フィルムチェンジ

第0話 自立

 わたしが大学3年に進級した春、しゅうちゃんは、わたしの地元のそれなりに大きな企業に就職した。柊ちゃんは東京とか都会の会社の内定も出ていたのに、わたしのためにそれを蹴った。こんな地方都市でいいのかと思う。

「政令指定都市じゃん」

 一応ね。

 わたしの育った街は、かろうじて政令指定都市で、それでも所詮は田舎だと思う。よく指定されたもんだ。

 その柊ちゃんの判断のおかげで、わたしたちは遠距離恋愛にならずに済んだ。わたしを基準に就職を決めていいの?

「ちゃんといい会社を選んでるよ。一部上場企業だし」

 柊ちゃんがわたしの鼻の頭に軽く口付ける。

「それに、転職はできるけど、私には透子の代わりはいないもん」

 いきなり口説くな。顔が緩むじゃん。

「二年後、透子が私を捨てて、遠くに就職したら、困る」

 就職なんて。

 まぁ、そんなに先の話でもないのだけれど。柊ちゃんの会社はわたしでは無理そうだし、どこかになんとか潜り込まないと。

「お母さんみたいに先生にはならないの? 教職取ってたっけ」

 お母さんも、別れたお父さんも、その再婚相手も教師だ。だからこそ教師になるのは絶対に嫌だ。

「でも、この街で就職するんだよね」

 わたしは肯く。他の街に行くことは頭にない。



 だって、お母さんが一人になる。



「透子はいい子」

 柊ちゃんがわたしの頭を撫でる。

「私は、まだ、透子のお母さんには敵わない」

 なんのこと?

「私は透子のいる街を選んだけど、透子は、お母さんのいるこの街を当然として選んでる」

 え?

 そんなこと、ない、

 や、なくない。

「お母さんを一人にできない。透子はずっとそう言ってる」

 そう、だっけ。

「そうだよ」

 柊ちゃんは、わたしの髪に鼻を埋めて、そのまま、わたしの頭を掻き抱く。

「透子のお母さん、透子にとって最強なんだもん。私、勝てない」

 や、お母さん、そんなパワーがある人でもないよ。のんびり屋だし。

「いつかはお母さんより私を選んでね」

 わたしは肯くことができなくて、ただ柊ちゃんの胸に顔を擦り寄せた。




 そんな話をして3年くらい。

 わたしと柊ちゃんの交際は4年目だ。別れ話の一つもなく、わたしは相変わらず柊ちゃんにぞっこんだ。柊ちゃんもそうであって欲しい。そんなわたしも無事社会人突入。OLさんになった。……働くのは、楽しくて、つらくて、うん、キツい。

「背伸びをしているうちに踵が着いてるもんだよ」

 って柊ちゃんは言ってたけど。柊ちゃんみたいにバリバリの営業ウーマンにはなれそうにない。

 就活の頃から、この1年、ほとんどの週末は柊ちゃんの部屋で過ごしてる。就職なんて、恋人に甘えてなきゃやってられねえよ。


 柊ちゃんの部屋のローテーブルに転がっているビールの空き缶を片付けていたら、封筒とその中に入っていたと思しきプリントを見付けた。

「今度、このマンションの契約更新なんだけど」

 ふーん、そんなのがあるんだ。ずっと自宅で育って、自宅から大学に通って、自宅から会社に通ってるわたしには知らない言葉だ。

「……実は、引っ越そうかと思って」

 転勤? 遠いところに行っちゃうの、そんなの嫌だよ!

「違うよ、ここ、ぼちぼち狭いって思ってて。色々、物も増えたし」

 柊ちゃんは、大学を卒業した時からここに住んでて、大学の時に使っていた物や本などなどバンバン断捨離したから、言うほど物が多いわけではない。でも、確かに、服と化粧品はちょっと増えたし、それ以外でも、昇給に比例して柊ちゃんの持ち物の品質は良くなってる。

 なんて思ってたら、背中からぎゅーっとされた。首筋に頭をぐりぐりされている。どうした柊子、珍しくわたしに甘えたいの?

「うん、甘えたい、透子に。」

 どしたの可愛いねえ、わたしはそう言いながら、体をぐるんと180度回して、柊ちゃんの胸元に顔を埋める。

「透子、週末だけじゃなくて、……平日も、甘えさせて」

 うん? 何曜日に来ればいいのかな。わたしは頭の中でスケジュールを確認する。

「そうじゃなくって」

 なくて?

「えええと、だからさ、そのね、平日もね、私、透子に、えっと、あああああ」

 柊ちゃんがバグった。こういう時は、頭を抱っこして、いい子いい子してあげると落ち着く。可愛い。

 はああああ、と柊ちゃんが大きく息をついた。

「透子」

 柊ちゃんがわたしの両肩を掴んで、じっと目を見詰めてくる。

「……一緒に暮らそ。暮らしませんか。暮らしていただけないでしょうか。もし、よろしかったりいたしますのであればご一緒に」


 うわーーーー

 うわ、わ。どうしよ!


 でも、わたしの頭の中に浮かんだのは、やっぱり

 お母さんが一人になっちゃう、だった。


「やっぱり、透子は、お母さんから離れられない?」

 柊ちゃんが、わたしの顔を覗き込む。

 ていうか、一緒に暮らすどころか、まだ、お母さんに柊ちゃんと、どういう関係なのかすら話せてないんだよ。

 もう隠しておくのも限界だって、分かってる。


「透子?」

 この、格好良くて、可愛い、この人を、わたしはどうしたい?

 お母さんと秤にかけるわけでなく。


「柊ちゃん、大好きだよ」



 それは、わたしが親離れという自立を決意した日のこと。わたしは、お母さんよりも柊ちゃんを選ぼうと決めた。



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