第47話 四人
視界の中で、すうすうと、規則正しい寝息を立てて、小さな
わたしは、今、誰の中にいるんだろう。
小さな透子から視線が外れ、視界の持ち主は、ぐるっと部屋を見渡して仏壇を見た。仏壇には見覚えのあるおばあちゃんとおじいちゃんの写真。ということは、あれは、今もわたしの実家にある仏壇だ。でも、この部屋は見慣れない。
つまり、ここは、建て直す前の昔の実家の仏間だ。
そして、小さな透子にタオルケットをかけ直す手には見覚えがあった。
それから、透子を見ながら、可愛い、と感じる気持ちがふわりと湧く。
この体は、きっと
美帆だ
わたしは、また美帆の中にいる。
離婚して、小さな透子を実家に連れて帰ってきて、おばあちゃんも亡くなって、ていうところかな、と推察する。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「はぁい」
ああ、美帆の声だ。
美帆はスッと立ち上がり、小さな透子が寝ているのを確認してから、玄関へ向かった。
玄関の引き戸のガラスの向こうに人影がある。
「どちら様?」
美帆は、そう尋ねながら、引き戸をガラガラと音立てて開けた。
え
わたしは美帆の中で絶句する。
美帆も、だった。
「……美帆」
玄関前に立っていたのは、麻友だった。
髪は肩の高さで切り揃えられていて、上手に化粧を施しているから、大学時代よりもずっと大人びていて、一瞬、誰か分からなかった。
だけど、相変わらず綺麗だ。
「……ぽんすけに偶然会って、美帆が下原先輩と離婚したって聞いて、居ても立ってもいられなくて」
挨拶もろくにせず、麻友が話し始めた。
「心配して会いに来てくれたの?」
麻友の話を美帆の掠れた声が遮る。少し間を空けて、ようやく麻友が言葉を発した。
「私は、美帆が幸せに暮らしているんだと思って……」
急に視界がぼやけた。胸が熱い。色んな感情が美帆の中をぐるぐるして、嬉しいんだか悲しいんだか、よく分からない、大きな感情の嵐。
顔を流れる冷たさは涙だ。
「麻友」
「ごめんね、一人にして」
「麻友、麻友、麻友……」
美帆は何度も何度も麻友の名を呼んだ。
それに、ごめんね、という麻友の囁きが挟まる。
美帆の心の中で、ずっと閉じていた蓋が突然開いて、中で抑えられていた思いが迸っている、そんな感じだ。
「美帆、私、これからここにいる。傍にいるから」
それは、麻友がわたしのおばちゃんになってくれた瞬間だった。
そこから先のことはわたしも知っている。お母さんとおばちゃんは二人でわたしを育ててくれた。
わたしと手を繋いで、わたしを抱きしめて、わたしのそばにずっと二人で一緒にいてくれた。
二人で。美帆と麻友とで。お母さんとおばちゃんとで。
なんだ、お母さんたら、一人じゃなかったんじゃない。
そして、世界が暗転し、わたしは柊ちゃんの腕の中にいる自分に戻っていた。
柊ちゃんの肩を突っぱねて、お母さんを見た。
お母さんは、テーブルの向こう側で、目を丸くしている。あ、そうだった。わたし、お母さんの目の前で柊ちゃんとキスしちゃったんだっけ。
「お母さん!」
「……は、はぁい」
お母さんは、頼りない返事をしてくれた。
「わたし、わたしもね、お母さんの中にいた。美帆の中にいたよ、ずっと美帆と同じものを見て、同じことを感じていたよ」
「透子、あんたまで」
おばちゃんが困ったような声を出した。
お母さんは、ちょっとだけ固まって、それから、ふふふと笑った。
笑った?
「やっぱり、透子は、わたしの中にいたのねぇ」
お母さんはにっこり笑った。
「柊ちゃんの話を聞いてて、透子もわたしの中にいたんじゃないかって思った」
「何、心当たりがあるってこと?」
おばちゃんがお母さんに尋ねる。
「透子は覚えてないかな。透子は、小さい時に海を見ながらよく言ってたの」
『まぅちゃんどこいったの? みふぉちゃんとなかよぃの』
麻友ちゃんはどこに行ったの、美帆ちゃんと仲良しの。
「なぜ透子は麻友のことを知ってるのかなってずっと考えててね。
わたし若い頃、鏡の中から誰かがわたしを見てるって気になってた時期があって、その誰かが透子になって生まれたんだってことにしたの」
したの、って。そんな簡単に。
「だから、透子の前世は、イマジナリーフレンドみたいな、わたしの空想の友達だと思ってた。……若い頃、悩んだりつらかったりすると、その鏡の中の友達がいつもわたしを励ましてくれてた。
それが透子に生まれ変わってくれたんだって」
美帆にわたしの声、届いてたんだ。
鼻がつんっとした。なんか、ちょっと泣きたくなる。
そうして、わたしと柊ちゃん、美帆と麻友、あの頃、ずっと一緒にいた四人が揃った。
わたしたちは、母子で、恋人同士で、親友同士だ。
不思議で素敵な関係
どこにいても
これからもずっと
「お母さん、おばちゃん、わたし、柊ちゃんと一緒に暮らす!」
「ね、なんで、おばちゃん、親戚の振りをしてたの?」
わたしは、カウンターの中に入り、おばちゃんのためにコーヒーを淹れる準備をしながら、お母さんとおばちゃんに尋ねると、お母さんが答えた。
「下原が拗ねるからよ」
え、お父さん?
「お父さんねぇ、麻友のことがトラウマになってるっていうか、なんというか。麻友のことを口にすると拗ねて怒るのよ。
離婚した後も定期的に透子とは面会するでしょ、透子が麻友のことを下手に口走らないように、おばちゃんってことにしたの」
はい?
「おばあちゃんにはお姉さんがいてね、子供の頃からわたしを可愛がってくれて、わたしもおばちゃん、おばちゃんって懐いてたの。下原もそのことは知ってたけど、大学を卒業する前におばちゃんが亡くなったことまでは知らなかったのよねぇ。だから、透子がおばちゃんの話をしても、それが麻友とは気付かなかったってわけ」
「一応、用心して見た目も学生時代と変えた。そうしたら本当に気付かなくて。下原さんて、繊細だけどどこか鈍いからね。そういう鈍臭さは透子に似てる」
おばちゃんがそう付け足すと、わたし以外の三人がニヤリと笑う。
お父さんが繊細なくせに鈍いのは知ってる。でも、わたしに似てるだは余計だ。あ、柊ちゃんが肩を震わせて笑ってる。なんかひどい。
突然、お母さんのスマホが音を立てたので、四人ともちょっと驚いた。
「はい、もしもし。ええ、岡部です。……あらぁ、そう、駅から……、うん、そこを右に曲がって、うんうん。見えたでしょ。ちょうど店にいるから」
ん?誰かお店に来るの?
四人の視線が集中した。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
いつもお読みくださってありがとうございます。
あと残り2話です。よろしければ最後までお付き合いください。
うびぞお
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