第34話 動転
視界が涙で歪んでいて、周りがよく見えない。
誰かが美帆の肩を抱いた。これは多分麻友だ。
「ごめんね、美帆。映研に誘ってくれたのに」
もう一人美帆のそばに人がいるみたいだけど、これは下原先輩だろうか。
泣いてしまった美帆を下原先輩と麻友が二人で、下宿の前までタクシーに乗せて送ってくれた。
「浅野さん、後は頼むね」
美帆の下宿は男子禁制で、下原先輩は入れない。だから、麻友が美帆を部屋まで連れていくしかない。
「分かりました。大丈夫ですよ、ちゃんと寝かしつけますから」
「よろしく。美帆、明日の朝、起きたら連絡して」
「麻友、先輩、わたしぃ、もう大丈夫だから。二人とも帰って下さい」
麻友に腕を組まれて、美帆がジタバタする。
そんな美帆の様子を見て、安心したように下原先輩は手を振って帰って行った。
「……麻友が悪いんだよぉ、サークル辞めるなんて言い出すからぁ」
美帆が不貞腐れた声を出すけれど、いつもの甘ったるい口調に戻っていたので、安心したんだろう麻友がほぉっと息を吐いた。
「泣いちゃう美帆が悪いんだよ。サークル辞めるくらいでこんなに泣いてたら、2月になったらどうすんの」
美帆がガチャガチャと自分の部屋の鍵を開ける。
「どうって、……今日よりもぉ、たくさん泣くよぉ」
二人で美帆の部屋に入る。
麻友が美帆の部屋に入るのは珍しい。麻友の部屋の方が少しだけ広いので、そっちに美帆が行く方が多いからだ。
「泣かないでよ」
「無理だからぁ。麻友がいないなんて、無理」
少しお酒が入ってる分、美帆は甘えている。
「私だって無理だけどさ」
二人でへたり込むように部屋の真ん中に座った。
「無理も通せば道理になるって、誰か偉い人が言ってたじゃん」
麻友が無茶苦茶なことを言い出した。
やっぱり離れるのは簡単なことではないらしい。
「麻友、今度……最後にぃ、麻友を撮らせてね」
「何?映画?」
「映画? ああぁ、わたしに脚本は書けないから、ただ撮りたいだけかなぁ。下原先輩に、島で撮ったフィルムの切れっ端、ちょっともらったし、それと今まで撮った麻友も合わせてぇ」
「うわ、私だらけ。気持ち悪い」
「気持ち悪くないよぉ、麻友だから綺麗に撮れるって」
麻友の照れ隠しに、美帆が麻友と向かい合わせになって、本気で反論する。よし、これで麻友の顔が見れる。
てか、近くて顔しか見えない。
麻友とわたしの目が合ってる。
「でも、その映像は誰にも見せないんだぁ」
わたしの胸がドキンとした。爆ぜるかのように。
お母さんは、あのフィルムを現像して編集して、そして蓋をしてしまってあった。
わたしがそれを引っ張り出してしまった。
「わたしだけの麻友の思い出にする」
「美帆、……バカ」
「いつか、麻友が会いに来てくれたら見せてあげるね」
麻友は答える代わりにぎゅっと美帆を抱き寄せ、美帆は麻友の首に顔を埋めた。
その翌日の早朝、美帆の下宿の赤電話がけたたましく鳴った。
「岡部さーん、電話、急用みたいですよ」
ノックと電話に出た下宿人の声がして、美帆も麻友も飛び起きた。わたしの意識も鮮明になる。美帆が慌てて脱ぎ捨ててあったトレーナーをかぶるように着る。
「すみません」
美帆が謝りながら部屋を出て、共有の赤電話の受話器を取った。
「もしもし、お母さん?どうしたの、こんな時間に」
電話の声はよく聞こえない。でも、なんとなく、電話の向こうの人が焦っているような気配がする。
「……え、何? おばちゃんが? どういうこと?」
美帆の声が尖った。
すーっと体が冷たくなるのが伝わってくる。
おばちゃん?
おばちゃんがどうしたの?
「分かった、すぐ帰るっ」
美帆は自分の部屋に駆け込むと、慌てて着替え出す。それを見て麻友も身支度を始めた。
「どうしたの、美帆?」
「おばちゃんが」
「おばちゃんって、美帆と仲良い、あの?」
「倒れたの。……なんか、脳出血みたい」
おばちゃんが!?
慌てていた美帆がガクンと膝を着く。
「やだ、おばちゃんがいなくなったらやだ」
ブワッと美帆の胸の中に押し寄せてきた悲しみは、麻友がいなくなると知った時と色合いは違えど、それよりも強かった。
わたしは、未来のおばちゃんが元気に喫茶店を自営していることを知っている。でも、それでも、おばちゃんが倒れたということを楽観はできない。
もしかして、ここは、わたしの知っている未来とは違う方向へ進むのかもしれない。
だって、美帆は下原先輩より麻友が好きだし。
おばちゃんが死んでしまうのかもしれないし。
この過去は、本当に、わたしのいる現在に繋がるの?
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