第六章 情報
細蟹とは沢を少し下ったあたりの森の中で再会できた。
もう少し下流だと岩が大きくなって移動に苦労する箇所だったから、陽向としてはありがたい限りである。
二人の姿を見止めた細蟹は驚いた様子で、切れ長の目を細めて無事を喜んでくれた。
「安心しました。よくない気配もあるようでしたし」
スマホを構えて森の中を探索していたところを見るに、恐らく彼女も妖気を肌で感じることはできないのだろう。
「よくここに入れましたね」
陽向とセリナがここにいるのはポコを招いたヌシに巻き込まれたからであって、ヌシの支配する異界に簡単に出入りできないことは、ここに来る前に春日野に聞いた通りだ。
「こういうと気に障るかもしれませんが、私たち調査課は生安課より管理局の中枢に近いですから。こういう許可も比較的簡単に取れるんですよ」
何となく上下関係が垣間見えて、中の人ではない陽向はついセリナの横顔を盗み見る。細蟹も気を遣っているが、それでも所属を格下だと言われたに等しい発言だ。けれど少し強張ってはいるものの、セリナは至って無表情だった。
ちょっとは表情の変化を見せてくれるようになったと思ったのに、すっかり元通りである。細蟹が居るからだと思いたい。
時を同じくして、穢れた妖気の方も消えた。ヌシならば相手にならないのだろう。飛んで行ったのを見届けてから一瞬だった。
「あら、よろくしない気配も消えたわね?」
スマホを見ていた細蟹も気付いたようだ。
「ヌシを狙っていたのかしら?敵うわけないと思うのだけれど」
「瞬殺じゃないですか?さっきも飛んできて潰してたし」
陽向は遠目で見ただけだが、まるで蝿でも潰すかのような動作だった。何なら着地しただけという可能性もある。
「飛んできて潰した?」
言われても想像はできなよなぁと、不思議顔の細蟹を見て思う。何せ空中を水平飛行する巨大な亀である。
ヌシさまにも挨拶しないとね、という細蟹の要望により彼女を連れての洞窟再訪問になった。ヌシはすでに洞窟に帰還していた。
「おお、無事に会えたか」
そう言って目元の皺を深くした。細蟹が見上げて目を丸くしている。
「話は伺っていましたが……これほどとは」
ちょっとした岩山が動いているようなサイズ感である。初めて見る反応としては正しい。しばし呆然と見上げていた細蟹が、気を取り直すように咳払いした。
「実は、管理局の方にも情報が寄せられていまして」
神妙に話し出した細蟹はヌシの反応を窺っているようだった。
「この付近で神域の襲撃が相次いでいます。すでに被害も出ている模様です」
「それって、昨日の鼠も……?」
板の間に臥した巨大な鼠を思い出す。あれも襲われた様子だった。どう見ても自然死ではない。細蟹は陽向の問いに頷いた。
「ええ。まだ断定まで至っていませんが、恐らくは同一犯かと」
「青山のヌシかの。聞き及んでおるぞ」
そういうネットワークがあるのだろうか。昨日の今日で話が伝わっている。青山は
「ええ。管理局も憂慮しておりまして。各地のヌシに注意喚起を飛ばそうとしていた矢先でした。残念です」
至極事務的に話していた細蟹が口惜しそうに最後の一言を告げた。が、陽向は少し引っかかる。
「じゃあ何で昨日春日野さんには言わなかったんです?」
訊いた方が早いと率直に振ってみれば、細蟹は困ったように苦笑した。
「緘口令が出ていたの。まだ確定情報でもなかったし。でも被害が出たことで本部も重い腰を上げたってところよ」
なるほど、それなら納得できる。
「何にせよ、ご注意ください。今のところこちらはそこまでの脅威ではないようですが、近隣に実害は出ておりますので。必要でしたら護衛も承ります」
「今のままなら必要ないのう」
淡々と営業のように言い切った細蟹をすげなく断って、亀が微笑んだ。
「そら、用事は澄んだじゃろう。只人が異界に長居しすぎるのはあまりお勧めせんぞ」
どういう理屈かはわからないが、亀がこちらを心配しているのはわかる。
「はい、お邪魔しました。ほら、ポコ、子龍、起きろ」
だから陽向は素直に立ち上がった。未だ洞窟内で昼寝している二匹を起こす。そのまま抱えて帰ってもいいけれど、挨拶くらいはさせた方がよいだろう。
「うーん、帰るの?」
眠そうに目を擦ったポコはそれでも亀に礼儀正しく向き直った。
「おじちゃん、ぬいぐるみ、ありがとうございました」
「うむ、次は失くすでないぞ。困ったらいつでも来い。親がいないんじゃろ、儂が後見になろう」
「本当!?」
嬉しそうなポコの笑顔に、孫を見る目の亀を含めた全員の顔がほころんだ。
「ああ、それとな」
何か思い出したのか、亀が長く伸びた首を陽向の方へ向ける。正確には陽向の肩に乗っかっている子龍の方に。
「そこな龍の仔じゃが」
「そう言えば」
