第26話 沈黙
今日の分の撮影は終了して、夕食の準備までは自由時間だ。
懲りもせず、美帆も麻友も海で遊んでいる。羨ましい。
美帆は、浮き輪に体をしっかりと通して、ぷかぷかと浮いていて、麻友も、その浮き輪に捕まるようにして、やはり浮いている。
「のんびり美帆も、あんなシリアスな顔するんだ」
「え?なんのこと」
「朝の撮影、なんて言えばいいのか、ものすごく真面目な顔でこっちの方、カメラを見るから、ちょっとドキっとした」
そう言われても当の美帆も、中のわたしも、美帆がどんな顔をしていたのかは分からない。だから美帆は少し照れたような拗ねたような反応をする。
「知らないよぉ、そんなの」
「……下原先輩と一緒にいる時の美帆は、あんな顔するのかな」
波に紛れるような麻友の小さな声を、わたしも美帆もしっかりと聞いていた。麻友のその言葉に美帆の体が熱くなる。恥ずかしさ、と、それとこの感じは何?
でも、美帆は、それを聞かなかったことにしたようだった。
一つの浮き輪に二人でつかまって、ぷかぷかと揺蕩う。
夏の日差しは強い。
美帆は水平線から麻友に視線を動かす。浮き輪に体を通している美帆は、自分よりも少し沈んでいる麻友を見下ろす。
麻友は長い髪を三つ編みにしてから結い上げていて、うなじがTシャツの襟口に吸い込まれている。布地が鎖骨あたりに張り付いていた。
そこに色気を感じているのは、わたしだけじゃない。
美帆もだ。
二人して、母娘で、麻友にそそられているなんて、笑える、や、笑えない。
「……麻友」
「ん?」
美帆に呼ばれて、麻友は顔を上げて、美帆を見る。
「麻友は、わたしの何?」
「……トモダチだよ」
波の音、少し離れたところで騒いでるぽんすけさんたちにの声。
海の水は、薄い影のように青く、でも透けている。
透明な青緑。
二人の間には沈黙が落ちていた。
トモダチだよ
麻友は、その言葉をどんな顔で言ったんだろうな。美帆の視界からは耳とこめかみしか見えなかった。
トモダチだと言われた当の美帆も、何か、違和感のようなモノを感じていた。
「きゃ!」
「わ!!」
突然、浮き輪が大きく揺れて、それで体を浮かせていた二人が驚いて、浮き輪にしがみ付く。
「ごめん、驚いた?」
悪びれない声は、下原先輩だった。
「驚いたぁ、もう」
美帆が片手で胸を抑える。
「ごめん、ごめん」
先輩が謝りながら、美帆の浮き輪に捕まると、同時に、麻友が浮き輪から離れた。
「お邪魔だから、行くね」
麻友は、そう言って、綺麗なフォームのクロールで岸の方に向かって行ってしまった。
お邪魔なのは、誰だ?
美帆の視界の下原先輩は、さも自分が美帆のそばにいて、麻友がいなくなって当然という顔をしている。
美帆は、何を感じているんだろう。
下原先輩に対しては、いつも通り、少しだけ緊張しているっぽい。でも、否定的な感じは一切ない。
やっぱり、美帆は、下原先輩が好きなんだろうな、と感じてしまう。
美帆がチラッと麻友を目で追った。
「綺麗なフォームだね、泳ぐの上手いんだ、浅野さん」
下原先輩は呑気だ。
「美帆は、泳がないの?」
「足が着かないところは、浮き輪がないと怖いんですよ」
「俺が引っ張るから、もう少し、沖に行く?」
「や、やだ、絶対やだ!」
だよね、昨日、溺れたもんね。
嫌がる美帆を見て先輩は笑った。
「美帆、あの時、なにを考えてた?」
下原先輩と美帆は波に揺れている。同じリズムで。
「あの時?」
「海の中から、カメラを振り返った時。俺は、真剣に冷たい顔をしてって頼んだけど、美帆は……」
わたしは?というように美帆は首を傾げた。
「美帆が美帆じゃないみたいな顔をしたよ」
「……わたしはぁ、」
美帆は何かを言い掛けた。でも、まとまらなくて、困ったように水平線に目をやる。
「先輩と麻友が距離が近くて、それが嫌だっただけ」
「それって焼きもちってこと?」
「……そうです」
下原先輩は少しだけ嬉しそうな笑顔を見せた。そうだよね、恋人がヤキモチを妬いてくれるのって、なんか嬉しいてのは分かる。なにせ、のんびり屋の美帆だし。
「美帆、今度は二人で海に行こう」
美帆は、少しだけ体を固くして、でも、頷いた。
そうか。
けどさ、美帆。
振り返って、下原先輩と麻友を見たとき
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