた。振り返れば、こちらが驚いたことに驚いた表情のセリナが居る。

「……どした?」

一気に上がってしまった心拍数を下げながら、陽向はびっくり顔のまま固まっているセリナに問い返した。

「えっと、わかる?」

指さした先は春日野が玄関で格闘している古民家である。

「中に何が居るか、わかる?」

そういうことかと得心して、陽向は古民家の方へ意識を向けた。

「うーん、とりあえず一匹。穢れてはいるけど、昨日一昨日の奴らほどじゃないって感じか?穢れってどうにかなるものなのか?」

「程度によるけど、穢れ切ってなければ大丈夫って春日野さんはよく言ってる」

それは現時点でも陽向には判らないだろう。そのどうにかなるがどの程度なのか教えてもらえればいずれは判るようになるかもしれないが。むしろ、なりたい。

「これが大丈夫な程度なのかは判らんけど、助けられるなら助けたいよなあ」

無闇な殺生は避けたい。妖であっても命は命だ。

「春日野さんもよく言ってる」

どうやら陽向の考えと乖離はなさそうで安心する。妖をよく思わない連中も多い、とは河野の言葉だ。春日野がそちら側でなさそうでよかった。

「セリナは?」

ふと思って、訊いてみる。彼女は一瞬驚いた表情を浮かべて、すぐに元の無表情に戻った。

「……春日野さんの判断に従う」

「……そっか」

少なくとも殺せば解決派ではないことだけは確認できたのでよしとしよう。問題がないとは言わないが、ここで深追いする話ではない気がした。

 「開いたよ!」

春日野の呼ぶ声で、陽向もセリナも意識を古民家に戻した。

「っ」

開け放たれた引き戸の向こうに広がる闇を見て、陽向は思わず息を呑んでしまった。開くまではまったく気付かなかった妖気が、入れ物の口を開けたようにあふれ出している。穢れの深さで言えば昨日の虎の方が断然上だが、敵意ならばこちらの方が上回っている。

「……異界化してるね。まだ浅いけど」

陽向の反応を見て思うところがあったのか、春日野が苦笑しながら違和感の正体を言い当てた。そうだ。建物の中ごと、異界になっている。だから入口が開くまでこの濃度の妖気を感知できなかった。

「これは全員で乗り込まない方がよさそうだ。……細蟹さん、申し訳ないですが外での待機をお願いしてもいいですか」

細蟹が形のいい眉を一瞬釣り上げた。すぐに笑顔になる。

「構いませんよ。定期連絡は通信術式でお願いします。携帯の電波は届かないでしょうから」

「ええ。ではこちらで」

春日野が懐から出したカードを手裏剣のように投げる。陽向とセリナの間を抜けて飛んだそれを細蟹は難なくキャッチした。

「ご武運を」

指の間に挟んだカードを垂直に立てて、細蟹が微笑む。頷いた春日野が、陽向とセリナに促した。

「じゃあ、行こうか」


   〇


 異界に入るときの空気感の変化にも慣れてきた。まさかの三日連続。どこまで記録を更新させるつもりだろうか。

「へえ、中は結構そのままだね」

天井までぐるりと首を回して、春日野が感嘆する。

 太い梁がむき出しになった天井は、屋根の形までしっかり見ることができた。玄関を入ってすぐは土間になっていて、奥まで突き抜けているようだ。正面奥にガラス戸が見える。右手側が古びた竈で、左手側が一段上がって畳敷きの和室が続いている。襖がしまっているからわからないが、その奥にも部屋がありそうだ。

 続いてセリナが玄関の敷居を跨いだ。三人全員が入ったところで、予想した通りの現象が起こる。

 ぴしゃりと音を立てて閉まる玄関の引き戸。無論、誰も触ってなどいない。

「お約束だよね」

こんな状況下にも関わらず、春日野の語調は軽い。陽向とてこの程度で騒ぎ立てるものでもないと知っている。

「……開かない、ですよねー」

それでも念のため、と引き戸に手をかける。力を入れてみるが、びくともしない。ちょっと集中してみれば、網目のように妖気が張り巡らされていた。複雑な文様みたいだ。

「まあ、いざとなれば力ずくで破ればいいから。修理代くらい経費で落ちるし」

「そういう心配です?」

呆れる陽向に春日野が苦笑する。

「お金は大事だよー」

「それはそうですけど」

ああそうだった、と春日野が手を打った。

「セリナ、妖術禁止ね。いくら修理代出るって言っても丸ごとなくなったらどうしようもないし」

「はい」

当然です、と言った体でセリナが了承する。この家を丸ごと消し飛ばせるとでもいうのだろうか。否、彼女の溢れんばかりの妖気なら可能なのか。


 「一通り見て回ろう。さて、何が起きるかなー?」

春日野はとても楽しそうである。スキップでもしそうな勢いで土間の奥のガラス戸へ向かって行った。陽向とセリナも後を追う。

 ガラス戸の向こうは普通の現代住宅だった。古い家だと裏庭か倉庫とかに繋がってるものなんだけど、とは春日野の言。どうやらリノベーションによりこちらに厨房兼店主家族の自宅を増設したようだ。