ポコの依頼とヌシ襲撃騒動ですっかり忘れていた。そもそもの目的を思い出し、陽向は問いかけてみる。
「何か知ってます?迷子みたいなんだけど」
「うむ。……ひと月ほど前かの。龍が行方不明になったと騒いでおった妖が居る。関係あるかはともかく訪ねてみるとよかろう」
「え!?」
さすがはヌシ。襲撃情報を知っていたことといい、やはりその手の伝手があるのだろうか。
「確約はせんがな。『うのはな』じゃ。これ以上は教えられんが充分じゃろ」
「『うのはな』?」
何のことやら全く解らないが、亀は宣言通りそれ以外を語る気はないようだった。
「便利な時代じゃ。調べてみるとよかろ」
の、一点張りである。なお、現在スマホは圏外。インターネットに頼るならば異界の外に戻らなければならない。けれど肩透かし感はあるものの、有益な情報には違いない。
「わかりました。探してみます。ありがとうございます」
「ぴ!」
お辞儀した陽向の頭の上で、感謝を示すように子龍が元気よく鳴いた。
〇
異界の出口は細蟹が確保しておいてくれていた。
「少し座標がずれているかもしれませんが、参道付近には出られるはずです」
結局、奥の院に向かう山道の少し下に出てしまったので、若干崖登りをする羽目になった。細蟹が悪びれなかったのが少々腑に落ちないけれど、神域の出入りがそれだけ難しいのだろうと勝手に納得しておく。
細蟹が言った通り、春日野は奥の院に留まっていた。
「無事で良かったよぉ。細蟹さん、本当にありがとうございます」
深々と腰を折った春日野に、対する細蟹はどこまでも事務的だった。
「いいえ。人間が下手に神域に留まることの影響の方が怖いですから」
あくまで業務上必要だからのスタンスを崩さない。
「ポコも、ぬいぐるみが見つかってよかったねえ。結局
「ううん。お姉ちゃんとお兄ちゃんが助けてくれたよ」
小さな手で指さされて、セリナが気恥ずかしそうに顔を背けた。
「俺は生安課さんじゃないんだけどな」
陽向は苦笑しながらしゃがんでできるだけポコに視線を合わせる。背の低いポコは座ってもなお下の位置に顔がある。
「ポコ、お前が嫌じゃなければだけど、ぬいぐるみ直そうか?」
「え?」
未だに握りしめたままだったぬいぐるみを覗き込む。
「思い出の傷とかあったら無理にとは言わないけどさ」
「直る?」
腕や足の糸が大分伸びてしまっている。このまま持つには心許ないと思ったのか、ポコはおずおずとぬいぐるみを差し出してきた。
「今すぐには無理だけど、ちょっと預かってよければ直してくるぞ」
見たところ、簡単な手芸で直りそうだ。ちょっと綿も詰め直したいところではある。
「お、お願いします!」
少し悩んでから、ポコは今一度ぬいぐるみを前に突き出した。それを丁重に受け取る。
「うん、布はそこまで傷んでないから大丈夫だと思う」
改めて細かいところを確認して、ちゃんと直せるかを吟味しておく。何とかなりそうだ。
「お裁縫、できるのね?」
興味深そうに眺めていた細蟹の言外に「男子なのに」を感じ取って苦笑いで誤魔化しておく。
「あー、ほら。いろいろ巻き込まれたりするから何かと入用でして……」
ちょっと破れたくらいで服を買いなおしていたらきりがない。制服なら言わずもがなである。親にバレないようにできるかぎり目立たない継接ぎ技術だけをネットで漁りまくったので修復作業ならば多少の心得がある。
「苦労してるねえ」
春日野までしんみりさせてしまった。
「こういうとこで役に立つなら練習したかいがあります」
ついでに中学での家庭科にも困らなかったし。陽向にとっては別に悪い事とは思っていない。
〇
「本っ当にありがとう!」
寺の山門でポコが小さな手を精一杯に振っていた。ぬいぐるみが完成したらまた会いに来るが、それまでは一時の別れである。
「正直何もしてねえけどな」
ぬいぐるみを見つけてくれという依頼を叶えたのはあそこのヌシだ。何なら陽向たちが介入したせいでポコとヌシが出会うのが遅れたという見方すらできる。
「けど、ぬいぐるみはちゃんと見つかったし。それは二人の手柄でいいと思うよ」
石段を下りる春日野はニコニコ顔だ。
「そういうもんですかねえ」
どうしてもこれを手柄であるとは思いたくない陽向である。
「じゃあ、ぬいぐるみの修理で埋め合わせってことで。本来の仕事ならそれなりの謝礼をもらうしね。それもなしってことで」
「あ、やっぱり無料じゃないんですね」
やはり、頼み事にはそれなりの報酬が必要というわけか。
「金銭だけじゃないけどね。妖によってはその得意分野で返してもらったりすることもあるよ」
それならポコのような野生の妖でも依頼を出せるのか。
「雪女に夏のかき氷屋でバイトしてもらったこととかね」
