第48話 奇跡
がららんとドアベルを鳴らして
「ぃよっ、こんちはー」
おっきな声で景気のいい挨拶をしながらお店に入ってきた、そのおじさんがニコッと笑った瞬間、誰だか分かった。
「……ぽんすけ」
カウンターの中でコーヒーを淹れていたわたしと、その正面に座っていた
それを聴いて、近くのテーブルに座っていたお母さんとおばちゃんが驚いて目を合わせる。
本当にぽんすけのことを知ってるんだ、とおばちゃんが小さく呟いた。そりゃ、知ってますよ。
「ああ、岡部さんだ。変わらないねえ、僕は横幅が二倍になっちゃったのに」
そう言って、30年後のぽんすけである、ぽんすけおじさんは、お母さんを見た。でも、おばちゃんが麻友だってことには気付いていない。わたしがチラリとおばちゃんを見ると、おばちゃんが唇に人差し指を当てて、しーってする。
「ぽんすけ、下原さんと今も繋がってるからね」
おばちゃんは、ぽんすけおじさんに知らんぷりしながらわたしに囁く。そーだった。麻友の存在は下原先輩には秘密なんだっけ。
「こんにちは」
わたしが立ち上がってぽんすけおじさんに頭を下げると、お母さんがわたしをぽんすけおじさんに紹介した。
「娘の透子」
「わあ、透子ちゃん何年振りだろ、ちっちゃかったのに綺麗になったねえ。いやいや下原さんに似なくて良かった」
ぽんすけおじさん、何げにお父さんに対してひどい。
「や、わたし、父にも似てませんか?」
わたしがそう言うと、ぽんすけおじさんは、うーんと唸った。
「いやあ、似てないよ。だって可愛いじゃん」
「もー、ぽんすけは中身は本当に変わってないのねぇ」
「うん、僕ね、大学の仲間に会うと、あの頃みたいに戻っちゃうの。もう60に手が届きそうなのに、二十歳の頃みたいな気分になるんだよ。青春時代って凄いよね」
そう言って、笑い皺を深くするぽんすけおじさんは、なんだか、いい感じに年を取ったんだなぁって思った。そんなぽんすけおじさんをおばちゃんが目を細めて見ている。
「岡部さんさ、浅野さんとは連絡取ってないの?」
「ずっと、会ってないわぁ」
うわ、お母さんったら白々しい。
「そうかあ。残念だなあ。浅野さん、きっと、もんの凄い美熟女になってるよねえ」
わたしたち四人が全員吹き出しそうになるのを耐えた。おばちゃんだけは、笑えなくて苦虫を噛み潰したような顔になってて、それはそれでおかしかった。
「もし、また浅野さんに会えたら、僕も
柊ちゃんが笑いを堪えきれずに震え出したけど、ぽんすけおじさんはそれに気付かない。ほんと、ぽんすけおじさんは変わってない。
「そうそう、忘れないうちに、これを岡部さんに返さないと」
「一体、何を返すの? いきなり連絡してきて」
「信じてくれなくていいけどさ、このコが、岡部さんのところに帰りたがってる気がして、ここのところザワザワしちゃってね、どうしても落ち着かないんだよ」
そう言って、ぽんすけおじさんが鞄から取り出したのは、古ぼけた黒いケース。それを見た瞬間、お母さんの目が大きくなって、そして、
潤んだ。
それは、美帆の8mmカメラだった。
お母さんは、おずおずと手を伸ばして、パチンパチンとケースの留め金を外し、とてもとても大切な宝物なのだというように、8m mカメラに恭しく手をふれ、そして持ち上げた。
「ぽんすけ、綺麗にしていてくれたのねぇ。ありがとう」
「当たり前だよ、僕らの青春を記録してくれた、大切なカメラなんだからね。あ、僕らの青春なんて言うと、若い人に臭いって言われちゃうかな」
わたしは慌てて、そんなことないよって首を振った。
おかえり
美帆が囁くと、カメラが、ただいま、と応えた気がした。
「あの頃、僕は、岡部さんはこのカメラに愛されてると思ってた。あんな綺麗な映像は、岡部さんが撮る浅野さんだけだったって、今でも思ってる」
美帆は、カメラに愛されている。
そうかもしれない。
わたしは、その8mmカメラを見る。なんだろう、胸が騒ぐ。
柊ちゃんがわたしの耳に唇を寄せて、内緒話をするように話し掛けてきた。
「透子、私たちを、美帆と麻友の中に送り込んだのってさ」
わたしは頷いた。
「あのカメラだって気がする、よね」
なんでだろう?
そんなバカな話があるわけない……?
なのに、そんな気がする。
ただ、お母さんのところに帰ってくるだけじゃ、よくある大学時代の懐かしい思い出の品物にしかならない。
でも、あのカメラは、お母さんたちの30年前のあの恋を知っている。二人が心の底にしまい込んで、隠してきた恋。
美帆と麻友を、そこから解放するために、奇跡を起こす。
奇跡を
あの8mmカメラは、今は、喫茶店の棚の一番目立つところに飾られている。
お母さんは、もうあのカメラで撮影はしないと話していた。
だから、中にフィルムは入っていないけれど、お母さんは時々、カメラを綺麗に磨いてやって、そのついでにカメラ越しに世界を覗く。
もう、撮影をすることはないだろうけれど、カメラは美帆と麻友のそばにずっといる。
そして、わたしは家を出て、柊ちゃんと新しいマンションに移った。
入れ替わるように、おばちゃんはそれまで住んでいたマンションを引き払って、お母さんと一緒に暮らし始めた。もう、今更、二人に後ろ指を指す人なんていない。
それに、
や、むしろ、わたしと柊ちゃんは、ようやく二人きりになれた美帆と麻友の邪魔者なのかもしれない。
それと、あのDVDを何度か再生してみはしたのだけれど、もうわたしと柊ちゃんが二人の過去を覗くことはなかった。
ちなみに、お母さんとおばちゃんに見せたら、二人にとっては猛烈な黒歴史だったらしく、悶え死にした。けっこう綺麗な映像だと思うんだけど、恥ずかしくて見るに耐えないらしい。
笑っちゃうよね。
「ねえ、お母さん、おばちゃん、今度の連休にさあ」
お店の方でコーヒーを淹れながら、わたしは二人の母親に声を掛けた。柊ちゃんはまだ会社だ。
「あの島に行かない?」
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
いつもお読みくださってありがとうございます。
次回いよいよ最終話です。よろしければ最後までお付き合いください。
うびぞお
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