第25話 表情
美帆が麻友に誰が好きなのかを尋ねた。
麻友は、絶対に言わない、と答えた。
美帆は自分の気持ちに鈍感すぎて、自分が麻友にも惹かれていることにようやく気付いたらしい。そんな鈍感娘の美帆なんかに、麻友の好きな人が誰なんだか分かる訳がない。
美帆だよ
麻友が好きなのはあなただよ
多分ね。
そう言って教えてあげたい。でも、教えてあげたら、美帆は下原先輩と別れてしまうかもしれない。別れて結婚しなかったら、二人の子供であるところのわたしはどうなってしまうんだろう?
でも、美帆と麻友、そっちを応援したくなるのはなぜなんだろう。自分が同性の柊ちゃんと付き合っているから?
お母さんと離婚して、すぐに再婚したお父さんが嫌だったから?
そんな子どもじみた甘えが、まだ。
わたしは違う違うと首を振った、いや、振る首はないから、振ったような気になっただけ。ああ、もう。
翌朝、早朝から朝焼けの海辺で撮影が始まった。
朝の海で慟哭する主人公。
主人公は恋人を失ったばかり。というシーン。
海の中を服のまま、ザブザブと麻友が歩き出して、膝を付いた。
声にならない声で叫ぶ、振り。
「はーい、カット!」
下原先輩の声がして、麻友が立ち上がり、濡れた手や髪を振る。美帆のカメラの中で水滴が朝日を反射して、麻友がキラキラしている。
うわ、なんか、もう、綺麗としか言えない。濡れた髪を掻き上げて、麻友が美帆を振り返った。
「ちゃんと撮ってくれたー?」
「もちろーん」
昨夜の意味深な会話なんかなかったかのように、二人は明るい。いつもの美帆と麻友だ。
「美帆、カメラ貸して。今度は君が撮られる番だ」
「うわ、ヤだ」
下原先輩に声を掛けられて、不満そうな顔をしながら、美帆はカメラをぽんすけさんに渡す。
「ぽんすけ、カメラ壊したら殺すから」
へいへいと言ってぽんすけさんがカメラを受け取った。撮影の係が美帆からぽんすけさんに移る。
「……なんでわたしが。演技下手くそなのに」
美帆がぼやく。
主人公の前世の恋人、ようやく今世で再会したにもかかわらず、再び今生でも別れを選択した女。
主人公にとっての運命の女。
それを美帆が演じる。演じると言ってもセリフはほとんどなくて、意味深な表情をして主人公を見ていたり見ていなかったりだ。主人公に対してどんな思いを抱いていたのか、それは、観客に委ねられる。
なんて不親切な脚本。
そんな役に美帆をあてがったのも脚本を書いた下原先輩だ。
「美帆が、いちばん浅野さんにいい表情させるんだから、お前しか相手役いないの、仕方ないんだよ」
下原先輩が美帆の頭を丸めた脚本で叩く。
「そんなことないと思うんですけどぉ」
美帆は口を尖らせながら、着ていた薄手のパーカーを脱ぐ。
白いノースリーブのワンピース。いかにも夢の清純な少女風。ありがちだけど、結構美帆に似合ってる。それを今から海水で濡らしてしまうのは勿体ないな、ってわたしは思った。
「一回、裸足でそこに立ってみて、露出合わせるから。レフ版左ねー」
カメラのぽんすけさんが平らな岩の上に美帆を立たせた。
美帆は岩の上から撮影現場を見渡した。
ぽんすけさんの後ろで、麻友と下原先輩が並んで立っているのが見えた。下原先輩は脚本を見ながらぽんすけに何かを言っていて、麻友はじっと美帆を見ている。
美帆と目が合った麻友が胸の前で軽く手を振った。
「はい、じゃ、そこから海に入っていって、いいって言ったら振り返ってカメラを見て。笑っちゃ駄目だよ。真剣に、冷たい顔して」
監督の下原先輩の指示。のんびり屋さんの美帆に「真剣」「冷たい」って大丈夫かな。美帆もなんか戸惑ってるらしく、んんん〜って唸りながら海の中を歩いていく。
「シンケンでツメタイ、シンケンでツメタイ、シンケンで……」
美帆のボソボソした声。こりゃ駄目かな、いつもののんびりした顔の美帆しか頭に浮かばない。
美帆はぶつぶつ呟きながら歩みを進めると、足首の高さだった水が、太腿まで上がってきて、ワンピースの裾が漂い始めた。
「はーい、そこで振り返って。俺の方を見てー!」
ぽんすけさんの大きな声がした。
美帆はゆっくりと振り返って、海辺にいるぽんすけさんのカメラの方を見た。
ぽんすけさんの後ろで、下原先輩と麻友が顔を寄せ合って話していた。親しげに見詰め合うように。
どろりとした感情が美帆の中にゆるゆると湧いた。
美帆の「真剣で熱い」表情を、ぽんすけさんがしっかりと撮影していたと、わたしが知るのは、撮影が終了してフィルムを現像してからだった。
でも、多分、麻友も下原先輩も、そんな美帆の顔を見ていたに違いない。
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