随分合理的である。結局労働対価なんですね、とは黙っておいた。
〇
「『天巳市・うのはな』っと……お、これか?あれ、これって」
車まで戻って一息ついたので、さっきのヌシの情報を調べてみる。ネットの検索欄に入力したら案外簡単にヒットした。しかも記事に見覚えがある。
「何か出てきたかい?」
駐車場に停めたままの運転席から身を乗り出して後部座席へ声をかける春日野にちらと視線を向けてから、陽向は表示した記事を差し出した。
「これですかね?『料亭卯の花』」
花の名前だが、そのまま店舗の名前だったらしい。陽向のスマホごと受けとって、春日野が画面の文字を追いかける。
「東京移転?こっちのお店は……閉めちゃってるのか」
朝のネットニュースでも上がっていたから記憶にある。こちらで有名になったので首都で店を始めることになった飲食店だ。今をときめく男性人気アイドルが同郷のお店を直撃取材、といった内容である。
「このアイドルの男の子知ってるよ。天巳市出身だったんだね」
春日野ははしゃぐが、毎日のようにテレビやネットで見かけるから、余程のことがない限り彼を知らないことはないだろう。
返却されたスマホを受け取って、検索画面に戻る。
「元の店の場所が判るといいんですけど」
しばらく指を滑らせた陽向であったが。
「……ないっすね」
お手上げである。レビューにも店のSNSにも東京に出店した店舗の所在地しか載っていない。過去のレビューやSNSの投稿を見ても、詳しい住所までは載っていなかった。
「天巳川のすぐそこってくらいしか判らねえ……」
最早意図的に消したのかと疑いたくなるほどに店の場所が判明しない。これまでのレビューが高評価だらけなのも気になる。サクラなのかといくつか読んでみたが、どうやら本当に食べに行った人たちのようだ。
「天巳川って言っても、かなり長いよ?」
全国ランキングに載るほどではないが、一級河川である。山の奥から河口までを特定の店跡を求めて走り回るには範囲が広すぎる。
「もうちょっと探ってみようかな。今日はもう遅いから一度解散にしよう」
結局、春日野と細蟹もスマホで探したが有力な手掛かりは得られなかった。ちなみにセリナはスマホを持っていないらしい。
「上名君はお家まで送るね」
「……お願いします」
歩いて帰れない距離ではないけれど、ちょっと嫌だ。散々歩いて走って既に足が棒になっている。
〇
「もう少し時間を頂戴。生安課に戻れば地元の妖たちに聞き込みもできるから。何か判ったら連絡するよ」
と、春日野が言って彼らの車を降りてから三時間ほど。護衛の式神が付いてきているのが少々気になるが、気にしていても仕方ないので無視している。時刻は午後九時を少し回ったところ。夕食を済ませて子龍を連れて入った風呂から上がった陽向は、スマホに残る不在着信の通知に気付いた。
「春日野さん?」
着信時刻は十分ほど前。夜間だが、この時間にかけてきているとなると緊急かもしれない。陽向はそのまま電話をかけなおした。
「すみません、電話もらったみたいで」
そこまで時間が経っていなかったからか、春日野はすぐに電話口に立った。
「やあ、こっちこそ遅くにごめんね」
昼間と変わらない、柔和なまったりとした声が聞こえてくる。
「『卯の花』のことがわかったから伝えようと思って。明日だと約束の時間が早めだから今日の内にね」
のんびりとした春日野のペースに飲まれがちだが、聞き捨てならないことを言われた気がする。
「約束の時間?」
「うん」
別に予定はないし、子龍の親を見つけるのが最大の予定なのだから別に支障はないのだけれど、それにしても急すぎないだろうか。
「これは本当に偶然なんだけど、『卯の花』の跡地を管理してる不動産屋から依頼が来ててね。ここ最近の騒動ですっかり後回しになってたんだけど、丁度いいから行きますって言ったら明日の朝って指定されちゃってね」
電話の向こうで肩を竦める春日野が見えた気がした。
「と、いうわけなんだけど、明日七時に出れるかい?」
普段の登校時間よりも早いじゃないか、と陽向は思わず現在時刻を再確認する。午後九時二十分。当たり前だがさっきからそんなに経っていない。母は明日の夜帰宅予定で、父は相変わらず部屋に籠っている。妹が起きてくる時間を考えて、彼女には明日も食パンで我慢してもらおうと勝手に納得する。それ以外のやらなければならない事柄を並べて、時間を逆算。
「……大丈夫です」
間に合う、と判断した。
「そっか、よかった。ちょっと早いけど、迎えに行くね」
はい、お願いしますとだけ言って電話を切る。家族分の衣類が投げ込まれた洗濯機のスイッチを押しに風呂場へ戻った。
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