 細めの廊下を抜けた先が、厨房だった。店舗用の大規模なシステムキッチンが残されている。こちらもしばらく手入れされていないのか埃っぽい。幸いなことに道具類は残っておらず、包丁の群れが飛んでくるとかそういうホラー映画にはならなかった。

 何も起きなくて春日野的には不満そうである。

 外に出られそうな裏口があったが、当然のごとく開かなかった。諦めて廊下に戻る。厨房への入り口手前に階段があった。この上が家族の家のようだ。

 その階段の向かい側がトイレ。開けてみると綺麗な洋式トイレだった。ここも客用にリフォームしているらしく壁が新しい。真っ赤な水が流れるとか、あるかな!?とわくわくしながら扉を開けた春日野が露骨にがっかりしていた。便器に水の一滴もない。たぶん、水道が止めてある。


 春日野待望の異変は、二階に上がってから起きた。


 二階は三部屋で、うち一部屋はリビングだった。家族用なのか、こちらにも家庭用のシステムキッチンがある。その次に大きな部屋が夫婦の寝室だろうか。こちらともう一つの小さな部屋は殺風景で、ただのフローリングだった。

「何もなさそうだね」

二階の窓やベランダへの吐き出し窓も開かない。鍵は開くが、窓自体が動かないのである。外の景色は見られるが、それが正しい景色なのかは判らない。陽向が視る限り、窓にも妖気が張り巡らされているので、何かしらの異なる景色を見せられている可能性はある。

「さあ、残すは一階の和室だね!何か起きるといいなあ」

ここまで玄関や窓が開かない以外の怪異は起きていないのだが、何故この人はこんなにうきうきしているのだろう。春日野の期待溢れる目に若干引きながら、けれどはぐれるわけにはいかないのでついていく。

「……始まったね」

「え?」

階段を降り切った春日野がつぶやくように言って、陽向もようやく異変を悟った。

 階段を降りてきたというのに、春日野の肩越しに広がる景色は二階のリビングへの入り口だった。見間違いではない。

「念のため聞いておくけど」

楽しそうに春日野が廊下に降りる。

「三階に行く階段なんかなかったよね?」

続いて降りた陽向は目を丸くした。二階の廊下を踊り場にして、さっき降りたはずの階段が口を開けて待っていた。

 リビングから見える窓の外は、さっきと同じ二階の景色だ。つまり。

「無限ループってやつ?」

悪戯っ子のように笑う春日野に、陽向は本気で引いた。悪戯っ子に悪戯されているのはこちら側である。


 降りても降りても二階だった。降りてきた階段が廊下に出現した以外の間取りに変化はない。何が楽しいのか、春日野は階段を降り続けている。

 かと思えば、翻ってもと来た階段を登ったりした。

 到着する場所は二階の景色である。

 一度面倒になって階段を降りていく春日野をセリナだけ呼び止めて放置して待機してみた。春日野は隣の上階へ向かう階段から降りてきた。

「空間を無理やり繋げてるのかな?おもしろい術式だね」

降りてきて陽向たちを見止めた春日野はいい笑顔である。

「術の切れ目はどこかな?ここからやれるかな?」

かと思えばスマホのカメラをかざしていろんな角度から階段の入り口を写し始めた。写真でも動画でもない。リアルタイムで表示されている網目のような画像を覗き見て、陽向は確信する。

