最終上映

第29話 二股

 目の前に柊ちゃんの横顔。

 ちょうど右目の下の黒子が見える。戻ってきたことに気付いて安心したけれど、また、すぐに美帆の中に戻ってしまう予感もしている。せめて、その前に柊ちゃんの声だけでも聞いておきたい。


 声を掛けようとしたら、柊ちゃんの眉間にゆるゆると縦皺が寄っていくのが見えた。少しだけ細められた目。柊ちゃんが泣きそうな表情かおになりつつあることにわたしは気付いた。


 何がそんなに悲しいの?


 それを尋ねる前に、世界が暗転する。











 暗転して、過去と未来を行き来するときは、闇に引きずり込まれるような感じがする。でも、過去の中で時間が跳ぶときは、ふわんと次の時間に移動しているような感じがする。

 と、言っても、誰がわたしのこの「感じ」を共感してくれるのやら。



 

 というわけで、わたしはまた美帆の中に戻ってしまっていた。

 少し時間が過ぎていて、激しく揺れていた夏が終わって、大学生活が始まって秋が来ていた。



 後期が始まってから美帆の生活が大きく変わったことがある。


 平日の週の半分くらいを麻友の下宿で過ごしているのだ。

 おお同棲か!?って思って、その進展振りにちょっと焦った。確かに二人の距離は近付いていたけれど、自炊の食事代をシェアして節約する意味合いもあったようだ。


 麻友の下宿の部屋は美帆の部屋よりも少し広い。部屋にあるのは、やっぱり小さなキッチンだけで、ここもトイレと風呂は共有だ。

 美帆の視界から見るに、大学の周囲にワンルームマンションはほとんどなくて、2階建てのおんなじような構造の下宿がそこら中にある感じ。

 下宿ってプライバシーがあんまり守られていない感じなんだけと、これって時代なのかな?田舎の大学だからなのかな?


 そんな下宿の一つである麻友の部屋は、美帆の部屋と比べると割とごちゃごちゃしている。

 なんか、エスニックっぽい変な小物や何かが入ったガラス瓶を飾ったりしている。懐かしい感じがするのは、おばちゃんの喫茶店も小物がたくさん並べられているからかもしれない。

「それは横浜の中華街で買ったの」

 ドライフラワーの入った小瓶。どこが中華街なのかさっぱり分からない。でも淡い色の小花が可愛い。

 美帆がその小瓶を元の場所に戻すと、あげようか、と麻友が言う。すると、美帆が首を振る。

「麻友の部屋にあるのが似合うよぉ」

 美帆がそう言って、のんびりとした口調で答えると麻友は口角を少し上げて微笑んだ。


 そして、二人は小さな卓袱台でレポートの作成を開始する。麻友は経済学部だと言っていた。なんかちんぷんかんぷんな数式みたいなのを睨んでいて、時々計算機を叩いている。

 ノーパソもタブレットもないんだなあ、って思う。何でも手書きだ。二人とも字は割ときれい。美帆のは読みやすい丸っこい字。見慣れてるお母さんの字と同じだ。

 麻友は、神経質なのか小さな文字を均等に並べてる。こんな字を書く人、どっかで見たな。誰だっけ。


 こんな風にしてると、普通に仲の良い大学生だと思う。

 でも、少し違う。


 美帆が手を止めて、ふと麻友を見る。

 整った顔立ち。長い髪をザンバラに適当にまとめてる。手元のレポートパッドに視線を向けて伏せられた目を飾る長い睫毛。美帆と一緒にわたしも麻友の顔を眺める。

 うん、いい景色。

 美帆の止まった手と視線に、麻友が気付いて顔を上げると、目が合う。麻友の切れ長の目が弧の形に細められると、それが口付けの合図になる。

 合わせるだけの軽いキスが交わされて、また、二人はレポートに戻っていく。


 そんな感じ。

 会話や行動の合間に、二人は手指を絡めたり、唇を合わせたりする。


 それに気付いたときのわたしの動揺たるや!

 美帆と麻友がくっ付いたら、わたし産まれない!消えちゃう!!


 なんて思って、焦ったこともありましたが。



 美帆は、下原先輩との交際も普通に順調に、それまでと同じように続けてるのだ。

 麻友に、行って来ると告げて、下原先輩に会いに行く。そんな美帆を麻友は穏やかな表情で見送る。なんなの、あなたたちは?

 しかも、二人は、それでも自分たちはトモダチだと称していて、お互いの思いを口にしようとしない。もう、思いは溢れているのにもかかわらず、だ。


 そして、美帆は少しの罪悪感が加わった恋心を抱えて、下原先輩と一緒に過ごす。今日は二人で、なんか単館系の映画を見に行くらしく、その前に腹ごしらえとファーストフードのハンバーガーショップで昼食を摂っている。ハンバーガーをほうばりながら下原先輩が美帆に尋ねた。

「今日は浅野さん、何してるの?」

「さぁ。図書館でレポートか、バイトじゃないかなぁ」

 麻友のことはよく分かりません、そんな風に白々しい顔で美帆は答えた。嘘に慣れたな、なんて思う。

「最近の美帆は、浅野さんと仲いいから」

「そぉ見えますか?」

 美帆はポテトをくわえた。

「確かに、仲良しですけど」


 そう言って美帆は窓を見た。窓の外を見る振りをして、美帆は、窓に映る自分の顔を見た。美帆は知らないけれどわたしと目が合う。


 まだ、十代でも通りそうな幼さを残す美帆に向かって、わたしは誰にも聞こえない声を上げる。




 美帆、二股かけて、いいの?


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