「それ、妖気が写るんですか?」

「え?」

春日野が勢いよく振り返った。

「よくこれが妖気だって判ったね?」

陽向は思わずセリナに顔を向けてしまう。

「……春日野さんに言ってなかったの?」

うん、とセリナはこくりと頷いた。

「勝手に言わない方がいいと思って」

「何のことだい?」

てっきり報告しているかと思った。不思議そうな春日野に、陽向は昨日の異界での顛末を報告する。

「妖気が、見える……?」

唖然として呟いた春日野に、その珍しさを思い知らされる。どうやら陽向は、でも普通ではないらしい。

「見えるというか、感じるというか。説明すると難しいんですけど」

第六感としか言いようがない。触覚と視覚の中間くらいだろうか。

「ふぅん」

興味深そうに自分の顎を撫でて、春日野が陽向を覗き込む。

「……逸材、発見かも?細蟹さんを置いてきて正解だったな」

口の端を釣り上げて、春日野が悪い顔をした。

「君の報告が正しければ、細蟹さんは君の力を知らない。間違いないかい?」

記憶を思い返して、陽向は頷く。順番的に、細蟹は陽向が妖気を読む場面を見ていないはずだ。

「今からやること、細蟹さんには内緒ね。他の部署に君を渡したくないんだ」

春日野が背負っていたバックパックから何か取り出した。細長い、紫色の布に包まれている。

「はいこれ」

布を取って出てきたのは、二十センチほど短刀だった。柄から鞘まで塗りのないシンプルなものである。渡されたそれを、素直に受け取る。

「もしかしたらできるんじゃないかなって。やってみせてほしいな」

楽しそうに春日野が階段の降り口を指さす。

「……何を?」

極端に説明が足りない。一体陽向に何をしろと言っているのか。

「何って、妖術破り」

できて当たり前みたいな顔をしないでほしい。

「大丈夫、君ならできるよ。ほら、抜いてみて」

何を根拠に、と半ば呆れた陽向を春日野が押しとどめる。仕方なく陽向は短刀を抜いた。鏡面のように反射する刀身にも何かの術が刻まれているようだ。

「見えている妖気の感じは、ぼくのスマホと違うかい?」

「ほとんど同じだと思います」

言われて差し出されたスマホと見比べる。網のように張り巡らされた妖気。多少の濃淡はあれど、位置は合っているように思う。

「ならよし。網のように見えているんだよね。じゃあ、その『結び目』とか判るかい?」

「結び目」

言われて陽向は階段に意識を向ける。

「そこさえ切れれば全部の繋がりが切れる場所。一か所じゃなくても大丈夫だよ。複雑な術式ほどたくさん結び目が作られているものだからね」

入り組んだ糸目を追う。妖気の流れ、一際濃い場所、結び目がいくつか。違う。まだ先がある。すべての結び目を繋ぐ場所。その一点を起点に組み上げられた土台。

「……見つけたかい?じゃあそこを、切り裂く!」

「っ!」

やはり短刀にも何かしらの術がかけられているらしく、力が動いたのがわかった。振り下ろした刃が、見えない妖気を両断する。

「お見事」

気付けば、春日野が拍手していた。

「まさか一撃とはね。術式解析アプリは三か所をしていたけれど、そのどれとも違う。奥にそれを繋ぐ結び目があったんだね」

興奮冷めやらぬ春日野が大興奮で解説してくれる。どうやら凡そ陽向の解析と違いなかったようだ。

「無事に解けたみたいだよ、ほら」

なるほど、上に行く階段がただの壁になっている。あるのは下へ向かう階段だけだ。一階へ向かいながら、春日野がさらに説明を重ねる。

「慣れれば指でもできるんだけどね。ああ、指を刀に見立てるんだ。指剣っていうんだけど、こういうの。見たことないかい?」

春日野が作った手の形は人差し指と中指がぴったりくっついたチョキのような形。それを左手が覆う。春日野のそれは斜めに傾いているのでちょっと違うが、垂直に立てれば忍者みたいだ。

「そう。忍者のポーズだよ。これがルーツなんだ」

無事に一階に到着できた。

「左手が鞘で、右手が剣。今回は初めてだし、物理的に道具があったほうがイメージしやすいから使ってもらったよ。どうだった?」

「これにも術かかってますよね?」

「さすが、そこまでわかっちゃうか。ますます逃がせないな」

不穏な響きである。褒められているはずなのに、陽向は自分の頬が引きつるのを感じていた。


 「上名君」

土間まで戻って、春日野が真剣な面持ちで振り向いた。

「ものは相談なんだけど、生安課うちで仕事しない?」

「え?」

「もちろん、学業優先で構わない。身分としてはアルバイトかな。シフト応相談、基本週二日程度、特別出勤あり。有休もつけるし、専門家優待でバイト代弾むよ?将来の正社員登用も付けようか」

 正直、魅力的な条件であった。

 陽向の抱えている進路に関しての悩みが消滅すると言っても過言ではない。

 陽向は普通ではない。それは幼少期から痛感している。この世ならざるモノを見るこの目は、便利なオンオフ機能などついていない。妖気で判断できるから見えない振りができるが、それでも限度はある。

 普通でない人間が、普通の暮らしなど望むべくもないのである。


 漠然と、不安に思うときがある。

 学生のうちはいい。受け身で授業を聞いていても、卒業はできるだろう。人との関係が多少希薄であろうと、学校という場ではそこまで困ることがない。問題はその先だ。はたして普通の企業でまともな仕事ができるのか。

 自分が失敗するだけならまだいい。最悪、勤め先を怪異に巻き込みかねない。


 「返事は今度でも構わないよ。どっちみち管理局には登録しないといけないから、そのときまでには欲しいけど」

だが、一つ懸念がある。

「いやー、正直君を欲しがる部署は多いだろうなあ。情報部には絶対渡したくないなあ。葛城のじいさん、いっぱい実験したいだろうし……」

「春日野さん」

考え込んでいても仕方ない。喋り続ける春日野を遮って、陽向は疑問をぶつけてみることにした。

「うちの高校、バイト禁止なんすけど……」

「……ああ、それは大丈夫。どうとでもなる。セリナも特別申請で通ってるし」

急に真顔になって、春日野は断言した。

「心配ならボランティアってことにすればいいよ」

特別申請などという便利な制度、聞いたこともないし、これといって説明もなかった。けれど春日野がそういうのなら大丈夫なのだろうか。

「……ま、今は現状の問題解決を急ごうか。いい返事を待ってるよ、上名君」

軽く片目を瞑って、春日野は身を翻した。靴を脱いで座敷へと上がっていく。

「は……え?」

「行こう」

呆けた陽向の袖を、セリナが引っ張った。


   〇


 今度は奥座敷がループしていた。

「二度目ともなるとさすがに芸がないねぇ」

とは、春日野の率直な感想。


 六畳間が延々続いている。入ってきた襖がぴしゃりと閉じたかと思えばそちらは開かず、他の三方の襖のどれかを開けると全く同じ和室に至る。この繰り返しであった。

「面倒だし、さっさと破っちゃおうか。上名君、判る?」

「えーっと、はい。捕まえます?」

「できる?じゃあお願いしようかな」

軽く了承して、陽向は春日野とセリナに耳打ちする。所定の位置についてもらい、短刀を抜く。

「せーのでお願いします。せーの」

ぱあん、といい音を立てて三方の襖が全開に。

「セリナ、こっちだ!」

開けると同時に普通の和室に見える景色に向かって刀を振り下ろす。確かな手ごたえと共に、景色が割れた。

「えいっ」

その隙間を突いてセリナが飛び込む。直後に幼い少女の悲鳴が響いた。


  〇


 「何よ⁉放しなさいよ!!」

セリナの手でがっしりと握られたそれは、膝丈くらいの日本人形だった。女の子を象った市松人形が、じたばたと駄々っ子のように金切声をあげている。

「落ち着いて。調伏しに来たわけじゃないからさ……ぶっ!?」

説得を試みた春日野の顔面に、小さな足袋を穿いた足が突き刺さった。小さいながらに妖だ。それなりの力があったらしく、春日野がひっくり返る。妖気の穢れがほんの少し濃くなった。

「ちょ、大丈夫ですか⁉」

「嘘おっしゃい!そんなのに騙されるもんですか!どんだけ陰陽師に消されそうになったと思ってんのよ⁉」

だが、セリナの膂力には勝てないらしく、彼女の両手で腕ごと握りこまれて足だけばたばたしている状態だ。

「あのー、いったん落ち着きません?」

人形の蹴りを喰らわないようにちょっと距離をとってから陽向が宥めてみる。どうどう、と即座にどうこうするつもりはないことを訴える。

「この状況でどうやって落ち着けっていうのよ⁉捕まってんのよ⁉」

それもそうだ。セリナは何でもないように掴んでいるが、捕獲していることには違いない。だが、こちらにもそれ相応の理由はある。

「だって、こうでもしないと会ってくれそうになかったし」

逃げ回っていたのはそちらの方だ、と非難がましく見つめたら、日本人形は少し大人しくなった。

「それは……殺されるかと思って……」

急にしおらしくなってしまった。

「そうだったんだ、驚かせてごめんね」

鼻頭をさすりながら春日野が復帰してくる。ちょっと血が出ているだろうか。

「話を聞いてくれるって約束するなら解放してもいいよ」

「上から目線ね。……わかったわ。逃げないから、さっさと放しなさい」

ぷいっ、とそっぽを向いた日本人形が、宙に浮いた。当然、そのまま落下する。

「ちょっと!?もうちょっと優しくできないの⁉」

尻餅の形でどすんと畳の上に落ちた日本人形から苦情の声があがるが、張本人であるセリナの無表情は揺るがなかった。

「放せって言った」

いや、少しだけ眉根が寄っている。

「セリナ」

春日野が柔和な表情のままで咎めるように呼んだ。セリナが小さく息を呑み、すぐにばつが悪そうに詫びる。

「!……すみません、気をつけます」

それに優しく頷いてから、春日野は再び日本人形に目線を合わせた。

「それで、どうしてこんなことをしたのか説明してもらえるかな」

至って冷静に、茶飲み話でも始まりそうな問いかけだった。やっていることは事情聴取なのだけれど。


 「……いつもの奴らだと思ったのよ」

しばらく口をもごもご動かしていた日本人形がやっと語り出した。

「ちょっと怖がらせればすぐに出て行くと思って。術を破られたときは焦ったわ。あっさり突破するんだから。今までの奴らはほんのちょっと遊んでやったらすぐいなくなったのに」

「あの社長、最後までオカルト信じなかったみたいだしねえ」

深刻な日本人形に対して、春日野がのんびり応じた。どうやら例の不動産屋の社長、ギリギリまでその手のところに相談するのを渋っていたらしい。

 管理局は『本物の案件』を区別するために寺や神社を窓口にしているそうだ。気のせいであることや、オカルトでも何でもない悪戯だったりすることも多い。そのためお祓いと称して持ち込まれた内容を寺社が精査して管理局に回す。管理局はそれ受けて相応の部署に案件を回す。今回は近場を拠点にしている生安課に白羽の矢が立ったらしい。

「お祓いを依頼されたお寺からは早々に話が来てたんだ。たまにあるんだけどね。信じてくれなくて依頼主が局の方に正式な依頼を出してくれないパターン」

最終的に管理局の方から押しかけたというのが裏側の話だったそうだ。

「放っておくと取り返しがつかなくなりそうだったからね。前金もいらないからって言ったけど、結局は支払ってくれたからやっぱり思うところはあったんだろうね」

初めに相談に行った寺の住職が懇意にしていた人だったというのが決め手だったらしい。そこまで言うならと渋々了承したそうだ。


 「それで、何でまたこんなことを?」

脱線した話を春日野が戻す。けれど日本人形はうつむいてしまった。

「まだ話したくないかい?」

問いかけにも答えようとしない。畳を睨んでいる。

「……じゃあ、動機については置いといて、君についての話をしようか」

ほんの少し、日本人形の切り揃えられた前髪が揺れた。

「赤い着物の女の子。おかっぱ頭で、日本人形を思わせる立ち姿。家に憑く怪異。主な現象は家鳴り……いわゆるポルターガイスト。ここまで来れば大方絞れるんだけど」

「あーもう、わかったわよ。喋ればいいんでしょ、喋れば。そうよ、大正解。座敷童よ。おめでとう!」

完全に自棄やけを起こしている。拍手すら始めてしまった。インタビュー記事からある程度予想はできた回答なのだけれど。

「座敷童って、東北の妖怪ですよね?」

あれ、と疑問に思って陽向は口をはさむ。昔読んだ本だと東北地方に伝わる民間伝承だったと思うのだが、ここは東京すら西に超えた日本中部である。

「距離がありすぎません?」

「よく調べてるねえ。察するに彼女、結構な時間を生きてるんじゃない?」

「察してる割に態度がなってないわね」

童子に対するスタンスを変えずに喋り続ける春日野を座敷童が半目で睨んだ。

「通常座敷童によく見られるポルターガイストはともかく、異空間術式はやりすぎだよ。長年を生きた大妖が手に入れるくらいの妖術だ。ぽっと出のそこらの妖にできるような技じゃないよ」

「その長年かけて手に入れた大術式をあっさり解除してくれたのはどこの誰かしら」

「それに関しては僕じゃなくてこっちの上名君だよ」

「え、ああそうか、すみません」

「謝らないでよ、逆に虚しくなるわよ!」

素直に詫びたら拗ねられてしまった。難しい。

「……座敷童は住み着いた家を繁栄させる福の神としての側面もある。もちろん妖としての権能の一部だけどね。長い間旅をして、東北からここに流れついたってところかな」

前置きしてから春日野が流し目を座敷童に向ける。その視線から逃げるように、座敷童がその小さな目を伏せた。

「このお店が繁盛することにより、家主が出て行くことに。彼らには妖である座敷童は見えていなかった。だから連れて行ってもらえなかった。さしずめこんなところだと思うけど、違うかい?」

「……」

座敷童は無言で畳を睨んでいる。その沈黙が正解だと暗に告げていた。

「座敷童は気に入った家族のいる家に憑いて繁栄させるという。家主家族が驕ると出て行ってしまい没落するとも。今回は逆だったんだね。君の方が置いていかれた」

「……そうよ、悪い?」

ざわり、と座敷童の妖気が揺れて、陽向は総毛立つ。

「嗤いなさいよ。繁盛させ過ぎて、権能を使いすぎて、宿主に捨てられた妖が私よ。愚かでしょう?何も考えずにただ客だけ呼び込んでいた。口コミが多くの人の目に留まるようにもした。料理の写真がちょっとよく写るようにもした。そうして、あの人たちを笑顔にしようとしてたら、いつの間にか偉そうな人が店に出入りするようになった。そして、みんないなくなっちゃった。嗤えるでしょ。嗤いなさいよ。嗤えっ!」

「上名君、少し下がって」

子龍が乗っていない方の肩を春日野に引かれて、陽向はたたらを踏みながらも後退する。悪意を真っ直ぐにぶつけてくる真っ黒な妖気に、吐き気すら込み上げてくる。

「大丈夫かい?」

「……ちょっと妖気に酔っただけなんで、大丈夫です」

余程酷い顔をしていただろうか。春日野が心配そうな顔をしている。確かに不調ではあるが、立っていられないようなレベルではない。

「あまり無理しないでね。あ、でもせっかくだからしっかり見ててほしいな。今回は僕がやるね」

そう言って春日野が座敷童と陽向の間に割って立つ。先程やって見せてくれた、突き立てられた二本指が座敷童に向けられる。そのまま短く鋭く、何かを呟くように唱えた。

「唵阿毘羅吽欠」

何と言ったのか、陽向には全く分からなかったけれど、何かの呪文らしきことは察せられる。呪文と共に吐き出された息に術の気配が乗って、座敷童に向けられた二本の指に絡みつく。指先にたまった術が、銃でも撃つかのように座敷童に向かって飛び出していった。

「きゃっ!?」

弾丸は真っ直ぐに座敷童に突き刺さって、彼女の小さな体を吹き飛ばした。尻餅をついた彼女からすり抜けるように、彼女の妖気の一部が術と一緒にさらに突き進んでいく。それが穢れた妖気であることに、陽向は遅れて気が付いた。

 術が濾過ろかでもするかのように穢れた妖気だけを抽出したのである。どす黒く濁った妖気は術に絡めとられて飛んでいき、開け放たれた隣の座敷まで到達してから弾けた。小さな花火のようだった。

「もしかして、祓った妖気が見えてるのかな」

言われて初めて、陽向は自分が祓った方の妖気を視ていたことに気付く。

「そっちはたぶん大丈夫だから、術師としては祓う対象の方を注目しててほしいな。祓いきれてないこともあるしね。……ほら」

「っ!」

春日野が目を細めた先で、座り込んでいた座敷童がゆっくりと立ち上がる。纏わりつく妖気は、さっきよりも濁りは薄い。けれど。

「これはもう一回だね。セリナ。悪いけどちょっと大人しくしてもらおう」

「はい」

むくむくと大きくなる妖気に向かって、セリナが駆け出していく。手にはすでに抜き放った太刀が握られていた。その刀身が迷いなく赤い着物に吸い込まれていく。

「やめ――」

やめろと言い切る前に、振りぬかれた太刀に弾かれるように小さな体が吹き飛んだ。今度は妖気だけではない。本体もである。轟音を響かせて、座敷童がぶつかった床の間で砂煙が広がった。

「大丈夫、殺してない」

陽向の声が聞こえていたのか、平然と振り返ってセリナが持っている太刀を見せる。通常の持ち方と刃の上下が逆だ。

「峰打ち……?」

にしては容赦なく飛んで行ったけれど。

「いや、死んでないかもだけど大丈夫じゃねえだろ!?」

あれだけの勢いで土塗りの壁に激突したのだ。いくら妖だからと言っても――。

「痛いじゃない!!」

無事だったらしい。飛び散った砂を払いながら、座敷童が出てくる。無傷、ではないようだが、普通に歩いている。

「やったわね、許さない!」

座敷童が正面に手を翳す。一瞬警戒した春日野が、その意図に気付いて鋭い声で陽向を呼んだ。

「上名君!」

座敷童とは反対側、背後で濃くなる妖気。咄嗟に振り返れば、目の間に何かの塊が飛んできていた。

「え?……わっ!?」

躱せたのは奇跡である。頭部のすぐ横を翳めていった何かの塊はさっき座敷童が叩きつけられた床の間の壁に当たって落下した。それが人の頭くらいはありそうな木片であることを認識して、遅れて恐怖が這い上る。当たっていたら確実に死んでいる。

「座敷童、これ以上はダメだ!!」

焦る春日野の制止が飛ぶ。座敷童の妖気の濁りが濃くなる。拙い、と慌てた陽向の顔の横、肩に乗った小さな妖の気配がざわりと揺れた。

「子龍!?」

「ぴぃ」

耳元で一声鳴いて、子龍が陽向の肩から飛び降りる。畳に着地して、その小さな口が開いた。ずるり、と這い出すように陽向の中で何かが蠢く。感じたことのない感触に戦慄している間に、蠢動した力は契約で繋がった気配を伝って子龍の下へ――。

「ぴや!!」

「ダメだっ!!」

子龍が何をしようとしているのかに気が付いて、陽向は大慌てで小さな爬虫類のような体躯を抱え上げた。直後、大きく開いた子龍の口から妖気の塊が勢いよく噴き出した。

「上名君!?」

「陽向!?」

春日野とセリナの焦った声が聞こえる。持ち上げたことにより狙いより下方に向けて打ち出された妖気の青い光は、ずぼっという音を立てて畳に食い込んだ。反動で抱き上げた陽向ごと後ろに跳ね上がる。

 潰れた蛙みたいな声をあげて、陽向は後方に転がった。子龍を両手で抱えてしまったがために受け身をとる余裕もなく思い切り背中を打ち付ける。

 絶対どっかに痣ができる。真っ黒になる。

 痛みに悶絶しながらそれでも子龍を離さなかったことを褒めてほしい。

「……何やってんのよ」

「……唵阿毘羅吽欠」

戦意を削がれたらしい座敷童の呆れ声と、投げやり気味な春日野の呪文があっちで聞こえた。座敷童の悲鳴も聞こえたから、さっきの穢れを祓うという術をもう一度使ったのだろう。今度は完璧に祓えているといいが。

 なんだかどっと疲れてしまった。仰向けのまま転がっていたら子龍が腹の上でもぞもぞしている。

「あの……大丈夫?」

ちょっと暗くなったなと思っていたら、セリナに見下ろされていた。

「ああうん、大丈夫。たぶん」

背中が痛い。痛い上に何故かものすごく疲労している。身体が怠い。

「子龍お前、何しやがった?」

「ぴい」

腹の上で子龍がじたばたするが、離さない。両腕は鉛のように重たいが、根性で細長い身体を握り込む。

「ぴぃい!」

「わかった、わかったから落ち着け」

とりあえず何かを抗議していることだけは何となくわかった。

「……よっ、と」

重たい体をどうにか動かして、上体を起こす。腹部に居た子龍がずるずると太腿まで落ちた。呼吸こそ荒れていないが、まるで遠距離水泳でもやった後のような疲労感である。

「大丈夫かい?」

春日野が心配そうに陽向の顔を覗いた。

「はい……たぶん」

春日野の顔を見返す余裕もなく、落とした視線の先で子龍が管を巻いていた。

「霊力値測定……『へい』か」

スマホを陽向に向けて、春日野がぼそぼそと一人で呟いている。

「霊力値?」

疑問符を浮かべれば春日野が教えてくれた。

「うん。大雑把だけど、持っている妖力や霊力の量を測れるんだ。尤も君には必要ないだろうけど」

「霊力って妖力とは違います?ってか、俺にもあるのか」

「妖を視れる人は大抵持ってるけど……ちょっと待って、上名君もしかして自分の霊力はわからないのかい?」

「……それ、さっき春日野さんが使ってた術とかに使われてる力ですか?それならすっごくわかりづらいです……」

何も感じないわけではないが、少なくとも今の春日野からは何の力も視えない。先程座敷童の穢れを祓ったときには視えたので、恐らく術を使うなど、表面化しないとわからないのだろう。いわんや自分の霊力をや、である。

「そっか……いやでも、術で使ってる力が視えるだけで破格なんだけど……。まあ、そんな君の霊力が『丙』なわけないから、ごっそり減ってるんだろうな」

元を測り忘れていた、と春日野が苦笑いで頭を掻く。霊力が減っているということは何かに使われたということなわけで。陽向は膝の上の子龍を見下ろす。

「さっきのアレ、俺の霊力使ったのか」

子龍はといえば、牙を剥き出しにして唸っていた。どうやら怒っているらしい。猫のように逆立った鬣の、その殺気が向けられているのは腕組みして顛末を見守っている座敷童である。

「もしかして、俺が攻撃されたから……?」

「ぴ!」

唸り声が止まって、代わりにはっきりと肯定と思しき返事が来た。すぐに威嚇を再開する。

「……もう大丈夫だから。そうだよな?えっと……」

呼びかけようとして名前を聞いていなかったことを思い出した。座敷童と呼ぶのも違う気がする。

「真琴よ」

半目で諦観気味に座敷童が答えてくれる。少しは信用してくれたらしい。

「もう何もしないわよ。気持ち悪いのも消えたし」

真琴が言う通り、彼女が纏う妖気の濁りはかなり改善されていた。平常と言って差し支えないだろう。

「ほら、真琴もそう言ってるから」

「ぴ」

逆立った鬣を撫でてやると、不承不承と言わんばかりに子龍が引き下がった。

「けど、ありがとな」

「ぴ?」

不思議そうに見上げた子龍の円らな瞳に苦笑しながら、陽向は謝礼を重ねる。

「怒ってくれたんだろ?だからありがとう、だ」

子龍の瞳が潤んで、向きを変えて頭をぐりぐりと陽向の腹に押し付けてくる。その額の鬣を撫でてやりつつ、角が刺さらないようにさりげなく角度調整する。抗議なのか照れ隠しなのかわからない。

「ちょっとやりすぎだけどね……」

春日野が示した指の先を追いかける。

「げっ」

顔を上げたその先、真琴と陽向の間の畳に大穴が開いていた。床板まで貫通したらしく、下の基礎部分が丸出しになっている。

「春日野さん……これってヤバい奴……?」

「大丈夫大丈夫!たぶん経費で落ちるから!……たぶん」

血の気が引いて春日野に問えば、彼も不安を吹き飛ばさん勢いで明るく言い切った。一言付け加えられたけど。

 文化財にも指定されそうな年代物の古民家である。修理費がいくらになるのか、陽向では見当もつかない。弁償など到底無理だ。例え生安課のアルバイトを受けたとしてもバイト代で賄えるようなレベルではないだろう。

 すわ高校生にして借金地獄か、とおろおろしていたら春日野は暢気に子龍の長い体を撫でていた。春日野の中では経費で落とすことが確定しているのだろうか。なら、安心しても構わないだろうか。

「いやー、上名君の霊力を借りたとは言え、すごい威力だねえ」

「すごい威力だねえじゃないわよ⁉」

暢気すぎる春日野に、ここまで静観していた真琴が吠えた。

「危うく死ぬところじゃない、何よあんた、何者!?」

「それはこっちが訊いて回ってるんだけど……」

子龍が何者なのか、一番知りたいのは陽向である。頬を膨らませて陽向を観察していた真琴が、斜め下に視線を逸らす。謎の反応に疑問符を浮かべた陽向に、座敷童が小さな声で訊いた。

「……何でその子を止めたの」

「何で、って……」

「止めなかったらここの怪異は収まっていたわ。解決したのよ。何で止めたの」

言われてみれば、体の方が先に動いてしまったとしか言えないのだけれど。真琴を殺せば不動産屋からの依頼は達成できたし、殺すことも可能だった。陽向は少し考えてからまとめた意見を口にしてみる。

「……春日野さんが祓おうとしてたから」

「はぁ?」

そんな威圧されても困る。

「払えるなら祓った方がいいだろ、死なすより」

「上名君が僕と同じ考えでちょっと安心したよ」

割り込んだ春日野は優しげな笑顔だった。

「私に、生きてろって言うの?誰も居なくなった空っぽの家で、座敷童が。憑いた家族に忘れられて、置いていかれた私に」

今にも泣きそうな真琴を見下ろして、春日野が人差し指を一本天井に向けた。

「新しい家族を待ってみたらどうかな」

「え」

ぽかん、と真琴が口を丸く開けた。

「幸いここは売りに出されているわけだし」

「……こんな化け物が居る店で?家族が戻ってこないかなって、新しく来る人たち追い返しまくったからかなり悪評ついてるんじゃない?」

「幸運を呼ぶ座敷童だろう?化け物でもいい化け物の部類だ。それに最近は座敷童カフェとか流行ってるし、どう?不動産屋さん曰く、出世したお店の跡地だから入居希望者はたくさんいる。見学依頼も後を絶たないって言うし。それもいいと思うんだよね」

「流行ってる……?」

「あー、最近よく聞きますよね、座敷童に会える宿、とか」

何故かここのところブームなのだ。陽向もいくつか広告を見た記憶がある。

「結構売りになるんじゃない?」

片目を瞑って見せた春日野を見上げて、真琴が頭を抱えて蹲った。


   〇


 「龍が居なくなった、じゃないわよ。そんなこと言った覚えないわ。どこで変わったのかしら、まったく」

ぶつぶつ文句を言いながらも、真琴が案内してくれたのは庭の池だった。客間として使っていた和室から見える日本庭園の中央にある池である。かなりの大きさがある。

 座敷童によると天然の池なのだそうだ。この池を利用する形で家の方が建てられたのだと言う。以前住んでいた一族が相続人がおらず料亭として卯の花の家族が買い取ったというのが一連の経緯のようだ。

 東京に出店した卯の花の現店主は二代目だそうで、真琴はこの家が卯の花に渡る頃にここに住み着いたと語ってくれた。もともと暮らしていた一族のことも知っているらしい。


 「私が言ったのは鯉が居なくなった、よ。龍じゃないわ」

「鯉」

悠鯉ゆうりって言ったんだけどね。ここの池のヌシの眷属で、ここの家族――ああ、卯の花より前の家族よ――とのわたしをしてたの。まあ御用聞きね。だから私ともたまに話してたんだけど」

池の畔までは、だいぶ草が生い茂っていた。下草を踏み分けてようやくたどり着く。藻が繁殖しているのか濃い緑色の水面が広がっていた。

「ここで飼われてた錦鯉の一匹だったの。それなりの妖だったけど、普段は普通の鯉の姿をしていたから、卯の花の家族にも見えていたわ」

「……もしかして、一緒に東京に?」

「正解」

陽向の憶測を真琴がため息と一緒に肯定する。

「彼、あれでもヌシの眷属だったから。何か影響が出ないかちょっと心配でね。ヌシは大丈夫だって言ってたけど、心配だったから知っているひとが居ないかあちこちで訊いていたのよ」

そうしたらいつの間にか変な噂になってしまっていた。

「で、その子のことだったわね」

池の畔に立った真琴が陽向に抱えられた子龍を見上げる。

「その子をここで見たことはないのだけれど、鱗の色合いとかここのヌシに似てる気がするから話を訊いてみましょうか?私なら異界に入れるし」

「ああ、そう言えばこの家自体が異界化していたものね。君はその術も使えるんだね」

「ヌシレベルじゃないわよ、言っとくけど。似たようなことができるだけね」

充分すごいことをしている気がする。そう言うと真琴はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らした。本当に謙遜していただけのようだ。

「じゃあ、行くわよ」

「え!?」

「今から!?」

「連れて行けるのは二人が限界だから、そっちのお姉さんはごめんなさいね」

真琴にズボンの裾を掴まれて引っ張られる。思ったより力が強い。同じように着物の裾を掴まれた春日野もよたよたと池の中へ一歩を踏み出した。


 水の中に落ちた感覚はしなかった。一歩進んだ先にはちゃんと地面が存在した。完全に落ちる気でいたので足に余計な力がかかって膝が痛い。

「着いたわ」

あっけらかんと真琴が言い放って陽向は辺りを見渡した。池の畔だった。池の中に池があった。

 さっきまで見ていた庭の池とは違う。どちらかと言えば湖に近い。湖面から霧が立ち上っていて、周囲の様子は詳しくは分からなかった。

「外殻じゃなくていきなり内側に入り込んだのかい?」

春日野が感嘆している。通常の異界は外殻と言われる外の世界を模した空間があるのだそうだ。一昨日の学校がそれだろうか。

「行くわよ。ヌシの館はあっち」

真琴は霧に覆われた池の対岸を指し示した。


 数メートル先しか見えない濃霧の中を歩く。歩きながら、陽向は異変を感じ取っていた。

 ヌシの妖気が異様に小さいのだ。

 居ないわけではない。距離が離れているのとも違う。無言で歩む真琴と春日野の背を追いながら、陽向は膨らむ嫌な予想に肩に乗った子龍を降ろして両手で抱えた。

 真琴が示した位置に、確かにヌシは居る。けれど、この妖気の異変を陽向は見知っている。つい一昨日の話だ。

 漂ってくる弱々しい妖気の特徴から、それが子龍の身内であることを、陽向は既に悟っている。


 「……子龍、見るな」

抗議するように腕の中で子龍が暴れたが、小さな両目を覆った手だけは離さなかった。両手に抱えた子の身内であるのならば、見せてはいけないと思った。

 濃霧に煙る立派な屋敷の中。

 崩れた建物は抵抗の証か。雄々しかっただろう巨大な尾は縁側にもたれかかっている。地面から生えたのか、穂先を天井に向けた黒い槍が、巨大な龍の喉を貫いていた。柄で止まって龍は頭をもたげた状態で絶命している。見開かれた目の片方に、矢羽根が見えた。

「上名君、これは……」

「はい」

子龍の両目を塞いだまま、その事実すら聞かせたくないと内心で嫌悪に襲われながら、それでも陽向は告げた。

「――子龍の、親です」

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